時々夜25/21℃
大型で最大級のスーパー台風19号は勢力を維持しながら減速し、3連休明けの13日夜には本州に上陸し、本州を縦断する可能性があると予想している。
有岡城址跡はJR伊丹駅の目の前にあった。 伊丹は摂津国の西摂とよばれた土地で、鎌倉時代の後期から伊丹氏の所領だったが戦国期に信長に攻められ、織田信長に家臣として迎えられた荒木村重が領有し、村重が伊丹城を改修し城下町全体を堀と土塁で防備した城総構えの城(有岡城)の城下町として有名な城として国の史跡に指定されている。数段の石階段を上がると有岡城跡本丸の説明石碑台があった。
伊丹市のHPによると城の構造は「主郭部と家臣団の住む「侍町」,そして一般町人の住む「町屋地区」に分かれています。主郭部は伊丹段丘が東に突出した位置に築かれ,西側と南側に人工の堀を設けていました。そして,侍町と町屋地区を含む東西0.8キロ,南北1.7キロの範囲を堀と土塁で囲んだ「惣構(そうがまえ)」の城としました。 また北・西・南の要所にはそれぞれ「岸の砦」「上ろう塚砦」「鵯塚砦」の3つの砦を築いていました。」とある。
「有岡城の戦い」は天正6年(1578年7月から翌天正7年(1579年)10月19日にかけて行われた籠城戦で信長に帰属していた城主、荒木村重が石山本願寺、安芸の毛利家と内通し、突然に謀反を起こしたことに端を発する。「伊丹城の戦い」とも呼ばれている。(wikipedia引用)
その後の「有岡城の伊丹は秀吉の直轄領となり、城主たる大名は置かれず,いつしか城は放置され、江戸期を経て、明治期に入ると,現在のJR福知山線の建設工事などにより城の主郭部の東半分が失われました。」と伊丹市のHPにある。 神戸で唯一の城郭「花隈城」は戦国期に信長が村重に命じて築城した城で荒木村重の一族の荒木 元清が支配していた城郭跡がある。。
城址跡には柿が実っていたが、今年の大河ドラマ「軍師 官兵衛」で官兵衛が村重の反逆の説得に行ったが村重により幽閉され脚を悪くした城跡でもある。 伊丹市の中心部は阪急宝塚線の伊丹駅とJR福知山線、伊丹駅の約700㍍が、そうであり大阪、神戸のベッドタウンらしく駅近くの周りは高層マンションばかりである。
有岡城本丸址跡からJR伊丹駅間は陸橋で繫がれ、駅の改札口を抜けると「イオンモール伊丹」に入り3Fのフード・コートで昼食をとり休憩した。 伊丹には都市公園「昆陽池」があり白鳥が自然放養されているほか、冬には多くのカモやカモメなど渡り鳥の飛来する野鳥の楽園として知られ時期になるとTVのローカル・ニュースで放映されるが時間もないので伊丹駅から尼崎駅で乗り換え三宮へ着いた。家へ帰って歩数計を見ると、この日は13,482歩の散策であった。 家内は翌日10日の夜、新潟の法要を終え帰宅した。
コメント
休み休みのスローテンポの散策でした。
日本のお城は城郭です城址跡では迫力がありません、
戦国期は有岡(伊丹)城主「荒木村重」が尼崎城、神戸の花隈城も支配していたことが勉強になりました。
村重が信長に謀反を起こさなければ伊丹はもっと賑やかな町になっていたかも知れません。
夕刻から夜半にかけ台風19号が接近しますが気付けましょー
お城が残って居たらもっとよかたですのにね-
それにしましても、凄い、歩数ですね、私は半分も無理ですね
ゆっくりと沢山歩かれたら、身体の為に、とても良い事ですね
今回はお一人でしたか 奥様もお一人で偉いですね
お気お付け下さい
弟、妹ともホテルや精進会席で語らいあったそうで当日、新潟駅で別れ、新幹線で帰ったようです。
一人で温泉は味気ないし、経済的にもそんな余裕は有りません。
台風を避けての一人旅、一日だけでも家事の炊事・洗濯なく、満足していたようです。
温泉でも入ってゆっくりされたら良かったのに。
家のことが心配だったのでしょうか。