AI
一部の人間がコンピューターを使って作り上げた「人工知能」の事である。
で、このAI(人工知能)は「神」なのか「悪魔」なのか。
使い方によっては「神」にもなるが、いつ何時「悪魔」に変身するかは誰にもわからない。
それどころか、「神」にも様々あって、「疫病神」だって神には違いはないのだが・・・・。
AI
一部の人間がコンピューターを使って作り上げた「人工知能」の事である。
で、このAI(人工知能)は「神」なのか「悪魔」なのか。
使い方によっては「神」にもなるが、いつ何時「悪魔」に変身するかは誰にもわからない。
それどころか、「神」にも様々あって、「疫病神」だって神には違いはないのだが・・・・。
今年の流行語大賞に「ふてほど」が選ばれたというが、私には全く意味の分からない言葉で、初めて聞く言葉でもあるが・・・・。
そこで・・・・。
昨日ボウリングに行ったついでに10人くらいの人に聞いてみたが、「聞いたことはある」という人は1人だけ。
他の人は私と同じで、「流行語大賞に選ばれたことで初めて知った」という答えが。
それが何故「流行語大賞」に選ばれるのか?。
これはネット社会が引き起こした「弊害」だと私は思うのだが・・・・。
正直、「兵庫県知事選」「アメリカ大統領選挙」でも巧妙な形で「ネットの力の悪用?」が行われていると思うのだが。
で、私もこうしてネットと繋がってはいるが、ネット上の話はほとんど信用はしません。
私は常に新聞(朝日新聞です)を購読していて、テレビは「NHK」以外はほとんど見ません。
私はかなり前から心配そしていたのだが、いよいよその心配が現実の話になってきました。
AI。
これは「人工知能」のことを言うが、人工知能は生身の人間とは違い、「理性や感情」というものを持たず、「事の善悪」を見極める能力もありません。
それでは何を元に答えを出すのか。
それは・・・・。
「ネット上の情報」の中から「数の多い少ない」を基準に出すのです。
そのため、その気になれば「人工知能を操る」ということも可能だろう。
いわゆる「数が支配する世界」なので、AIはいくらでも操ることは可能なのです。
数が支配する世界。
これは「数が多いものが正義」ということであって、これを現実の世界に当てはめると・・・・。
刑務所内では「囚人の方が正しい」ということになる。
ちなみに、最近はこれを悪用する輩も増えているようで、これによって「社会の混乱」も起き始めている。
「兵庫県知事選挙」「アメリカ大統領選挙」などはその典型かも。
ちなみに、私はスマホは持っておらず、情報をネットに求めたりもしません。
中国、ロシア、北朝鮮などの国では、「国による報道規制」が行われていて、国家にとって都合の悪い情報はほとんど闇の中に葬られてしまう。
が、日本ではどうなのであろうか。
実は、日本でもそれに近いことは行われているのです。
が、日本では国が関与することは少ないが、実際は国が関与していないだけで、膨大な量の「情報規制」「情報操作」は日常的に行われているのです。
それでは、一体誰がそれをしているのか。
それは・・・・。
企業、組織、団体、多くの国民なのです。
そう、多くの人が個人的に「情報規制」をしているのです。
ちなみに、私のブログはコメント欄を開放しているが、誤った情報やいい加減な情報を書いている人の多くはコメント欄が無かったり「承認制」にしてあることが多く、都合の悪いコメントは受けつけず、都合の良いコメントのみを表示する。
これは明らかなる「差別」である。
「口コミ」などもそうであろう。
都合の良い口コミは表示しても、都合の悪いものは削除。
「いいね」のボタンはあっても、「悪い」のボタンはない。
かつてはこんなことも。
ある人が私のブログにコメントを書いてきたので私もコメントを返していたのだが・・・・。
その人のブログに大きな問題点があり、私がそれを私が指摘したところ、それまでは公開されていたコメント欄が、突然「承認制」になってしまい、私のコメントは表示されなくなったのです。
それでもコメントしていたところ・・・・。
ある日突然「閲覧不能」に。
そう、国家レベルではなく、一個人レベルでの「情報操作」はごく普通に行われているのです。
