車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

ついに!

2022年08月19日 21時32分00秒 | 日記
毎年11月に開催される国際クラス別パラ卓球選手権大会。

今年で14回目になるこの大会は実質的全日本選手権に相当し、代表選考の基準となる国内の最も重要な大会となる。

その大会の要項が発表されたのだけれど、なんと、ついに、その大会名称が「全日本パラ卓球選手権大会(肢体の部)」となった!

些細な変更?

いやいや、個人的にこれはめちゃくちゃ大きな変更だと思っていて、ものすごく重要な意味を成すことだと思っている。

だって何でもそうでしょう、まず名前って大切ですよ。

人は見た目が大切っていうのはよく言われる話。

人の印象は見た目7割だという(視覚から得る情報が大半ということか)。

どこかの心理学の先生だったかな?

見た目9割って本を書いてたって話を聞いたこともある。

名前と言うのはその「見た目」に相当するものだと思うし、それを補う「キャッチコピー」もあれば、「アイキャッチ」なんかはより顕著に使われる手段だと思う。

考えすぎかもしれないけど(笑)、僕はそれくらいに大きな変化だと思っている。

これをきっかけに日本のパラ卓球(肢体の部)は飛躍すると思う。

飛躍出来ると思う。

今の当事者にとってそれは実感できるものではないかもしれないし、その程度の微々たるものでしかないかもしれない。

でもその「微々たる」変化が重要なのだ。

塵も積もれば山となるのだから。

時間が経ったときに、「あの時がターニングポイントだったね」と評価される時が来るのではなかろうか。

歴史とはそういうものだ。



その全日本パラ卓球(肢体の部)は、名称が変わっただけではない。

毎年シングルスとダブルスが行われているのだけど、今年の大会からそのダブルスが国際大会で今年から設けられた新基準で行われることになった。

さらにそれは男女各ダブルスだけでなくミックスダブルスも採用され開催されることになったのだ。

むしろここが最も大きな変化と言えるかもしれない。

だって、今までは「ダブルス」というだけで組み合わせは自由だったのだから。

そこに縛りは一切なかった。

パラ卓球において車椅子だけでもクラスは障害に応じて5つに分けられる(1<5)。

だけどこれまでのダブルスには縛りもハンデも何も無いのだから、障害の軽い選手の方が断然有利になる。

障害の重い選手同士のペアはその時点で不利なのだ。

それが今年からはそうではなくダブルスもクラスによって分けられる形になるので、ルールに則って公平な組み合わせとなるのだ。

ただし、ここで生じるのがペアリングの問題。

そもそもパラ卓球選手と言うのは絶対数が少ないから、クラスによってペアリングの制限が生じると同じチーム同士でも組み合わせが難しくなってきたりもするし、相手探しが全国規模となりかねない。

となると、上手く組めても練習が出来ないなんてこともあり得る。

それは国内のレベルアップに繋がるのか?となるけれど、いやいや、国際基準がそうなっているのであれば仕方のないことだと思う。

卓球という競技を全国どこでも同じルールでやっているのと同じことで、だからこそ全国規模で切磋琢磨出来てレベルが上がっていく訳で、ご当地ルールでやってたって全国に行ったら話にならないなんてことは普通に考えられるから。

遊びやゲームとして楽しむのと競技者として自分を磨いていくのとでは全く異なる。

そのルールの枠内でどう対応していくか、工夫し努力していくか、そこは当事者次第。

ある意味、腕の見せ所。



こんな風にして毎年恒例のパラ卓球(肢体の部)の大会が変貌を遂げることになった。

会場も例年大阪だったのが、今年は東京の武蔵の森総合スポーツプラザとなっている。

その点もこれまでとは異なるので、審判の顔ぶれも異なれば、大会の空気感も全く違ったものになると思う。

大いに楽しみたい。



でも僕にはその前にやらなきゃいけないことがたくさんある(笑)

