へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

「民主主義は数が全てだ!」って本当?

2010年09月29日 04時52分30秒 | Weblog
民主党の小沢一郎がよく口にする言葉だが、民主主義の基本原則に「数が全て(多数決)」などと言う言葉は存在しないはずである。
議会制民主主義においては、様々な問題を賛否によって決めなくてはならないケースが多く、止むを得ず「多数決」と言う手段を使うことになるのだが、この場合でも「少数意見を尊重した上での多数決」でなくてはならないはずで、「数で全てを決する」と言うような事が有ってはならないのである。
更に問題なのは「どの範囲を基準にした多数決であるか」と言うことである。
範囲が狭ければ狭いほど「多数派工作」と言う事も起きがちで、力のあるものが多数派工作をすることが多い事を考えれば、「多数派=正しい意見」と言うことはできないのである。
更に問題なのは「数が全てだ!」と言う理論が成り立ってしまうと「刑務所の中では囚人の方が正しい」と言うことにもなってしまい、「民主主義は数が全てだ!」と言うのは「非常に危険な考え方」と言うことになってしまうだろう。

今回起きた「中国漁船の領海侵犯問題」でも、小沢一郎が言うように「民主主義は数が全てだ!」と言う論理を当てはめると「中国漁船の行為は正当である」と言うことになってしまいかねず、ひいては「尖閣諸島は中国のもの」と言うことにもなりかねない危険な考え方なのである。

昨年度私は地元の自治会の役員を勤めさせていただいたのだが、その1年間には様々な問題の議決が必要になるのだが、実はその多くは「多数決で決める」と言うことはせず、少数意見であってもきちんと話し合いをし、「必要であれば少数意見でも採択する」と言う手法をとったのであるが、これが出来たのも、「民主主義の基本原則」である「相手の話を良く聞く」と言うことが実行されたためで、極めて珍しいケースと言ってよいだろう。
このため「トラブルは皆無」と言ってよいほど平穏に1年が終わり、4月はじめに行われた定期総会でも、30年以上の自治会の歴史上初の「質疑発言ゼロ」と言う快挙?まで起きたのである。

考えてみれば「十分な議論の末お互いが納得をした上での決定」と言うことなのだから、「文句を言う方がおかしい」と言う事で、特定の人間や、力の強い者が支配していてはとても無理な相談であろう。

自分の話を相手が聞いてくれれば「自分も相手の話を聞かなければいけない」と言うことになるのだが、「自分の意見だけを主張する」と言うことになれば、当然のこと「相手も自分の意見を主張する」と言うことになり、「話し合いは何所まで言っても平行線」と言うことにしかならないのである。

悲しいかな、今の日本は「国全体が自己主張に終始」と言う状態で、とても「民主主義国家」とは言えない悲しい状態なのである。
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不景気を逆手に取る考え方

2010年09月23日 04時04分24秒 | Weblog
日本ばかりか「欧米諸国」までが景気回復に苦労をしているのだが、ここは一つ「逆転の発想」をしてみてはどうであろうか。
殆んどの人は「景気が回復して所得が増える」と言う事を期待しているであろうが、「景気が回復して所得が増える」と言うことには大きな落とし穴がある事に気がついているであろうか。
「大きな落とし穴」と書いたのだが、これを言い換えると「諸刃の刃(久しぶりに使いますが、切れ味は衰えていませんよ)」と言うことになり、何事にも「良い面(+)と悪い面(-)がある」と言うことを理解しておかなくてはいけないのである。
さて、「不景気を逆手に取る考え方」であるが、かつて「我先に」と中国に進出する企業がひしめいていた事は記憶に新しいのだが、最近ではその様相が一変しており、今では、日本企業ばかりか「中国の企業」までもが「バングラディシュ・タイ・マレーシアなどの東南アジア」への進出を考えるようになった来ているのだが、何故このような現象が起きるのか考えてみて欲しいものである。
このような現象がおきる最大の原因は、中国が高い経済成長を続け、その結果として「中国の労働者の給与水準の高騰」を引き起こし、その結果、かつて持て囃された「人件費の安さと言う魅力」が色あせてしまったことにあるのである。
「日本の30分の1」とも言われた安い労働力を求め、日本を始めとする先進諸国が競って中国に進出はしてみたものの、気がつくと何時の間にか「安い労働力」と言う魅力を失ってしまい、中国企業でさえも安い労働力を求めて東南アジアへ生産拠点を移し始めているのである。
ここまで書けば想像がつくと思うのだが、日本の国際競争力が弱まったのも「人件費と言うコストの上昇」が最大の要因になっており、中国も早晩日本と同じことになるのは必定で、このまま日本の景気が回復せず、その結果「日本の給与水準が下がる」と言うことにでもなれば「日中の給与格差が小さくなり、日本の国際競争力は大きくなる」と言う事も夢ではなく、現在問題になっている「円高」など全く問題にならなくなってしまうであろう。
かつて日本でも盛んに行われていた「賃上げ闘争」が中国でも盛んになっているのだが、賃上げ闘争によって引き上げられた給与水準が、結果として「日本製品の国際競争力を奪う」と言う事になったように、その先に待っているのは、「世界の製造工場と言う看板を下ろす日が来る」と言うことで、彼らは未だそのことに気がついていないのである。
この事は新たな生産拠点として名乗りを上げ始めたいる、バングラディシュ、タイ、マレーシア、ベトナム・・・・などの国々にも言えることで、その先は一体何所に生産拠点を求めるのであろうか・・・・。
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資源ナショナリズム