「お客様は疫病神だ」と書いたように、有権者もまた「疫病神」である。
別の言い方をするなら「クレーマー」である。
ちなみに、成人になればだれにでも「選挙権」が与えられるが、これを「国民の権利だ」と主張する人も多い。
が・・・・。
権利には必ず「義務」が付きまとうのだが、誰一人としてこの「義務」に関しては「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んでしまう。
が、これは「無銭飲食」と同じなのだが・・・・。
自民党による「パーティー券」問題にしても、肝心な議員はほとんどが「不問」で終わるのも似たようなものである。
ちなみに、議員は「期間が決まった契約社員」と同じで、常に頭の中にあるのは・・・・。
「次の選挙でいかに票を集められるか」であって、それにはそれ相応のお金も必要になる。
そう、選挙で落選すると「再契約は無し」ということになるので、議員の資格もなくなってしまうからである。
俺を避けるには嫌でもお金は必要になる。
が、そのお金には表に出せないものも多い。
なので、
かつては「5当4落」などとも言って、「5億使うと当選するが、4億だと落選」などとの皮肉も出るくらいお金が必要なのだが・・・・。
何故こんなにお金が必要なのか。
それは、それだけ有権者がお金で動きやすいからである。
が、そのことに触れる有識者(評論家も)もいない。
それは一体何故なのであろうか。
それは・・・・。
ほぼ議員と同じ立場に置かれているからにすぎないのだから。
議員たちと同じで、有権者を敵に回すと仕事がなくなるので、仕事がなくなれば生活も立ち行かなくなる。
だから、有権者を敵に回すような発言はしない。
が、私にはそのような弱身はないのでこういうことも書けるのです。
ちなみに、私だって議員になる機会はいくらでもあったが、有権者(支持者)のあまりにも身勝手な事を知っているので、その気にはなれないだけなので。
私よりもっと優れた人を何人も知っているが、その人たちも私と同じ考えなので、「議員なんて馬鹿らしい事などする気はなと言います。
ということで、政治を変えるには有権者が変わらないと無理なのです。
そう、「有権者はクレマー」なのだから。
「お客は疫病神」だと書いたが、それでは有権者はどうであろうか。
以前私はこのブログで「有権者は気楽な稼業」とか「身勝手な有権者」と書いてきたが・・・・。
「有権者はクレーマーだ」とも言いたい。
もちろん「疫病神」でもあるが。
で、今国会では「パーティ券収入」収入で大騒ぎになっているが、この問題の根源はどこにあるのか。
「派閥に問題がある」と言う人も多く、主だった派閥の解散も報じられている。
が・・・・。
私に言わせるなら、問題の根源には「有権者」も大いに関わっているので、「政治と金」の問題は有権者も考え方を改めない限り無くならない問題なのだが・・・・。
つづく。
正月のある番組で、ある大学の教授が言っていた。
私も同感である。
昔から「常識のウソ」と言う言葉が有るように、情報化社会になった現在では、「常識(情報)のウソだらけ」と言ってもよい。
日本の社会では「数の多いものが正義」と言う風潮が有る。
「ナンバーワン」が重用され、「オンリーワンは育ちにくい社会」と言ってよいだろう。
「ナンバーワン」を求めれば、当然の結果として「格差を生む」と言う事になる。
「オンリーワン」であれば、他人と比較する事は無いので、「格差」と言う言葉自体意味がなくなってしまう。
インターネットが発達した結果、世界中の情報が簡単に手に入るようになったのだが、その情報の中身は「信頼できるもの」であろうか?。
単に、「興味本位で面白おかしいブログ」が人気を集めている。
その一方で、「物事を真剣に考えている人」などは、「ブログを書く暇が無い」か、「ブログを書く気にならない」と言うのが実情ではないだろうか?。
以前にも書いているのだが、何かを調べようとして探しても、「必要な情報が見つからない」と言う問題がよく起きる。
多くの人は「大量の情報」にどっぷりと浸かってしまい、「情報を選別する能力」を失っている。
