31/26℃
太平洋高気圧の張り出しが弱く南からの湿った空気と北からの高気圧の谷間に寒気が入り込み、打っ付かり合いで昨日から新潟県(中越地方)福島県(会津地方)激しい記録的豪雨で日本海に流れ込む信濃川、阿賀野川の水系等が決壊氾濫、土砂崩れなどで、多くの住民に避難勧告がでている。 福島県は中通り、浜通りは地震・津波と原発の放射能、会津は大豪雨とトリプルパンチ災害のようだ。
マンションの北側に灘区の“山麓リボンの道”1万歩ロードコース(起点王子公園⇔神戸護国神社)があるが昨日家から神戸護国神社前まで行くとお祭の提灯が飾られていた。 掲示看板をみると「献灯=鎮座記念“みたまつり”」とある。 護国神社は東京都(靖国神社との兼ね合い)と神奈川県(護国神社は社殿造営計画がありながら戦時中で建てられず幻の神社となり、造営跡地が戦後、公園となりただの慰霊塔と安置堂のみ)を除く道府県にある。(所によっては複数社)
各護国神社には明治以降(西南の役)護国の英霊を祀るが神戸護国神社は1941年灘区王子町に社殿が造営され、神戸空襲で焼失し1959年に現在の地に社殿を復興し、遷座したされ、兵庫県東部地区(摂津国)の英霊約5万3千柱を祀る神社で現在は自衛隊の自衛官の殉職者も祀られている。
<兵庫県西部地区(播磨国)の英霊は姫路護国神社に祀られている。>
神社まででは徒歩15分少々で行ける。 盆踊りの櫓も組まれており、夜店も出るので夕食抜きで家内と18時過ぎに行ってみた。
護国神社に着くと宮司さんが挨拶していたが、神戸護国神社は王子公園の神殿が戦災で焼かれ灘区篠原に昭和34年に社殿が造営され遷座されたのが7月30日でそれを記念しての「神戸護国神社御霊祭り」で英霊の遺族も高齢化しているが地域の人々の協力で盆踊りで若き人生を犠牲にした英霊を弔う神戸護国神社の祭りのようだ。
宵闇もせまり、踊りの参加を呼びかけるように“炭坑節”を3回ほど流し、輪踊りが始ったが踊り手グループの浴衣が違うが、なんか虎縞模様の浴衣があり、さすが“おばさんも虎キチの街”と思ったが近づいてみると違っていた。
合間を見て夜店の「たこ焼き」を食べたが、屋台といえ表皮がカラリとしているが蛸も大粒でクルーミーで美味しい。 神戸護国神社御霊祭りは今夜はもっと賑やかであろう。 あと半月もすると、66年目の終戦記念日をむかえる。
27日に台風9号が発生し、日本列島に向かっているが来月1日頃接近する予想だが今度はまた西日本のようだが注意を要する。
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