2010年09月22日 03時25分48秒 | Weblog
中国が「レアアース」など、希少金属の輸出削減を実施して問題になっているのだが、これはれっきとした「資源ナショナリズム」と言えるのだが、日本がいくら声を大にして抗議したとしても「時代の流れ」を考えれば「無駄な抵抗」と言わざるを得ないだろう。
「時代の流れ」と書いたのだが、日本が「経済大国」などと言われていた時代は、視点を変えてみると「資源などに余裕があった時代」と言う事も出来、余裕があれば「買い手が値段を決める、買い手市場」と言うことになるが、現在のように、資源の枯渇が心配されるようになると「売り手が値段を決める、売り手市場」と言うことになり、「主導権は売り手側にある」と言うことを理解しなくてはいけないだろう。
このように考えてゆくと、資源を持つ国と持たない国で大きな較差が生じるのだが、その差は地球の成り立ちで決まってしまったものだけに厄介な問題であろう。
日本のように、多くの資源を海外に依存する国にとっては「相手国との友好関係」と言うものが重要になるのだが、日本はその友好関係を保つ努力をしてきたのだろうか。
残念ながら「殆んど何の努力もしてこなかった」と言っても過言ではなく、今でも「中国・中国人」と言うだけで蔑視した態度をとる人が少なくなく、このような態度が改まらない限り中国の態度も変わらないであろうが、「希少性(レア)」と言うことを考えると難しい問題ではあるが・・・・。
問題を中国から切り離して考えてみても、仮の話し、自分が持っておらず「どうしても欲しい」と思うものを手に入れようとする場合はどうするであろうか。
相手と良好な関係にあれば譲ってもらえる可能性も強いだろうが、険悪な関係であったり、そこまで行かなくても「あまり良くない状態」であれば譲ってもらえる可能性は極めて低くなり、これに「希少性(レア)」が加わってはどうしようもないであろう。
これに対応する一つの手段として「日本の優れた技術を見返りに使う」と言う方法があるのだが、非常に残念な話ではあるが、かつて「技術大国」と言われていた頃に比べるとその威光は陰が薄くなっており、近い将来、「技術大国と言う看板をはずされる」と言うことになるのではないだろうか。
小学生や中学生の学力が低下している事を考えると有り得ない話ではないと思うのだが・・・・。

「日本の優れた技術を見返りに使う」と書いたのだが、このことも、言い方を変えると「ナショナリズムと同じ事になる」と考えなくてはならず、資源と言う形あるものが「ナショナリズム」の材料として使われるわけではなく、「技術のように形の無い物もある」と言う事も考えておく必要があると思うのだが・・・・。
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批判集中