「頭のよい(悪い言い方をすれば、狡賢い)企業」は、その事を巧みに利用して業績を伸ばしている。
一種の「マインドコントロール(洗脳)」と言えるであろう。
その結果として、たとえ「おかしな情報」であっても、「多数の人が受け入れる」と言うことにより、「一見正しい情報」に化けてしまうのである。
中東などでよく起きる「自爆テロ」などは、その「典型的な例」と言えるであろう。
私の近所に、今年「87になるおばあさん」がいる。
時々話をする事が有るのだが、私とよく話が合うのである。
政治、経済、福祉、格差、・・・・・と、普通の人であれば嫌がるような話でも、嫌な顔一つせずに聞いている。
そればかりでなく、疑問に思うことを聞いてくる事もよく有る。
「けして多いとは言えないほどの年金」で暮らしているのだが、殆ど「不平不満」を言うのをを聞いた事が無い。
私も似たような額の年金しかもらってはいないが、「現状の日本の経済状態」を考えれば「文句は言えない」であろう。
「情報(常識)のウソ」を見分けて、「オンリーワン生活」をしたほうが「心穏やかな人生」を過ごせると思うのだが・・・。
次々と送られてくる、「売らんかな」と言う「商業主義に充ちた情報」に踊らされて、人間にとって一番大切な「心」をなくしてしまったように思えてならない。
「情報化社会」だからと言って、けして油断してはならない、「情報を発信する側」は、「悪質な情報」でない限り「責任を負う」と言うことは無いのである。
いくら情報に振り回されたとしても、基本的にはすべて「自己責任」と言う事になるのである。
余りにも他人任せで、「自己責任と言うことを忘れてしまっている人」が増えている。
2008.01.07.
追記です。
この記事を書いたのははもう16年近くも前のことで、今ではすっかり状況も変わっています。
で、16年前だとまだスマホもほとんど普及していなかったが、今ではスマホの普及も進み、誰でも簡単に情報の発信ができる時代です。
が・・・・。
その分情報の信頼性は大幅に低下。
動画の配信も至って簡単になったが・・・・。
その分面白半分や興味本位のものも激増し、「広告収入目当て」に嘘や出鱈目を書く人も。
そえに踊らされて喜ぶ人も増え、嫌な世の中になったもにのです。
かつて「お客様は神様でございます」などと言う人もいたが、その意味をはき違えて悪用する愚か者が最近増えていて、「カスタマーズハラスメント(カスハラ)」という言葉も生まれている。
が、そもそも「神」とはいったい何なのであろうか。
で、私は神の存在を否定はしないが、肯定もしない。
ちなみに、日本では古来より「八百万(やおよろず)の神」という言葉があるように、非常に多くの神が存在することになっている。
八百万の神。
「八百万」
これを「はっぴゃくまん」と読んだ人もいるが、本当は「八百」と「万」は切り離して考えないといけない。
「八百」は「八百屋」と同じ意味で使われ、「万」は「万屋」と同じ意味になる。
「八百」は「沢山」という意味で、「万」は「様々」という意味に。
ということで「八百万の神」は「沢山の様々な種類の神」という意味に。
なので、「七福神」のように目出度い神もいるが、「疫病神」「貧乏神」もいるのだ。
もちろん、「死神」だっているのだ。
それでは、御客はどのような神になるのだろうか。
「福の神」になる人もいるにはいるが、最近は「疫病神」が激増しているように思えてならないのだが。
ちなみに、私は「疫病神」だけにはならないようにしているのだが・・・・。
国が発行済みの「赤字国債」の総額である。
国債=借金、だと言う事を知らない人がいる。
国民一人当たり、「400万以上」になるのだが、これは国の分だけ。
都道府県、市区町村などが発行している「地方債=借金」は含まれていない。
地方債まで含めると、一体どの位の額になるのであろうか?。
この額が更に増えると言うのである。
地方のために、都市部の税収の一部を地方に振り向ける代わりに、不足分の地方債の発行を国が認めた。
つまり、「足らなければ借金をしろ」と言うのと同じ事である。
国債にしろ地方債にしろ、借金に変わりは無い。
満期が来れば、償還=返済、しなくてはならないのだが、返す充てがあるわけではない。
