まだ3月は終わっていないけど、これまでの慌ただしいスケジュールを無事に乗り切ることが出来たことに安堵している。
そのフィナーレが全日本オープンパラという試合だった。
この試合は障害によるクラス分けはされない、ただ「車椅子クラス」「立位クラス」とだけカテゴライズされるもの。
だから、より障害の重いクラスの選手が当然不利になるのだけれど、でもそんなの関係ない、我こそはと全国から様々なクラスの選手が一堂に集結し、車椅子選手国内チャンピオンを決める大会となる。
僕も基本は毎年出場している。
でも去年は出場していない。
なぜなら、エントリーはしていてイタリアから帰国1週間後の試合だったのだけれど、帰国して3日目に発熱し出場を断念することになったのだ。
試合に挑むにあたり、僕には僕なりのルーティンというか、コンディショニングの仕方を意識している。
でも今回はそれが全く出来なかった。
なぜ?
それは「怒涛の3月」だったから(笑)
試合直前に普及活動イベントなどの予定が複数重なっていたのだ。
本来であれば試合だからとそうした予定を「突っぱねる」ことも出来る。
でも、この試合はあくまでも「オープン大会」だから、自分の中での位置づけは違ったものになるし、中長期的に考えれば優先順位も変化するので、敢えて怒涛のスケジュールを容認したのだ。
結果的に自己評価でその判断は成功だったと言える。
それだけの学びという収穫を得られたから。
3月は今までにないほどの学びを得られた時期でもあった。
それは試合においてもそれ以外の部分でも。
いつもとは違ったコンディショニングで挑めたからこその収穫もあったのだ。
で、その試合。
シングルスと団体戦なのだけれど、目標としてシングルスは最低ベスト8をと考えていた。
結果的にベスト8まではたどり着くことが出来た。
団体戦は予選リーグ4チーム中2位で予選敗退。
いずれも目標設定はクリア出来たので良かった。
問題はその試合の内容。
予選リーグを1位通過し、トーナメント1回戦も勝てた。
しかも相手は今まで負けていた選手だったり、昨年の全日本でも負けた相手だったり、ネガティブなことを考えてしまうような嫌な組み合わせ。
けれど勝った。
2日目の団体戦でも、昨年の全日本で負けた相手と再戦し、かろうじて勝つことが出来た。
それは自信にも繋がった。
正直、調子が悪いという認識はなかった。
でも、試合の動画を確認すると、まぁ酷いものだった(笑)
全然出来ていない、なっちゃいない。
最も良くないのは、まずそのことに気づけていなかったということ。
だから、自己評価も修正も対応も何も出来ないままでプレーしていてずっと横ばいのまま、だから内容も良くなかったし、良くならなかったと思える。
2日間通してそんな感じだった。
なぜ?
理由はいくつか考えられるけど、いずれにせよ納得のいくものではなかった。
けれど、そういう反省点を得られたのは大いなる収穫。
移動を含め怒涛のスケジュールにもかかわらずコンディションは悪くはなかった。
いや、むしろ良い感じだった。
それが勘違いを生む落とし穴だったと思える。
コンディションはよかったけれど、技術と思考の部分に問題があり、大きな課題を残すこととなった。
逆にそれをクリアすれば、一歩大きく前進できるとも実感出来た。
そうやって課題を一つ一つあぶり出し解決していくしかない。
いずれも一朝一夕でどうこう出来るものではないだろうけど、考え続け取り組み続ければある日突然腹落ちしたり出来るようになったりするものだと思うから。
大切なのはその持久力ということか。
瞬発力はまず重要だし、押し切ってしまうくらいのパワーも必要だと思う。
でもそこには持久力が無ければ長続きはしないし、それは続けるからこそ価値の生じるものになるのかもしれない
という思いで日々精進していきたい。
さらには、卓球以外の部分で学んだことを上手く活用していきたい。
この3月、ビジネスシーンで個人的に強いインパクトを受けた学び、それが偶然にもスポーツの世界で共通する考えや価値観として存在していることをまさにドンピシャのタイミングで知り得た。
自らが学んだことを人に伝えるからそれが改めて自身の学びになるというのもこれまでの経験から認識している。
だから、学んだそれらを若い世代のスキルアップ、彼らが雇用促進法対象の一障害者で終わるのではなく、社会で通用する人材としての障害者となれるような、そんなアドバイスも送っていきたい。
この春からはなにかと変化が起こる予定なので(変な日本語w)、それをどのようにコントロールしどこへ向かわせるのか、ブレることなくしっかり活動していきたい。
まずは自分自身をしっかりマネージメント。
楽しみな新年度がやってくる。
そのフィナーレが全日本オープンパラという試合だった。
この試合は障害によるクラス分けはされない、ただ「車椅子クラス」「立位クラス」とだけカテゴライズされるもの。
だから、より障害の重いクラスの選手が当然不利になるのだけれど、でもそんなの関係ない、我こそはと全国から様々なクラスの選手が一堂に集結し、車椅子選手国内チャンピオンを決める大会となる。
僕も基本は毎年出場している。
でも去年は出場していない。
なぜなら、エントリーはしていてイタリアから帰国1週間後の試合だったのだけれど、帰国して3日目に発熱し出場を断念することになったのだ。
試合に挑むにあたり、僕には僕なりのルーティンというか、コンディショニングの仕方を意識している。
でも今回はそれが全く出来なかった。
なぜ?