2010年09月17日 04時26分06秒 | Weblog
円高対策として日本政府による「単独での為替介入」が行われたのだが、このことに関して欧米諸国から批判が相次いでいる。
批判の内容は「日本は中国と同じで、自国の利益しか考えていない」と言うのだが、言う事は全くその通りと言わざるをえず、景気低迷に悩んでいるのは日本だけではないのである。
そもそも「円高、ドル・ユーロ安」となったのは「長引く欧米の景気低迷」が大きな要因となっており、欧米諸国にとっては「円高大歓迎」と言うのが正直な話で、日本政府が独断で為替に介入した事は「批判されても仕方ない」と言わざるを得ないだろう。
このように各国から批判が集中しては「独断で為替介入を続ける」などとても無理な話で、今更了解を取り付けることも難しく、無理に介入をし続ければ「いずれそのしっぺ返しを食う」のが関の山であろう。
「5%」を越す失業率が問題になってはいるが、欧米諸国では「10%以上」と言う高い失業率の国も珍しくなく、「それに比べれば日本は未だまし」と言ったところで、そのことも「円高」になる原因の一部になっている事を理解するべきだろう。
島国日本は、言わば「井の中の蛙」と同じで、大海(世界)の厳しさなど全く眼中になく、荒波をかぶってからあわてる事になるのがいつもの事なのである。
かつて「戦争には負けたが、外交で勝った」と言われ、吉田総理による「対米外交」で勝った事で日本の復興が成し遂げられたように、「外交」と言うものは非常に重要なことなのだが、今の日本に「外交努力」など何所を探しても見当たらないのではないだろうか。
私が思うに「今の日本に最も必要な事は、外交努力」ではないだろうか・・・・。
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悲しき人気稼業

2010年09月15日 04時25分20秒 | Weblog
民主党の代表選挙は菅総理の続投で決着が付いたのだが、政党の代表選挙に限らず、政治の世界は所詮「人気稼業」でしかないだろう。
本来の意味で言えば、国を代表する国会議員などは「国民を正しい方向に導く指導者」でなくてはいけないのだが、すべての事が多数決で決められる世の中では、どれほど正しい事を言ったとしても「過半数の国民の支持を得られない政策」では意味を成さず、指導する側の人間が「指導される側の人間に振り回される」と言う困った状況に追い込まれ、国の行く末を決める政治の世界も、所詮は芸能界同様「人気に左右される人気稼業」でしかないのである。

さて、円高対策に消極的な菅総理の続投が影響してか、為替相場はより一層円高に進んでいるのだが、現在の世界的な情勢から考えれば「効果的な円高対策は取りようがない」と考えなくてはいけないだろう。
過去の事例から見ても、効果を上げるには「各国の協調介入が必要」なのは明白なのだが、現実は欧米各国とも「円高は自国の輸出に都合がよい」と言った感じで、協調介入をするどころか「円高歓迎」と言った感じなのだからどうしようもないのである。
とは言っても、日本の企業の多くは政府に何とかして欲しいと期待をかけるため、「悲しき人気稼業」である以上何とかしようと頑張るのだろうが、日銀が市場に10兆円を放出しても殆んど効果がなかったように、現状では効果的な円高対策など取りようがないのである。
言い方を変えるなら、「嵐の最中に家の補修工事をする」「決壊し始めた堤防に小さな土嚢を投げ入れる」のと同じようなもので、殆んど効果が期待出来ないどころか、かえって被害が大きくなる危険さえあるのです。
政治に何かを期待する気持ちもわかるのだが、現実の世界では、状況によっては「手の施しようがない」と言う状況に追い込まれることも珍しくなく、今はただ「円高」と言う嵐が過ぎるのを待つしかないのではないだろうか。
そして、嵐である以上、過ぎ去ったとしても「ある程度の被害」は覚悟する必要があり、復旧には相当の時間とお金・努力などが必要になり、状況しだいでは「元どうりには戻らない」と言う事も覚悟しなくてはいけないだろう。
ついでに言うなら、悪天候で遭難したときは「むやみに動かず天候の回復を待つ」と言うことが最も重要で、今の日本も「円高と言う悪天候」に巻き込まれているのだから、「むやみに動く」と言うことは危険な行為だと思うのだが・・・・。
仮の話だが、小沢一郎が代表に選ばれて円高対策を実施したらどうなっていただろうか。
予想される結果は「無理な円高対策で財政が破綻する」のが関の山で、今はそうならなかったことを喜ぶべきだと思うのだが・・・・。
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浮世離れした国