新たに債券を発行してそれに充てるのである。
「自転車操業」と同じ事なのだが、借金には利息が付き物である。
つまり、毎年の予算の一部は、「利息の支払い」に回さなければいけないのである。
タダでさえ不足している税収の中から、利息として消えてゆくのだから、予算編成は大変な作業になる。
「増税なき財政再建」など、「絵に描いた餅」と同じである。
「無駄を無くせ」と言う声が多いのだが、「無駄を無くす」と言うことも、「諸刃の刃」だと言う事を忘れないで欲しい。
「風が吹けば桶屋が儲かる」と言うのと同じ事で、「風(無駄)が吹かなければ桶や(経済)は儲からない」のである。
「公務員を減らせ」と言うが、減らされた公務員は、失業してしまう。
失業したままでは生活できないので、民間の人の職場を奪うことになる。
職を奪われた民間の人はどうなるのであろうか?。
「ニート」「ワーキングプア」が増えているのは、「公務員減らし」も原因の一部になっているのである。
就職戦線にしても、「東京などの都市部」では、「売り手市場」になっているのだが、「団塊世代の大量退職」などの要因によるもので、「一時的なもの」と考えた方が良いと思う。
「デフレ下の物価上昇」は、「更なる合理化」により「人員削減」が必要になるであろう。
「原油高騰」「サブプライムローン問題」などの「外部要因」に対しては、日本の力は「無力」と言っても良いであろう。
経済発展を求め、「あれもしろ、これもしろ」と言っていると、国債(借金)は、経るどころか「益々増加の一途」をたどるであろう。
国債の発行が「ある限度」を超えてしまうと、夕張市どころではない、「日本と言う国が財政再建団体になる」と言う事に成りかねない。
日本と言う国が財政再建団体になったら、どうなるのであろうか?。
とても想像する事は出来ない。
2007.12.21.
追記です。
この記事を書いてからおよそ15年経つが・・・・。
この時点では553兆円だっクニノシャッキンガ、年前からの新型コロナの蔓延も大きく関わっていて、今ではなんと「1250兆円」という巨額の借金に膨れ上がっている。
国民一人当たり「400万円」だったのもが、今では「1000万円」と、2.5倍にも膨れ上がってしまった。
が、これも「0金利政策」なのでこの程度で済むが、金利が上がるとそれがさらに上乗せされる。
新型コロナの蔓延も問題だが、それ以上に問題なのは「1250兆円」という赤字国債の発行額だが・・・・。
今は新型コロナにばかり気がとられていて、赤字国債に関心を持つ人はあまりいない。
さて、借金大国の日本です。
財政破綻はそう遠くない話かも。
戦後も貧しい生活も朝鮮戦争の勃発により「戦争特需」が発生し、日本は貧困生活から脱出。
そして「高度成長期」を迎えるが・・・・。
景気には波がつきもので、右肩上がりで成長をしている時は良いが、永久に右肩上がりなどありえないことで、波の谷間に入り込むことも。
そうすると・・・・。
国の財源である「税収」も落ち込む。
税収が減ったらどうするか。
これは一般家庭でも同じである。
会社の業績が悪くなればその分給料も減る。
給料が減れば、その分は預金を切り崩すか、買い物を控える。
買い物を控えれば・・・・。
子供たちからは文句が出る。
国の税収が減ると翌年度の予算編成が難しくなり、国民からは文句が出る。
国民から文句が多くなると・・・・。
政権政党の支持率が下がる。
しかし、財源がなくては国民の期待には答えられない。
そこで・・・・。
窮余の策として「国債の発行」という禁断の木の実に手を出したのである。
一部には「国債発行は麻薬と同じで、手を出すべきではない」という意見もあったらしいが、結局は国債の発行という禁じ手を使うことに。
国債とは言うが、その正体は「国の借金」である。
返すあてのある借金なら良いが、そのあてはない。
ちなみに、返す充てのない借金(国債発行)は今どのくらいあるのか。
新型コロナの話題ばかりに気を取られていて「赤字国債」という言葉もあまり聞かなくなったが、今では「1250兆円」という膨大な額になっているらしい。
1250兆円。
国民一人当たり「1000万円」の借金を抱えているのと同じなのだが・・・・。