海外遠征も控えているし、課題もまだまだ山積みでゆっくりなんてしてられない。

卓球もそうだけど、卓球以外のデスクワークも賑やかになってきていて多少の慌ただしさはあるけれど新しいことを覚えられるなどワクワクしているし、人前で話すことにもデスクワークで身につけたことを活かし新しい展開をイメージ出来たりと、目の前の扉が開いて新しい景色に出会えているようで心地よい。

だからこそ、ここで気を抜かない。

調子に乗らない。

そういう時こそ気を引き締めていく。

気のゆるみが些細なアクシデントを招くから。

些細なアクシデントの向こうには大きな災いが控えているという。

でも、空想でしかない未来の不安に惑わされず、今の自分を信頼しこの足でしっかり進んでいく。

車椅子だけど(笑)



今年度からパラ卓球(肢体の部)は大きな変化を遂げている。

変化のその瞬間には痛みや戸惑いを伴う場合や立場も少なからずあるもの。

だけど、本質的に選手の僕らが向かう先、目指す先は全く持って変わらない。

活動拠点であるホームを有し、コーチ達の指導を厚く受けられる環境を持つ僕には客観的視点からかポジティブな点しか目に映らない。

だから、この変化を嬉しく、ありがたく思う。

この今の感覚をエネルギーに転換して、毎日の活動に活かしていきたい。

好きな言葉、「漁夫の利を得る」(笑)

でも、漁夫の利にしても、棚ぼたにしても、それは身構えている奴にしか掴めないものだと思っている。

身構えるということは?

スポーツ選手としてどうあるべきか、どう活動していくべきか。

そういうことだと思う。

さぁ、頑張っていこう。

まずは次の遠征に向けたコンディショニング。

自分の今を信頼して未来に挑むのだ!

堂々巡りで元の位置に戻る

2022年08月14日 21時38分51秒 | 日記
実を言うと、この半年間、まさに五里霧中の暗中模索の状態が続いていた・・・ように思える。

ストレスフルな状態だった。

ちゃんとやっているのに、頑張っているのに、どうも上手くいかない。

前に進んでいる手ごたえを急に失った感覚に襲われていた。

進めば進むほど、もがけばもがくほど、深みにはまっていくような気がしていた。

いろいろ考えて、分析し、試行錯誤を繰り返していたけれど、それで情報過多になってパンク寸前・・・と言えるならまだかっこいい。

けれどそう思える一方、必ずしもそうじゃないなと思う自分もあり、真逆に思える瞬間もあればまた違った視点で課題が見える時もあり、シンプルで明確な解決方法、脱出経路が見いだせないまま、五里霧中ならぬ五十里霧中を彷徨っているような感覚を覚えていた。



霧の中、視界を奪われた状態で前進すると、人は知らず知らずのうちにどちらかの方向に偏り、結果的に直線ではなく円軌道で前進すると高校生の時に教わったのを覚えている。

そして、自分の足跡を誰かの足跡だと勘違いして、それを辿ってひたすらに前進するけれどもちろん誰に追いつくはずもなく、霧の中で無限ループに陥り前進を続けていった結果、体力を失いその場で倒れてしまうという話だった。

これは登山時の話。



僕も、この半年間のモヤモヤとした霧の中をもがくように前進していたのだけれど(足跡は見えていない)、ふと「あ!」と気づく瞬間が訪れた。

それはいつものコーチとの練習の時だった。

コーチからいただいたアドバイスが半年前と全く同じものだったのだ。

「一巡した」

そう思えた。

それが嬉しかった。

それに気づけた自分が嬉しかった。

客観視出来ている。

積み重なっている。

手ごたえをしっかりと感じることが出来た。

一巡してまた同じ地点に戻ったのであれば、それは残念なことなんじゃないかと思われるかもしれない。

でも僕はそうじゃない。

貧乏性の僕は転んでもただじゃ起き上がらない(笑)

