車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

怒涛の3月、全日本オープンパラ卓球選手権大会

2024年03月21日 21時58分12秒 | 日記
まだ3月は終わっていないけど、これまでの慌ただしいスケジュールを無事に乗り切ることが出来たことに安堵している。

そのフィナーレが全日本オープンパラという試合だった。

この試合は障害によるクラス分けはされない、ただ「車椅子クラス」「立位クラス」とだけカテゴライズされるもの。

だから、より障害の重いクラスの選手が当然不利になるのだけれど、でもそんなの関係ない、我こそはと全国から様々なクラスの選手が一堂に集結し、車椅子選手国内チャンピオンを決める大会となる。

僕も基本は毎年出場している。

でも去年は出場していない。

なぜなら、エントリーはしていてイタリアから帰国1週間後の試合だったのだけれど、帰国して3日目に発熱し出場を断念することになったのだ。



試合に挑むにあたり、僕には僕なりのルーティンというか、コンディショニングの仕方を意識している。

でも今回はそれが全く出来なかった。

なぜ?

それは「怒涛の3月」だったから(笑)

試合直前に普及活動イベントなどの予定が複数重なっていたのだ。

本来であれば試合だからとそうした予定を「突っぱねる」ことも出来る。

でも、この試合はあくまでも「オープン大会」だから、自分の中での位置づけは違ったものになるし、中長期的に考えれば優先順位も変化するので、敢えて怒涛のスケジュールを容認したのだ。

結果的に自己評価でその判断は成功だったと言える。

それだけの学びという収穫を得られたから。

3月は今までにないほどの学びを得られた時期でもあった。

それは試合においてもそれ以外の部分でも。

いつもとは違ったコンディショニングで挑めたからこその収穫もあったのだ。



で、その試合。

シングルスと団体戦なのだけれど、目標としてシングルスは最低ベスト8をと考えていた。

結果的にベスト8まではたどり着くことが出来た。

団体戦は予選リーグ4チーム中2位で予選敗退。

いずれも目標設定はクリア出来たので良かった。



問題はその試合の内容。

予選リーグを1位通過し、トーナメント1回戦も勝てた。

しかも相手は今まで負けていた選手だったり、昨年の全日本でも負けた相手だったり、ネガティブなことを考えてしまうような嫌な組み合わせ。

けれど勝った。

2日目の団体戦でも、昨年の全日本で負けた相手と再戦し、かろうじて勝つことが出来た。

それは自信にも繋がった。

正直、調子が悪いという認識はなかった。

でも、試合の動画を確認すると、まぁ酷いものだった(笑)

全然出来ていない、なっちゃいない。

最も良くないのは、まずそのことに気づけていなかったということ。

だから、自己評価も修正も対応も何も出来ないままでプレーしていてずっと横ばいのまま、だから内容も良くなかったし、良くならなかったと思える。

2日間通してそんな感じだった。

なぜ?

理由はいくつか考えられるけど、いずれにせよ納得のいくものではなかった。

けれど、そういう反省点を得られたのは大いなる収穫。

移動を含め怒涛のスケジュールにもかかわらずコンディションは悪くはなかった。

いや、むしろ良い感じだった。

それが勘違いを生む落とし穴だったと思える。

コンディションはよかったけれど、技術と思考の部分に問題があり、大きな課題を残すこととなった。

逆にそれをクリアすれば、一歩大きく前進できるとも実感出来た。

そうやって課題を一つ一つあぶり出し解決していくしかない。

いずれも一朝一夕でどうこう出来るものではないだろうけど、考え続け取り組み続ければある日突然腹落ちしたり出来るようになったりするものだと思うから。

大切なのはその持久力ということか。

瞬発力はまず重要だし、押し切ってしまうくらいのパワーも必要だと思う。

でもそこには持久力が無ければ長続きはしないし、それは続けるからこそ価値の生じるものになるのかもしれない

という思いで日々精進していきたい。



さらには、卓球以外の部分で学んだことを上手く活用していきたい。

この3月、ビジネスシーンで個人的に強いインパクトを受けた学び、それが偶然にもスポーツの世界で共通する考えや価値観として存在していることをまさにドンピシャのタイミングで知り得た。

自らが学んだことを人に伝えるからそれが改めて自身の学びになるというのもこれまでの経験から認識している。

だから、学んだそれらを若い世代のスキルアップ、彼らが雇用促進法対象の一障害者で終わるのではなく、社会で通用する人材としての障害者となれるような、そんなアドバイスも送っていきたい。

