明けの明星

ラテン語で「光もたらす者」、釈迦も空海もこれを観て悟りを開いたとか。
ちょっと、だいそれたタイトルになっちまったかな。

運命的な出会い

2008年04月17日 10時23分30秒 | 家族
                                 のち

  つつじ
  


じいさんとの思い出を書くとき
この人抜きには考えられない

2月中までは
食欲がだんだんなくなってきちゃったけど
普通の生活ができていた

でも、3月に入ると
みるみるうちに
歩くこともできなくなってきたんだ

それまでは
毎日、近くのクリニックに点滴をしに
連れて行ってたんだけれど・・・




母親も胃がんだったけど、
自宅で死にたいと最後まで訴えてた

でも、最後は救急車で病院に運ばれ
そして、
体中を管につながれちゃって
「もう、いいよ」「痛いし、だるいよ」
結局、それから苦しいだけの約2ヶ月だったかな

もちろん、個室で24時間
家族が交替で看病したんだけどね

このままじゃあ、すぐに母親の時と
同じになっちゃうと
一人、不安とあせりの日々だったかな



そんな時、NHKのテレビで
在宅医療の番組があつた

そうだ、これだと
インターネットで調べたら
この地域も対象と書いてある

ゆめクリニック
玉地任子先生のHPを見つけた

3月15日の夜の7時
無理やり、先生のところに
妹と二人でおしかけちゃったんだ

初めのうちは
相談だけと云われていた先生を
拝み倒して
診てもらえるとの返事をいただいて
帰ってきたのは
もう夜中の10時を過ぎていた


そして、翌日から
在宅診療がはじまった

それまで、一人で
薬の管理やら病状の判断やらをして
ちょっと、てんぱっちゃてたオイラの
肩がスーと楽になった記憶がある

だって、玉地先生は
夜だろうが明け方だろうが、
日曜日も休日も関係なく

いつでも、携帯に電話すれば
飛んできてくれるし、

来てもらえば、患者だけでなく
サポートする家族の心のケアまで
2~3時間も居てくれた


さらに、玉地先生が最も信頼していた
礒辺さんも訪問看護に
毎日来てくれたんだ

この人もプロ中のプロだったな


これで、じいさんを家で看取る
環境が全て整った


そして、残された家族とじいさんとの
キラキラと輝いた
やさしい時間を持つことができたんだ

わずか2ヶ月だったけれども
20年でも30年でも
経験することができなかったであろう
悲しいけど、どこか楽しい充実した時間が
ゆっくりと流れていった


        アザレア
        



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