霧の中でも何かしらを得てきているから、もしこれが仮に無限ループだったとしても、次は同じラインではなく、より大きな弧線で円を描く軌道となる。

全く違った円軌道を描く自信がある。

根拠は無いけど(笑)



そうした霧の中からの脱出、そのきっかけはほんの些細な気づきから始まった。

そこからコーチやトレーナーたちのアドバイス、言葉が全く違って受け止められるようになった。

その結果、「あ!」となり、一巡したことに気づけたのだった。

僕の考える分度器の理論。

進むべき方向を見定めることが出来ることで、感覚が研ぎ澄まされるのだな。

とにかく、無事に観覧車を降りることが出来たのが喜ばしい(笑)



ただし、これで全てがクリア出来たって話ではない。

試合で勝つ、それがそもそもの目的だし、その為には様々なものが複雑に連動するパワーが必要となるので、それらすべてを成長させていく努力を怠ってはならないし、求める結果を得るためにはもっともっと積み重ねていかなければならない。

言ってみればスタート地点に立ったってだけのこと。

そこは勘違いしない。



頑張って積み重ねていくのは自分。

誰かがそうしてくれるのではない。

自分でやらなきゃならない。

けれど、人は一人で生きているのではない。

誰かの助けを借りて初めて生きていけるもの。

余談だけど、僕ら人間が生きていけるのは人間以外の生物の生命を「いただいて」いるからこそ。

動物だけでなく、植物も、微生物も、この世に存在する全ての生命体と共存していて、それらの存在があるからこそ、あるいはその命をいただけるからこそ、僕ら人間は生きていける。

ある学術的には、誰かに頼るからこそ「自立」出来るものだそうで、その「頼る」ということも何か一点だけでなく様々な点で少しずつ頼るからこそ「自立」となるらしい。

確かに、金八先生も「『人』という字は・・・」と教えてくれた(笑)

コミュニティの構築と維持継続、関係性、これこそが社会に生きる僕たちには絶対的に欠かせない。



けれど、「友達は選びなさい」という教えも大切だと思う。

僕は子供たちの前で話をする機会も少なくないけれど、その際もよく「友達を大切にしてください」と言っている。

それは僕の経験から。

ただ、「友達は選びなさいよ」とは言っていない。

だって、その一言が話の趣旨を大きく変えてしまうから。

でも僕の本心にはそれが大きくあって、それを伝えるべきか、どう伝えるのか、それも僕の課題の一つになっている。

「類は友を呼ぶ」もよく使う言葉で、だからこそ、自分がどのコミュニティに加わるのか、どんな友人を持つのか、その判断が人生そのものを大きく変えてしまうとも思える。

政治や宗教なんかもそこには深く入り込みかねないから、自分自身の未来予想図を描いた上でより慎重に判断しなければならないと思っている。



今回の僕の気づきもまた身近な自分以外の人たちの存在があればこそ。

その方々の心ある言葉があればこそ。

その「心」の有無、存在の大きさは自分次第であり、まさに鏡となって返ってくるものだろうから、それも忘れずに、建前だけでなく心から礼を持ってそこも積み重ねていかなければならない。

そういう関係を構築できるコミュニティの存在が凄くありがたい。



ほら、心が晴れ渡ると話のスケールがどんどん大きくなる(笑)



まずは思考を健全化させる。

メンタルを整える。

そして、フィジカルをより良い状態へと持っていき、テクニックをフル活用出来るようにする。

それを最下層で支えるのがコンディション。

その調整をしっかり行い、ベストの状態を最高のタイミングでより長く維持できるよう心掛けていく。

大変なことだ(笑)

その為には、オフも上手く活用しなければならない。

もっとも大切なことは心の健康。

「思想の健康は肉体の健康に勝る」

僕が大学卒業の頃に覚えた言葉。

あらためて、Back to Basic 、だな。

暑さはまだ少し続きそうだけど、夏はもうすぐ終わる。

新しい季節がやってくる。

リスタート!

さぁ次に向けてしっかり頑張っていこう!