この春からはなにかと変化が起こる予定なので(変な日本語w)、それをどのようにコントロールしどこへ向かわせるのか、ブレることなくしっかり活動していきたい。

まずは自分自身をしっかりマネージメント。

楽しみな新年度がやってくる。

2月の学び

2024年03月05日 21時39分57秒 | 日記
2月の渋谷区長杯のあと、東京と埼玉の障害者スポーツ施設主催の大会がそれぞれ2月中にあった。

その他にも2月は何かと慌ただしく行動していたので、結果的に様々な角度から多様なことを学べたし、その先が凄く楽しみな時間となった。

いや、正確に言えばそれは現在進行形で今も継続している。

今までにないレベルでの学びが続いている。



まず試合の結果から。

最初にあったのは東京での試合。

団体戦と個人戦だった。

団体戦は準優勝、個人戦はベスト8敗退だった。

埼玉での試合は個人戦のみ。

決勝戦で敗退し準優勝となった。

どちらも良くなかった。

悪い部分が露呈し、それを修正することも出来ていなかった。

特に東京は酷かった。

だからこそ、学び成長していけるとも思っている。

収穫となるのだからそれはそれでプラスにはなるのだけれど、はやり結果を伴わないのは悔しいところ。



そして学びの部分はパラ卓球活動以外のところでも。

それは仕事において。

まさにビジネスシーンにおける学び。

それがパラ卓球に活かせる、というか直感的に直結する、あるいは変換できると認識出来たのだ。

自分のその思考を自分自身愉快に思った(笑)

でもこれは例えばチームビルディングや大人として次の世代の育成には重要なポイントになることだと思えたし、これから社会に出るという若い世代も複数身近にいるので、それを具体的に彼らにどう伝えていくのか、どう行っていくのか、どう行うことが出来るかというのもイメージ出来、そんな自分を楽しみつつ(笑)、その対象をどの範囲まで?などなど様々考えると、いやぁ、この先が楽しみでならないという思いが溢れるのだった(笑)



そういう思考に至ったこと、そういう思考に至れるだけど心の余裕が生じたこと、それを嬉しく思うし、そこに自信をも抱ける。

ようやくここに至ったという思いもあるけれど、思考と感情の点において僕の目指すゴールはそこではなく、人生をマクロでみればようやくスタート地点に立てたというのが正直な感覚と言える。

だからこそ、パラ卓球活動を行うにおいて視野も思考も広がりを実感できるのかもしれない。

まだまだ磨いていける。

まだまだ伸ばしていく自信がある。

もっともっと磨き上げて、高めていきたい。



卓球においてはいろいろな方から「(車椅子としてはプレーが)綺麗ですよね」と言っていただくことがある。

これは対人競技の卓球においては決して誉め言葉ではない。

その後には「だから」という逆接続詞がつくから。

特に車椅子においては。

それはずっと言われてきたことだし、自認していることでもある。

けれど、それは僕にとっては確信的行為であり、目指すべきスタイルだと思っているので、誉め言葉として受け止めている。

そういうところは都合の良いことにすごく頑ななのだ(笑)

ただし、そのスタイルを成り立たせるためにはベースが必要であり、障害があるからこそその為のハードルはより一層高いものになるし学びも必要になるのだけれど、でもそれを積み重ねていくことはパラ卓球だけでなく僕の人生そのものを色濃く豊かにしてくれるものだとも実感できているので、これからもそうやって取り組んでいきたい。



まずは2月の試合で得た反省を糧とし毎日の積み重ねを行っていく。

次の試合は3月の全日本オープンパラ卓球選手権大会。

個人戦と団体戦が行われる。

クラス分けがされないオープン大会なので意識的にはちょっと違った大会にはなるけれど、個人戦でどこまでいけるか、どんな試合が出来るか、自分の現在地を確認したいと思っている。

そして、これから先をどう描いていくのか、自分をどの方向にどう進めていくのか、その為になにをどうしていくのか、確認する。

中学の時に読んだ漫画のセリフだけど、「運命」という言葉、この意味を多くの人は「(神様とか見えない存在や力によって自分の)命を『運ばれる』」と読む、解釈するという。

僕もそれまではそう思っていた。

けれど、「自分の命は自分で『運ぶ』ものだ」と書いてあった。

だから僕も、自分で運ぶ。

自分が運びたい方向へ。

それが僕の分度器の理論(笑)

3月も慌ただしい毎日が続くけれど、まずは体調管理とコンディショニングを万全に行って、パフォーマンスを十分に発揮できる状態をキープしていきたい。

花粉対策も忘れずに(笑)