私はこの週刊誌を読んではいないのだが、小さな文字で「東電だけを悪者にするのは無責任。日本人全体に責任がある」と言う小学6年生の言葉だけで十分である。
日頃から私がブログに書いていることと同じで、小学生でもわかることが、何故大人にはわからないのだろうか?。
実は、わからないのではなく、自分たちの責任を東電に押し付け「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んでいるのだ。
私はブログ以外の場でも同じことを言うのだが、反応は何時も同じで、「シカト」されるのが関の山である。
しかし、今現在大人であっても、過去には小学生の時代があり、そのころはもっと純粋な心を持っていたはずなのだが・・・・。
「朱に交われば赤くなる」と言う言葉があるように、純粋な心を持った小学生も、大人になり社会の一員になるとともに純粋な心が汚れてゆくのである。
話は少しそれるが、世論は「政治に民意が反映されていない」と言うが、実際は「民意に振舞わされた結果今の政治がある」のと同じように、福島原発の事故も「より良い快適な生活を国民が求めた結果」なのである。
私が子供の頃は無かった便利(快適)な物があふれている現在である。
そして、その多くが電力を必要とする。
電力需要はうなぎ登りで増加し、原子力発電に手を出さざるを得なくなってしまったのである。
しかし、ここで重要なことが見落とされていることに気が付くべきである。
株の投資などで使われる言葉に「ハイリスク、ハイリターン」と言う言葉があるが、原発にもこれが当てはまるのである。
「何処が?」と思われるかもしれないが「原発は発電コストが安い」と言う事を思い出して欲しいのだ。
「発電コストが安い=ハイリターン」なのである。
ハイリターンである以上「ハイリスク」でもあることを忘れているのだ。
「発電コストが安い」と言う事は、「事故が起きなければ」と言う事が前提条件で、今回はその前提条件が崩れてしまったのだ。
原発を設計した技術者にしても、東電にしても「事故は起きない」と確信していたのかもしれないが、この世の中に「絶対大丈夫」と言う事があるのだろうか。
「想定外」などとよく言われるのだが、「想定の範囲」はいったい誰が決めるのだろうか?。
これは全て決める側の思惑で決まるのだが、自然は人間の思惑など考えてはくれないのだ。
「過去に・・・・」と言う事もよく言われるのだが、「過去は過去であって、未来ではない」と言う事にも気がつくべきだろう。
「過去何万年も・・・・」と言っても、それは所詮過去の話で、「地球誕生以来初めての事」だって起きる可能性はあるのだ。
世界最高峰のエベレストにしても、インド半島が大陸に衝突した結果出来たもので、石灰石の採掘で有名な、秩父の武甲山(1,303m)だってかつては海の中だったのだから。
私の住んでいるところは更に深い海の底だったのである。
このように考えてゆくと「何が起きてもおかしくない」と考えるべきで、如何に想定の数値が意味を成さないものかわかるだろう。
しかし、こんないい加減な想定の数値がはじき出されたのも、安い電力の供給を求める国民の要求が根底にあるのだ。
「それにしても・・・・」と考える人もいるだろうが、想定の数値を高くすると「コストが上がって安い電力を供給できなくなる」と言うジレンマが起きるのである。
管政権の対応にしても同じことが言えるだろう。
「管総理は頼りない」と言うが、そんな人を総理大臣にしたのはいったい誰なのだろうか?。
民主党政権を誕生させた国民のせいではないだろうか?。
しかし、自民党政権が続いていたとしても、結果は「似たり寄ったり」ではないだろうか。
国民全体が変わる必要があるのだが・・・・。
日頃から私がブログに書いていることと同じで、小学生でもわかることが、何故大人にはわからないのだろうか?。
実は、わからないのではなく、自分たちの責任を東電に押し付け「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んでいるのだ。
私はブログ以外の場でも同じことを言うのだが、反応は何時も同じで、「シカト」されるのが関の山である。
しかし、今現在大人であっても、過去には小学生の時代があり、そのころはもっと純粋な心を持っていたはずなのだが・・・・。
「朱に交われば赤くなる」と言う言葉があるように、純粋な心を持った小学生も、大人になり社会の一員になるとともに純粋な心が汚れてゆくのである。
話は少しそれるが、世論は「政治に民意が反映されていない」と言うが、実際は「民意に振舞わされた結果今の政治がある」のと同じように、福島原発の事故も「より良い快適な生活を国民が求めた結果」なのである。
私が子供の頃は無かった便利(快適)な物があふれている現在である。
そして、その多くが電力を必要とする。
電力需要はうなぎ登りで増加し、原子力発電に手を出さざるを得なくなってしまったのである。
しかし、ここで重要なことが見落とされていることに気が付くべきである。
株の投資などで使われる言葉に「ハイリスク、ハイリターン」と言う言葉があるが、原発にもこれが当てはまるのである。
「何処が?」と思われるかもしれないが「原発は発電コストが安い」と言う事を思い出して欲しいのだ。
「発電コストが安い=ハイリターン」なのである。
ハイリターンである以上「ハイリスク」でもあることを忘れているのだ。
「発電コストが安い」と言う事は、「事故が起きなければ」と言う事が前提条件で、今回はその前提条件が崩れてしまったのだ。
原発を設計した技術者にしても、東電にしても「事故は起きない」と確信していたのかもしれないが、この世の中に「絶対大丈夫」と言う事があるのだろうか。
「想定外」などとよく言われるのだが、「想定の範囲」はいったい誰が決めるのだろうか?。
これは全て決める側の思惑で決まるのだが、自然は人間の思惑など考えてはくれないのだ。
「過去に・・・・」と言う事もよく言われるのだが、「過去は過去であって、未来ではない」と言う事にも気がつくべきだろう。
「過去何万年も・・・・」と言っても、それは所詮過去の話で、「地球誕生以来初めての事」だって起きる可能性はあるのだ。
世界最高峰のエベレストにしても、インド半島が大陸に衝突した結果出来たもので、石灰石の採掘で有名な、秩父の武甲山(1,303m)だってかつては海の中だったのだから。
私の住んでいるところは更に深い海の底だったのである。
このように考えてゆくと「何が起きてもおかしくない」と考えるべきで、如何に想定の数値が意味を成さないものかわかるだろう。
しかし、こんないい加減な想定の数値がはじき出されたのも、安い電力の供給を求める国民の要求が根底にあるのだ。
「それにしても・・・・」と考える人もいるだろうが、想定の数値を高くすると「コストが上がって安い電力を供給できなくなる」と言うジレンマが起きるのである。
管政権の対応にしても同じことが言えるだろう。
「管総理は頼りない」と言うが、そんな人を総理大臣にしたのはいったい誰なのだろうか?。
民主党政権を誕生させた国民のせいではないだろうか?。
しかし、自民党政権が続いていたとしても、結果は「似たり寄ったり」ではないだろうか。
国民全体が変わる必要があるのだが・・・・。