17/8℃
今日は南からの風で11月上旬の気温で過ごしやすい。 先週家内が「今年は婚暦何年?」と一人でつぶやいていたが今日で46周年である。
結婚記念日には周年毎に名前があるようだが45年はサファイア婚であとは50年の金婚式まで名前はない。 金婚式まで婚暦のシンボルはサファイア婚でいかなければならない「婚暦は?」と聞かれたら、はい「サファイア婚2年目です」と応えれば少し格好良いかもしれない。
サファイア(和名青玉)
結婚記念日であるが思い出せるのは2年目の藁婚式で昭和38年富山県の新湊市だったが長女も生まれ何か記念と思い上画像のネジ巻き(30日巻)式柱時計を買った。 賞与も出たところなので当時の給与の半分以上の価格もするもであったがこの小型時計、故障・修理は一切無く2分程度の進む誤差は有るが45年間正常に動いていている。まさにサファイア以上の夫婦の宝物だ。
時計屋にこの話をすると今時、ネジ巻き柱時計は珍しく時計マニュァやコレクターには高値で売れるそうだが実際はどうだか判らない。 あと記憶にあるのは銀婚式である。
12月9日前の金曜日の夜に三重県境の新宮市に和歌山から出張要請がが入いった。 この時は25年の結婚日を意識していたのか家内に出張同行を持ちかけたら二人の娘も大きくなっているので旅行気分で難波JR天王寺駅から紀伊線で金曜の朝新宮市へ向かった。
仕事をを終え翌日新宮市内観光と瀞峡観光をした。
ウオータージェット船で瀞峡を行き来する景色は素晴らしく今でも眼に残っている。 瀞峡観光後〝鯨の町太地町”近くの国民宿舎に宿を取ったが宿泊客は師走のせいか数組でレストランでの朝食時、当時、太平洋を行き交う観光船“サンフラワー号"が航行しいたが家内は一度観光船に乗ってみたいと云っていたがまだ実現はしていない。
町内の「くじら博物館」等を見学後、昼食に鯨料理を食べたが鯨の刺身を初めて口にしたが高価なわりに美味しいとは思わなかった。
太地町から“那智の瀧”へ行ったのだが拙者は3度目の瀧見物で鯨料理からお酒の飲み続けで家内はご機嫌斜めである。 大阪天王寺駅に着いたのは20時近く西宮の南甲子園の社宅に着いたのは22時頃だったと思う。 今から21年前のことである。
あと4年で77歳の金婚式、さて健康体を維持できるか、どのように祝おうかと思っているのだが
・10300歩
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