10/4℃
先日、大阪淀屋橋付近をぶらり散策したが土佐堀川があるので大阪市役所の受付で“土佐稲荷神社”を尋ねると西区の西長堀の中央図書館の近くにあると教えられた。大阪への所要は15分たらずで終わったので地下鉄千日前線西長堀駅で下車し5分足らずで土佐稲荷神社へ着いた。 参拝を済ませ社務所でいろいろ尋ねると神社は大阪土佐藩邸の跡地で幕末、土佐藩は武市瑞山、坂本竜馬、中岡慎太郎、後藤象二郎ら土佐藩出身の志士がさかんに京都土佐藩邸(木屋町通蛸薬師)と、土佐藩の活躍の場所だった。 岩崎弥太郎は土佐藩の地下浪人の家の生まれでだが土佐藩の長崎留守居役となり坂本竜馬らと活躍し廃藩置県後大阪の土佐藩邸を譲り受け邸宅とした。
弥太郎翁はここを本拠に海運業の三菱商会(現、日本郵船)を設立し海運業を軸に各種事業を興し、政商の旧三菱財閥の発祥地で土佐稲荷神社は旧三菱財閥の氏神でもある。 世界各国にみられる三菱グループのスリーダイヤは土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせものだそうだ。 土佐稲荷の社殿をみると賽銭箱や屋根の金具類はスリーダイヤが刻み込まれている。
土佐稲荷神社の社殿。神紋には三菱グループの象徴・スリーダイヤモンドマークが入っている。
三菱商会は明治2年、明治新政府は明治天皇が京都から江戸へ東京奠都し政治機構の中心は京都から江戸に移り東京と改められたので東京に拠を移し三菱合資会社を設立して貿易・金融・造船・鉱業などあらゆる分野に進出して明治政府の御用事業体となり日本最大級の旧三菱財閥となり戦後は財閥解体された。 旧三菱企業体は組織で動く財閥で解体されても現在でも三菱グループとして結束し、あらゆる分野でその機能を発揮している。
<神社の外を取り巻く三菱グループまたは系列の事業名入りの卒塔婆石の一部画像>
そのリーダー役は金曜会のメンバーでやはりグループ全体は組織で動いているようだ。 10年ほど前に三菱自動車工業がリコール問題で販売不振となったが傘下企業の強力な支援・協力で立ち直りは短期間で回復している。
大阪は三菱だけでなく日本の旧財閥の住友・鴻池のほか伊勢の三井は江戸へ、日立造船は神戸の英国の実業家ハンターが大阪鐵工所を設立したのが前身で、近畿ではそのほか近江商人が設立した財閥系が数多く、豊臣秀吉の大阪築城以来、堺を含め商都とされてきた。 奈良時代に大阪は難波宮と一時期は都あった処で「大阪維新の会」が提唱する大阪都は歴史的にみても名前だけでも大阪市と大阪市が合体した大阪都でも不思議ではない。 現在の東京都は戦時中の昭和18年(1943)に東京市と東京府が合体した中央政府の直轄行政区画だった。 近畿には京都府と大阪府と2府あるが現在の行政区画の県と行政の機能的には同格で何ら変わりは無く歴史的な名残りでしかない。 どの政権でも国の権限を委譲するのは避けるが現在の政治体制は東日本大災害時時でも対応が行き詰まっているようだが東京都の他に中京圏と近畿圏に都構想があってもよいのではないかと思うのである。
“土佐稲荷神社”があることを始めて聞きました。
岩崎弥太郎の実家には2度3度行きました。
この神社は
大阪土佐藩邸の跡地に建っていたのですね。
機会を作って参拝に行ってみたいです。
いい情報をありがとうございました。
コメント
昔、土佐稲荷は知っていましたが、淀屋橋の土佐堀川付近で何時でもと行けると思っていましたが20数年経てようやく行けることが出来ました。
岩崎弥太郎の生家は行った事がありませんが、弥太郎は土佐藩の地下浪人でしたから貧しかったのでしょうね?
土佐藩邸跡を三菱が譲渡受けたのは理解できるが、
神社まで譲り受け紋章までスリーダイヤにするとはさすが三菱財閥。
今晩はコメント
神社守りを引受け現在も大阪の夜桜の名所として知られ地域住民に喜ばれているそうです。
神門が個人の家紋
チョット珍しいですね。
有り難うございました。