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法善寺横丁を抜け地下鉄日本橋駅へ行くとお馴染みの“かに道楽”千日前通中店の看板が見えた。 千日前通には難波花月(現グランド花月)へ二度と、京都の料理店を営む友人に教えられ道具屋筋商店街に家内と訪れたことがあり料理道具・厨房道具なら何でもある。 しかし、20数年前の街の様子は変身している。 千日前は江戸時代まで大阪西奉行の刑場と墓地で明治の初めに移転しその跡地に芝居小屋や飲食の街として繁盛した。
その後、娯楽の施設として開発され火災と戦災をへて難波・道頓堀なと並んで、大阪ミナミを代表する繁華街の一つとなったとある。 「食い倒れの街」大阪、立ち並ぶ飲食街を漫歩し少し早かったがラーメンを食べたがスープが濃く若者向きだが、一般的に神戸の中華そば美味しい様な気がする。 まだ少し時間があったので南へ足をのばした。
昭和の終わり頃までは京都花月、梅田花月、なんば花月の3劇場があり入れ替えなしの興行でメデアの発達した現在は“なんばグランド花月”一か所だけである。
大正12年の関東大震災後昭和の初め頃まで東京の寄席芸人が舞台に上がっていたそうである。 まだ週休五日制が普及していない土曜日の午後は京都花月と梅田花月に行き笑いで癒していた。 当時の吉本興業の名物経営者、林正之助元会長(故人)が現在の吉本の長老格の寄席芸人を育て吉本興業を上場企業までに築き上げた。 道具屋筋商店街へも行きたかったが打ち合わせ会合に間に合ないので地下鉄日本橋駅から堺筋本町へ向かった。
久しぶりに再度訪れる名所、旧跡や娯楽地は過去を思い出し訪れるが環境整備され便利になったが、その反面、京都などは周りが駐車場となり観賞・展示物変わりはないが周りの景観が昔と比べると良くない。
大阪の帝国ホテルがオープンしたとき1泊し、桜を見ながら、大阪の街を結構あちこち回ってきました。