えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

親族・・・

2011-03-22 | 日記
ほとんど面識も無いまま、両親の代理ということで参列した告別式・・・。

代理とはいえ、自分の立場を思ったら、後ろのほうで・・・という気持ちだった。
でも、案内されたのは親族席。
本当にいいのかとあまり知る人のいないなかで座っていたら、神式で行われること、その作法の説明とあわせ
「ご親族様はそれぞれお名前をお呼びいたしますから、順に・・・」とのこと。

えーっ????? どうしよう・・・。

見渡すと、なんと大勢の方がいらっしているか・・・。
故人は大正10年生まれの方だから90歳になられた方だ。
なのに、この参列者の多さはどれほどの方だったのかと、本当に何も知らず参列している自分が、なんとも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
父の名前を言って本当に親族でいいのかと、再度担当の方に確かめたら、やっぱりいいとのこと。
すると、前の席に座っていらしたご婦人が私たちの会話が耳に入ったらしく、振り向いて、
「○○さんの娘さん?」とたずねて来た。
「はい。父と母の代理で参りました」と私・・・。

自分が知らないだけで、父も母も現在もちゃんとお付き合いのある方だったことを改めて考え、幼いころの記憶を式の間中考えていた・・・。

順番が来て、父の名前を呼ばれ、玉串奉奠も無事済んで着席したら、私の従妹の姿が目に入った。
そうか・・・

おぼろげながら記憶がよみがえって来た。

私が幼かったころ、そう、祖母が元気だったころの話だけれど、確かにお盆やお正月に必ず帰って来ていた「おばちゃん」の姿がよみがえって来た。私はよくかわいがってもらい、その「おばちゃん」が好きだったことも・・・。

でも、でも、でも・・・
その方の息子さんが90歳で亡くなられたのだ。
どう考えを廻らせても、あまりに長い時の流れがそこにはある。
私の祖母も46年前に亡くなっている。
いとこ同士の付き合いが私の両親にあったとしても、なかなか私の代まではつながってこないのも止むを得ないこと。
それでも、私は「親族」ってこんな風に繋がって来てるんだ・・・と不思議な感動を覚えた。

帰宅して、
「行ってきたよ。指名焼香でびっくりしちゃった」と言ったら、
「順番、早いほうで呼ばれたろう?」と当然のように言う。

そうだよね。
長命ということは、いとこでも元気で残っている人は、血縁は濃いほうになるんでしょうね・・・


(故人はいろいろと役職を務め、信望が厚い人だったらしい。私の職場の大先輩(10年以上前に定年で辞められている)もみえていて、
「若いころお世話になったんですよ」と言っていた・・・)