夫が長いえん罪生活の中で、最高裁で上告が棄却され「無期懲役」が確定したとき、その決定に対し
「えん罪の訴えと最高裁の対応」というタイトルで唯一社説を書いてくれた読売新聞の記事に支えられたことは、夫の口からいろんなところで語られているが、
この、当時の新聞記事が「無期確定」のその日の記事と一緒に、義父の遺品の中からも出てきた。
1978年7月の記事。
もうすっかり色も黄ばんでしまっている。
でも小さく畳まれて、その年の「第4回守る会総会」(1978.9.26)の写真記録の間に挟まれてあった・・・。
義父の思いもまったく夫と同じだったのだろう・・・。
そして、同じようにまだ未決で東京拘置所にいた1976年。
義母が危篤状態にあったとき、「母に面会のため拘置停止申請」をしたが認められなかった無念の思いを朝日新聞に自ら投書した記事も、大切に義父のもとで保管されていた。(清水誠先生が『拘置停止申請に非常な扱い』と投書いただいたあとに投稿)
私は、当時の義母の思い、義父の思いを想像することだけしかできないが、夫が両親や兄姉妹とどんな涙を流して来たのか忘れないためにも、これらの記事をこんどは私が守っていこう、と思った。
そして、両親の遺影の前でそのことを誓った・・・。
「無実の者は無罪に!」
この当たり前のことが、全く守られていない。いちど被疑者と疑われた段階から人権が無視され、非人間的扱いをされ、無実を証明する証拠は隠され、有罪を導く証拠のねつ造がされる。
裁判官は、その不正行為を見抜けない。当事者の「真実の訴え」に耳を塞ぎ、弁護人の主張より、同じ司法の仲間である「検察官の声」に心を開いてその声しか聞こうとしない。
布川事件も、夫と杉山さんの「無罪」こそ確定したが、44年もの時間を奪ったことに裁判所からはもちろん誰一人、夫たちに謝罪は無いし、布川事件に関わった捜査官、裁判官の誰一人責任を問われていない。
このようなことが、現実、許されていることに「おかしい」と思うのは当事者だけではないだろう。
普通の市民感覚で十分理解していただけることだと思う。
私は2007年、国連欧州本部(ジュネーブ)で行われた拷問禁止条約日本政府報告第1回審査の折、審査員との公式ミーティングで、直接日本における冤罪被害者の家族として審査委員に訴える機会を戴き、
「えん罪は、国家の誤りであり、それを放置し続けるのは『国家の犯罪』です。夫たちは、40年もの間、えん罪の精神的苦痛を受け続けています。一日も早く日本の再審制度に道が開かれるよう、厳しい勧告をお願いします」と訴えた。
折も折、審査会の当日の朝、現地新聞は日本における「えん罪・志布志事件」を大きく取り上げていて、日本政府代表者への質問の際、
「新聞を見たが、これら過ちを犯した担当官はどのような責任をとったのか」という質問が出された。
政府代表者は、「おきまり」の文言を読み上げ「適正に処理した」風な言い方で逃げた。
・・・・・・
夫のたたかいはこれからも続きます。
味わった家族の苦しみ、悲しみ、無念の思いをも背負いながら・・・。
国家の責任を求めて。
それが、えん罪で今も苦しんでいる仲間を一日も早く救出する力になること、ふたたびえん罪で泣く人が出ない司法の改革につながることを信じて・・・。
「えん罪の訴えと最高裁の対応」というタイトルで唯一社説を書いてくれた読売新聞の記事に支えられたことは、夫の口からいろんなところで語られているが、
この、当時の新聞記事が「無期確定」のその日の記事と一緒に、義父の遺品の中からも出てきた。
1978年7月の記事。
もうすっかり色も黄ばんでしまっている。
でも小さく畳まれて、その年の「第4回守る会総会」(1978.9.26)の写真記録の間に挟まれてあった・・・。
義父の思いもまったく夫と同じだったのだろう・・・。
そして、同じようにまだ未決で東京拘置所にいた1976年。
義母が危篤状態にあったとき、「母に面会のため拘置停止申請」をしたが認められなかった無念の思いを朝日新聞に自ら投書した記事も、大切に義父のもとで保管されていた。(清水誠先生が『拘置停止申請に非常な扱い』と投書いただいたあとに投稿)
私は、当時の義母の思い、義父の思いを想像することだけしかできないが、夫が両親や兄姉妹とどんな涙を流して来たのか忘れないためにも、これらの記事をこんどは私が守っていこう、と思った。
そして、両親の遺影の前でそのことを誓った・・・。
「無実の者は無罪に!」
この当たり前のことが、全く守られていない。いちど被疑者と疑われた段階から人権が無視され、非人間的扱いをされ、無実を証明する証拠は隠され、有罪を導く証拠のねつ造がされる。
裁判官は、その不正行為を見抜けない。当事者の「真実の訴え」に耳を塞ぎ、弁護人の主張より、同じ司法の仲間である「検察官の声」に心を開いてその声しか聞こうとしない。
布川事件も、夫と杉山さんの「無罪」こそ確定したが、44年もの時間を奪ったことに裁判所からはもちろん誰一人、夫たちに謝罪は無いし、布川事件に関わった捜査官、裁判官の誰一人責任を問われていない。
このようなことが、現実、許されていることに「おかしい」と思うのは当事者だけではないだろう。
普通の市民感覚で十分理解していただけることだと思う。
私は2007年、国連欧州本部(ジュネーブ)で行われた拷問禁止条約日本政府報告第1回審査の折、審査員との公式ミーティングで、直接日本における冤罪被害者の家族として審査委員に訴える機会を戴き、
「えん罪は、国家の誤りであり、それを放置し続けるのは『国家の犯罪』です。夫たちは、40年もの間、えん罪の精神的苦痛を受け続けています。一日も早く日本の再審制度に道が開かれるよう、厳しい勧告をお願いします」と訴えた。
折も折、審査会の当日の朝、現地新聞は日本における「えん罪・志布志事件」を大きく取り上げていて、日本政府代表者への質問の際、
「新聞を見たが、これら過ちを犯した担当官はどのような責任をとったのか」という質問が出された。
政府代表者は、「おきまり」の文言を読み上げ「適正に処理した」風な言い方で逃げた。
・・・・・・
夫のたたかいはこれからも続きます。
味わった家族の苦しみ、悲しみ、無念の思いをも背負いながら・・・。
国家の責任を求めて。
それが、えん罪で今も苦しんでいる仲間を一日も早く救出する力になること、ふたたびえん罪で泣く人が出ない司法の改革につながることを信じて・・・。