またコロナの感染爆発で試合のスケジュールが無くなっていっている。
僕の中ではそれもコンディショニングの一環として位置付けていただけに、その変更は正直残念。
でも、何となくそんな状況に慣れている自分もいる。
「そうなるかもしれない」と予測もしていたから、「中止になって残念」と思っても、それ以上の感情がないのもまた事実。
ある意味「コロナ慣れ」しているなとあらためて思う。
先週末、土日にそれぞれ開催予定だった大会も、土曜日のものは延期が決定。
それとほぼ同時に2月上旬開催予定の大会も中止の連絡を受けた。
唯一、日曜日に開催の第1回渋谷区長杯は当初予定の有観客を無観客にしての開催となった。
よっしゃ!やってやるぜ!
と意気込んでいたものの、結果はダメダメだった。
初戦で躓いてしまった。
コーチからもボロクソに言われた(笑)
だけど、本番ではないイベント大会だからこそチェックできるものが様々あるし、それこそがコンディショニングでもあるので、結果は悔しいけれど、見方を変えれば良かったとも思っている。
まずは、開催していただいたことに深く感謝で、参加できたことをとても嬉しく、有難く思う。
何がダメだったのか、その反省会は帰路の車中で始まり、翌日にはチームで共有し、修正に向けたトレーニングを即実践。
その迅速な対応をしてもらえることが本当にありがたい。
試合を終えると毎回のように「課題が・・・」なんて言葉を口にする。
今回もそうだった。
けれど、その内容は明らかにこれまでとは質の異なるもので、次のステージに進んでいることが確信出来た。
だから、修正トレーニングも僕の中ではこれまでになく充実しているし、そこでさらに新たな発見、気づきを得られている。
練習だけでは得られないものを得て、それを練習にフィードバックさせるからこその前進。
でもその歩幅は思っているほど大きくはなく、逆にむしろ極僅かなもので、それくらい進んだだけでは全然大したこと無いものだとも思う。
けれど、それを積み重ねていくから「成長」出来るわけで、その成長のラインは右肩上がりではなく階段状に横ばいと上昇を繰り返すものだとも教わった。
それでいい。
この調子で前進し続けていく。
求めるから出会える。得られる。
考え続けるからこそ分かる。気づける。
きっと何でもそうなんだ。
求めたからといってすぐに出会えるものではないし、得られるものでもない。
考えればすぐに答えが分かるものでもない。
求めても求めても出会えなければ得られるものでもない。
でも、それでも求め続けるからこそ巡り合いの瞬間が訪れるものなんだろうし、考え続けるからこそ分かり、気づくことが出来るものなんだと思う。
それってまさに「努力」と同じじゃないか。
努力というのは必ずしも報われるものではなくて、積み重ねても積み重ねても結果を得られないというのは特に珍しくもなく、ある意味普通の話。
でも、チャンピオンになる人は、チャンスをものに出来る人は、まず間違いなく努力を積み重ねた人間だという。
人との出会いだってきっと同じだと思う。
強く求めるからそういう人に出会える。
恋愛も同じことが言えるのかもしれない(笑)
とにかく、全ては自分次第だということ。
棚ぼたなんてない、とは言わないけれど、それをあてにするのは問題外の更に外。
人の力をあてにする気持ちも分からなくはないけど、その前に自分でやるべきことをやってからでなければそれを活かせもしない。
積み重ねるのは自分自身の力であって、誰かに積み重ねてもらうものではない。
筋トレと同じで、自分で頑張らなきゃ付かないし増えない。
いやいや、やってれば自然に付くでしょ、という人もいる。
それは間違いではない。
けれど、自然と付くのを待った時と、付けようと頑張って自分で付けた人とでは、そこに至るまでの時間が全然違うだろうし、当然質も異なるはず。だから、結果的に道は大きく違ったものになっているはず。
若い頃に読んだ漫画のセリフで印象的だったものがある。
学校卒業後に大工になると決めて頑張っている登場人物に、同級生の友人が「俺も大工になろうかな」と言うと、「やめとけ」と一蹴する。
