健康自由メモ(高齢者の健康メモ)

高齢者の健康自由日記

露天神社(お初天神)ちょっとブラリ

2010年12月08日 | 1.自由日記・健康雑感

13/7℃
 寒気が入り冷え込んではいるが平均気温よりは高いようだ。 今日は昭和16年、日本が米・英に戦線布告した大東亜戦争が勃発した日である。 当時は6歳であったがパールハーバーの奇襲攻撃の成功で日本中が沸きかえっていたのをいまだに記憶にのこっいる。 一昨日、ある会合があり会合場所の大阪東梅田の“北の新地”の一角にあるお初天神商店街の近くにあるが場所確認もあり少し早めに出たら1時間以上も早く着いた。

 商店街を通ると昔、梅田花月のあった通りだ。 会場は露天神社の近くですぐ分かった。 境内末社には金刀比羅宮・水天宮と開運稲荷神社があった。 露天神社の名前は露になると必ず湧き出る井戸がありことのが由来らしい。(現在は井戸は枯れている。)

 

 開運稲荷の横には近松門左衛門で名高い人形浄瑠璃「曽根崎心中」のお初・徳米兵衛のブロンズがあり、元禄時代の約300年前にこの神社で情死事件(相思相愛の仲心中)があり人形浄瑠璃や歌舞伎のの演目となり人気をはくした。 その当時は情死(双方または片方が生き残った場合)、姦通や火付けなどは死罪に相当する刑罰が科せられていた。 江戸時代の封建社会では義理と人情の板挟みで若い男女が情死すことがあったそうであるが、現在は単独自殺は多いが情死のニュースはあまり聞かない。 聞くのは老夫婦が介護疲れで心中するケースがあるが、心中の積りが死にきれずにいるニュースが見受けられる。 お初と徳兵衛像のすぐ前には、難転石という石があり、どんな仕組みなのか判らないが水の力で回転する丸い石で、がこれをくるくると回すと難が転じるそうです。

 現在はお初天神は学問の神様ではなく、曽根崎心中の悲恋の煩いが転じて縁結び、恋の神様として若い人に人気があるようだ。
 30年前、都はるみの歌で“大阪しぐれ”が流行っていたヶ。
「ひとりで生きてくなんて できないと 泣いてすがればネオンが ネオンがしみる 北の新地はおもいでばかり 雨もよう夢も濡れます ああ大阪しぐれ」・・・・



 

  


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4 コメント

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おはようございます (ippu)
2010-12-09 06:39:52
≪今日は昭和16年、日本が米・英に戦線布告した大東亜戦争が勃発した日である≫
まだ子供の私はわくわくして、翌年国民学校へ入りました。
Uchanさんも同じですか?
既に1年生でしたか?
とにかく昔のことですね。
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パールハーバー (しゅうちゃん)
2010-12-09 12:43:47
今から○年前、新婚旅行でハワイに行ったとき、何も判らず他の場所と一緒になったオプションのツアーで記念館?に行きました。
昭和天皇や奇襲攻撃の様子が写されており、英語での解説なので内容は理解できませんでしたが、なんとなく日本人として場違いな場所に来たと思った記憶があります。
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“わくわくして”・・・ (Uchan)
2010-12-09 13:19:55
ippuさんと同じく“わくわくして”いました。
我輩は4月生まれ、ippuさんは5月ですね。
69年前の事ですから、昔なら一人生は終わっているほど、大昔の出来事となりました。
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<しゅうちゃん>へ (Uchan)
2010-12-09 13:36:00
8月15日の終戦記念日はみんな、知っていますが、喧嘩(戦争)を仕掛けた日は若い人たちはあまり知らないようです。
 覚えてはいませんが郷里は、新発田16連隊のある軍隊町で士気高揚のため「提灯行列」を行ったとか、母親から来聞いたことがあります。
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