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“こうべ海の盆踊り会場は神戸港メリケンパークで開催されているがメリケンとは「Americanの転訛で、子供の頃は小麦粉をメリケン粉と呼んでいた。昭和前期までは日常的に使用されたが、終戦後はアメリカンという表記に取っ代わられ、懐古的に用いられる場合を除いてはほとんど使われなくなった言葉」ウエキペイァにある。
神戸メリケンパークは神戸港事業の一つとして1987年にかつてのメリケン波止場と神戸ポートタワーが建つ中突堤の間を埋め立てて造成された。そこに海洋博物館・ホテルなどが建設されて、現在においては神戸港を代表する景観の一つとなっている。 平成7年阪神淡路大震災で崩壊したメリケン波止場をあえて復旧せずそのまま残して、1997年に神戸港震災メモリアルパークとして整備され、震災の貴重な記録が保存されて神戸市民の憩いの公園であり多機能のイベント会場となっている。
16:20「民謡生演奏大盆踊り大会(盆踊りコンテスト)」が演奏者、(木島一清、進藤聖子、西原和恵、佐藤美貴)による開始した。コンテスト出場者応募した各種団体・グループから選ばれた7組で生演奏で踊る曲目は全国お国に巡りでプログラムをみると①炭坑節(福岡)②デカンショ節(兵庫)③相馬盆唄(福島)④みなと音頭(兵庫)、⑤鹿児島おはら節(鹿児島)⑥ドンパン節(秋田)⑦ソーラン節(北海道)の順だ。響きの良い生演奏で踊り手が次第に集まり踊りの輪が段々大きくなって管理者の誘導で次第に見物客は後退してゆく。
コンテスト参加の団体の盆踊りが進行してゆくが目についたのが、丹波篠山のデカンショ踊りが初めてである。デカンショ節は旧制第一高等学校の寮歌として知られ有名であるが就学生の頃から歌っていたがデカンショの意味が全く知らなかった。
♪丹波篠山山家の猿が(ヨイヨイ)
花のお江戸で芝居する(ヨオーイ ヨオーイ デカンショ)
♪デカンショデカンショで半年暮らす
あとの半年寝て暮らす
♪灘の銘酒(おさけ)はどなたがつくる
おらが自慢の丹波杜氏(たんばとじ)
と歌詞は多くあるようだ。 デカンショの語源につて諸説あり丹波朝山の方言で、「出かせぎしょ」「デゴザンショ」の意味をもつという説を紹介するものがあるが灘の造酒蔵に出稼ぎに行かくが本当かも知れない。デカンショの意味もも知らず70歳後半になってから歌っていたデカンショの意味が理解できたのである。
6番目に登場した秋田”ドンパン節”踊りにも驚いた、どこの国の外人さんか知らないが6~7ヶ月の妊婦さんのドンパン踊りである。
ドンパン踊りのバージョン振り付けよろしく腰とお腹をくねらせ、なまめかしく踊る。 周りのおばーさんは「夏と云えお腹の赤ちゃんが冷えへんかしら?」司会者はドンパーンと赤ちゃんは元気に出てくるでしょーと笑わせていた。 ご主人は日本人らしく2番目の赤ちゃんだそうです。
もう一つ5番目に登場した‟中央区老人会”の鹿児島おはら節の老人20名、これも振り付けの動きが激しく、竹製のカスターネット両手で打ちならし、活動的で左端で踊るご老体は杖をもって毎朝、公園のラジオ体操に参加している御仁である。
翌朝聞いてみるとやはりご本人で民謡踊りコンテストで中央区老人会の「鹿児島おはら節」が3ヶ月の練習成果で3位に入賞したと喜んでいた。 更に昨朝、4Aサイズにプリントして差し上げると大変喜ばれたのである。
盆踊りコンテストは17時過ぎに終了したが、引き続き布引音戸、ポートタワー音戸、神戸ハイヤ節などのご当地民謡の総輪踊りや表彰式などの演目があったがバス時間気になり元町まで歩いて帰路についた。
神戸港メリケンパークは夕立もあり海風で涼しく、涼をを求めて若いカップルがイベント会場へまだ向かっていた。
盆踊りの大きいやつですね。
色々な踊りも入っていて
飽きないよう工夫されていますね。
夜遅くまで皆さん楽しまれたことでしょう。
暑い夏も吹っ飛んでゆきました。
暑さにめげず毎朝サイクリングでのブログ書き込みでお元気なご様子、何よりです。
ブログアップ画像評価有り難うございます。神戸はまだまだ暑さが続きそうです。
コメント有り難うございます。
民謡踊りコンテストに出場したグループは学生、踊りの会、老人会・・・と其々様々で従来の型にはまった踊りでは無く現代風なダンスの振り付けで斬新で観ていてもで面白いです。
外人さんの妊婦さんのダンパン踊りは今年だけでしょー