それは「怒涛の3月」だったから(笑)
試合直前に普及活動イベントなどの予定が複数重なっていたのだ。
本来であれば試合だからとそうした予定を「突っぱねる」ことも出来る。
でも、この試合はあくまでも「オープン大会」だから、自分の中での位置づけは違ったものになるし、中長期的に考えれば優先順位も変化するので、敢えて怒涛のスケジュールを容認したのだ。
結果的に自己評価でその判断は成功だったと言える。
それだけの学びという収穫を得られたから。
3月は今までにないほどの学びを得られた時期でもあった。
それは試合においてもそれ以外の部分でも。
いつもとは違ったコンディショニングで挑めたからこその収穫もあったのだ。
で、その試合。
シングルスと団体戦なのだけれど、目標としてシングルスは最低ベスト8をと考えていた。
結果的にベスト8まではたどり着くことが出来た。
団体戦は予選リーグ4チーム中2位で予選敗退。
いずれも目標設定はクリア出来たので良かった。
問題はその試合の内容。
予選リーグを1位通過し、トーナメント1回戦も勝てた。
しかも相手は今まで負けていた選手だったり、昨年の全日本でも負けた相手だったり、ネガティブなことを考えてしまうような嫌な組み合わせ。
けれど勝った。
2日目の団体戦でも、昨年の全日本で負けた相手と再戦し、かろうじて勝つことが出来た。
それは自信にも繋がった。
正直、調子が悪いという認識はなかった。
でも、試合の動画を確認すると、まぁ酷いものだった(笑)
全然出来ていない、なっちゃいない。
最も良くないのは、まずそのことに気づけていなかったということ。
だから、自己評価も修正も対応も何も出来ないままでプレーしていてずっと横ばいのまま、だから内容も良くなかったし、良くならなかったと思える。
2日間通してそんな感じだった。
なぜ?
理由はいくつか考えられるけど、いずれにせよ納得のいくものではなかった。
けれど、そういう反省点を得られたのは大いなる収穫。
移動を含め怒涛のスケジュールにもかかわらずコンディションは悪くはなかった。
いや、むしろ良い感じだった。
それが勘違いを生む落とし穴だったと思える。
コンディションはよかったけれど、技術と思考の部分に問題があり、大きな課題を残すこととなった。
逆にそれをクリアすれば、一歩大きく前進できるとも実感出来た。
そうやって課題を一つ一つあぶり出し解決していくしかない。
いずれも一朝一夕でどうこう出来るものではないだろうけど、考え続け取り組み続ければある日突然腹落ちしたり出来るようになったりするものだと思うから。
大切なのはその持久力ということか。
瞬発力はまず重要だし、押し切ってしまうくらいのパワーも必要だと思う。
でもそこには持久力が無ければ長続きはしないし、それは続けるからこそ価値の生じるものになるのかもしれない
という思いで日々精進していきたい。
さらには、卓球以外の部分で学んだことを上手く活用していきたい。
この3月、ビジネスシーンで個人的に強いインパクトを受けた学び、それが偶然にもスポーツの世界で共通する考えや価値観として存在していることをまさにドンピシャのタイミングで知り得た。
自らが学んだことを人に伝えるからそれが改めて自身の学びになるというのもこれまでの経験から認識している。
だから、学んだそれらを若い世代のスキルアップ、彼らが雇用促進法対象の一障害者で終わるのではなく、社会で通用する人材としての障害者となれるような、そんなアドバイスも送っていきたい。
この春からはなにかと変化が起こる予定なので(変な日本語w)、それをどのようにコントロールしどこへ向かわせるのか、ブレることなくしっかり活動していきたい。
まずは自分自身をしっかりマネージメント。
楽しみな新年度がやってくる。