え?なんで?仲の良い友達がそう言ったら「おお!一緒にやろう!」って言うものじゃないの?と思ったのに、全然違っていたから驚いた。
「やめとけ」と言った理由が次のセリフだった。
「「大工でもやろうかな」と思ってやるお前は「大工をやろう!」と思ってやる俺の上には一生立てないぞ、だからやめとけ」
というものだった。
その言葉は今も僕の心に深く刺さっている。
だから、結果的に出来上がるのを待つのではなく、自分で作り上げる、まずその意志、気持ちが大切だと思うのだな。
そして、類は友を呼ぶ、となる。
おべんちゃらを使って仲良くするだけの敬意も情も希薄な関係はどうも苦手なので(笑)、であれば僕は一人でいる方がいい。
一人黙々と海国兵団の版木を掘り続けた林子平を強く尊敬している。
「奇人」と言われた林子平。
でも彼は一人ではなく、離れていても彼に深い敬意を表し厚く信頼する人は多数いて、だから歴史に名を残している。
信念を強く持った人だからこそ、本音をぶつけ合って議論できる熱い仲間が大勢いて、本当に信頼を寄せられる人間関係が構築出来ていたのだと思う。
本音をぶつけ合えるから切磋琢磨できる。
そういう人を求めるから、そういう人に出会える。
僕ごときはレベルも内容も全然違えど、でも僕も本当に良い人達に巡り合えて今がある。
だから、試合が終わってすぐに修正に入れる。
僕は本当に幸せ者だ。
でもそれで終わらせないで、その幸運を活かしてしっかり成長していきたい。
結果へと繋げていきたい。
それもまた、自分次第。
次の本番に向けてしっかり準備する。
確実に前進していく。
言うのは簡単。
結果で証明させなきゃ。
その為には、日々の積み重ね、それが大前提。
しっかり頑張っていこう。
見ている方向へ進んでいけるように、アクセルを開けていこう。
同時に、感染対策にも細心の注意を払いつつ頑張っていこう。
最近は練習中も不織布マスク着用のままで行っている。
はじめてやってみた時は「こんなの無理!」と思ったのに、今はマスク無しでやる方が違和感を覚えたりもする(笑)
まずはきちんとした食事と睡眠だな。
僕の中ではそれもコンディショニングの一環として位置付けていただけに、その変更は正直残念。
でも、何となくそんな状況に慣れている自分もいる。
「そうなるかもしれない」と予測もしていたから、「中止になって残念」と思っても、それ以上の感情がないのもまた事実。
ある意味「コロナ慣れ」しているなとあらためて思う。
先週末、土日にそれぞれ開催予定だった大会も、土曜日のものは延期が決定。
それとほぼ同時に2月上旬開催予定の大会も中止の連絡を受けた。
唯一、日曜日に開催の第1回渋谷区長杯は当初予定の有観客を無観客にしての開催となった。
よっしゃ!やってやるぜ!
と意気込んでいたものの、結果はダメダメだった。
初戦で躓いてしまった。
コーチからもボロクソに言われた(笑)
だけど、本番ではないイベント大会だからこそチェックできるものが様々あるし、それこそがコンディショニングでもあるので、結果は悔しいけれど、見方を変えれば良かったとも思っている。
まずは、開催していただいたことに深く感謝で、参加できたことをとても嬉しく、有難く思う。
何がダメだったのか、その反省会は帰路の車中で始まり、翌日にはチームで共有し、修正に向けたトレーニングを即実践。
その迅速な対応をしてもらえることが本当にありがたい。
試合を終えると毎回のように「課題が・・・」なんて言葉を口にする。
今回もそうだった。
けれど、その内容は明らかにこれまでとは質の異なるもので、次のステージに進んでいることが確信出来た。
だから、修正トレーニングも僕の中ではこれまでになく充実しているし、そこでさらに新たな発見、気づきを得られている。
練習だけでは得られないものを得て、それを練習にフィードバックさせるからこその前進。
でもその歩幅は思っているほど大きくはなく、逆にむしろ極僅かなもので、それくらい進んだだけでは全然大したこと無いものだとも思う。
けれど、それを積み重ねていくから「成長」出来るわけで、その成長のラインは右肩上がりではなく階段状に横ばいと上昇を繰り返すものだとも教わった。
それでいい。
この調子で前進し続けていく。
求めるから出会える。得られる。
考え続けるからこそ分かる。気づける。
きっと何でもそうなんだ。
求めたからといってすぐに出会えるものではないし、得られるものでもない。
考えればすぐに答えが分かるものでもない。
求めても求めても出会えなければ得られるものでもない。
でも、それでも求め続けるからこそ巡り合いの瞬間が訪れるものなんだろうし、考え続けるからこそ分かり、気づくことが出来るものなんだと思う。
それってまさに「努力」と同じじゃないか。
努力というのは必ずしも報われるものではなくて、積み重ねても積み重ねても結果を得られないというのは特に珍しくもなく、ある意味普通の話。
でも、チャンピオンになる人は、チャンスをものに出来る人は、まず間違いなく努力を積み重ねた人間だという。
人との出会いだってきっと同じだと思う。
強く求めるからそういう人に出会える。
恋愛も同じことが言えるのかもしれない(笑)
とにかく、全ては自分次第だということ。
棚ぼたなんてない、とは言わないけれど、それをあてにするのは問題外の更に外。
人の力をあてにする気持ちも分からなくはないけど、その前に自分でやるべきことをやってからでなければそれを活かせもしない。
積み重ねるのは自分自身の力であって、誰かに積み重ねてもらうものではない。
筋トレと同じで、自分で頑張らなきゃ付かないし増えない。
いやいや、やってれば自然に付くでしょ、という人もいる。
それは間違いではない。
けれど、自然と付くのを待った時と、付けようと頑張って自分で付けた人とでは、そこに至るまでの時間が全然違うだろうし、当然質も異なるはず。だから、結果的に道は大きく違ったものになっているはず。
若い頃に読んだ漫画のセリフで印象的だったものがある。
学校卒業後に大工になると決めて頑張っている登場人物に、同級生の友人が「俺も大工になろうかな」と言うと、「やめとけ」と一蹴する。
え?なんで?仲の良い友達がそう言ったら「おお!一緒にやろう!」って言うものじゃないの?と思ったのに、全然違っていたから驚いた。
「やめとけ」と言った理由が次のセリフだった。
「「大工でもやろうかな」と思ってやるお前は「大工をやろう!」と思ってやる俺の上には一生立てないぞ、だからやめとけ」
というものだった。
その言葉は今も僕の心に深く刺さっている。
だから、結果的に出来上がるのを待つのではなく、自分で作り上げる、まずその意志、気持ちが大切だと思うのだな。
そして、類は友を呼ぶ、となる。
おべんちゃらを使って仲良くするだけの敬意も情も希薄な関係はどうも苦手なので(笑)、であれば僕は一人でいる方がいい。
一人黙々と海国兵団の版木を掘り続けた林子平を強く尊敬している。
「奇人」と言われた林子平。
でも彼は一人ではなく、離れていても彼に深い敬意を表し厚く信頼する人は多数いて、だから歴史に名を残している。
信念を強く持った人だからこそ、本音をぶつけ合って議論できる熱い仲間が大勢いて、本当に信頼を寄せられる人間関係が構築出来ていたのだと思う。
本音をぶつけ合えるから切磋琢磨できる。
そういう人を求めるから、そういう人に出会える。
僕ごときはレベルも内容も全然違えど、でも僕も本当に良い人達に巡り合えて今がある。
だから、試合が終わってすぐに修正に入れる。
僕は本当に幸せ者だ。
でもそれで終わらせないで、その幸運を活かしてしっかり成長していきたい。
結果へと繋げていきたい。
それもまた、自分次第。
次の本番に向けてしっかり準備する。
確実に前進していく。
言うのは簡単。
結果で証明させなきゃ。
その為には、日々の積み重ね、それが大前提。
しっかり頑張っていこう。
見ている方向へ進んでいけるように、アクセルを開けていこう。
同時に、感染対策にも細心の注意を払いつつ頑張っていこう。
最近は練習中も不織布マスク着用のままで行っている。
はじめてやってみた時は「こんなの無理!」と思ったのに、今はマスク無しでやる方が違和感を覚えたりもする(笑)
まずはきちんとした食事と睡眠だな。