2010年09月12日 03時43分43秒 | Weblog
ここで言う「浮世」は「世界」のことで、民主党の代表選びや、それに関する有権者の声などを聞いていると、「世界情勢がどうなっているかわかっているの?」と言いたくなってしまう。
かつて「アメリカがクシャミをすると日本は風邪を引く」と言われていたように、日本の経済に大きな影響力を持っていたアメリカでさえ、思うように景気回復が出来ていない現状を考えれば「景気回復を望む方が無理だ!」と考えるべきだろう。
円高に対する政府の対応にも批判が出ているのだが、ドルに対してだけでなく、ユーロに対してまで円高になっていては、政府や日銀がとる円高対策など「焼け石に水」程度の効き目しかなく、下手な円高対策などしようものなら「後でそのツケに泣く」のが関の山で、今は「じっと我慢をする」のが最善の策ではないだろうか。
菅総理もそのことに気が付いているのだろうが、代表選挙に小沢一郎が立候補し、「票集めの甘言」を弄していてはどうしようもなく、その上民意までが目先の利得(私利私欲)で右往左往しているのではどうしようもないだろう。
消費税問題にしても、日本では5%を10%にする程度の事で大騒ぎしているが、ヨーロッパでは「20%はあたり前」で、30%にもなる国がある事を考えれば、日本は「浮世離れした国」と言わざるを得ないだろう。
海外に出たがらない若者が増え、内向き思考の「そこそこの生活で満足する」と言う傾向は、「日本の弱体化」に拍車をかけることは確実で、その時になってあわてても「後の祭り」である。
今の日本を支えているのは、「過去に培った技術」などのおかげで、何時までも「過去の遺産」で持ちこたえる事は難しく、若い世代の頑張りに期待しなくてはいけないのだが、現実は厳しく、これから益々「浮世離れした国」になって行くのではないだろうか。
「ウサギと亀」と同じように、気が付いたら、遥か先に言っていたはずのウサギ(日本)が、「亀(中国・インドなどの新興国)に追い越されていた」と言うのが現在の姿なのだが、実は「亀がウサギに変わっていた」と言う事実に気が付いていないのである。
更に困った事には、亀からウサギに変わっても「亀の性質は受け継いでいる」と言う事で、日本のように「ここらでちょいと一眠り」などと言う悠長な事はしてくれそうもなく、その差は益々広がってしまうだろう。
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久しぶりに涼しい夜です

2010年09月09日 04時00分42秒 | Weblog
台風のおかげでやっと涼しい夜が訪れましたが、涼しいとは言っても、少し前(午前2時過ぎですが)に確認した時でも「やっと23度」なのですから驚きです。
久しぶりに1日中雨が降り、昼間気温が上がらなかったのだから当然のことで、久しぶりにクーラー無しで眠れそうですが、今現在の室温が26度もあるので油断は出来ませんが・・・・。
昼間はボーリングに行って来たのだが、ゲームが終わった後で数人と話が始まっり、今年の異常な暑さが話題になったのだが、鳩山町周辺一帯が異常な暑さに見舞われているようで、この暑さの原因は大都市東京にあるのではないだろうか。
10年くらい前までは比較的自然が豊かな地域なので「夜になればある程度涼しくなる」と言うのがあたり前だったのだが、その傾向が徐々に変わってきており、一人の人が「東京湾岸に続々と建ち始めた超高層ビルによって風向きが変わったことが原因ではないのか・・・・」と言い出だしたのだが、その可能性も大いにあるのではないだろうか。
30年余り前問題になった「東京の大気汚染」の時には、わが町のある交差点(渋滞とは無縁の交通量のそれ程多くない場所)で、汚染の数値が「環境基準値をオーバーしている」と言って問題になったのだが、この時にも「東京の汚染された空気が流れ込んでいるのでは・・・・」と噂されていたように、元々あった東京方面からの空気の流入が、湾岸地域に出来た超高層ビルによって「増幅」されているのではないだろうか。
「それはないだろう」と思われる方も多いだろうが、環状八号線が出来た事で、環状八号線沿いに「環八雲」と言うものが発生するように、人間が想定していないような「予期せぬ自然現象」が各地で起きているのですが、環八雲のように原因がハッキリしているもの以外は、それを裏付けるためには多額の資金をかけた研究観測が必要になり、財源不足の国は研究をするつもりなど毛頭無いであろう。
仮に資金に余裕があったとしても「自分たちに都合の悪い結果が出るような研究はしない」と言うのが正気なところだろう。
これは今流行の「太陽光・風力発電」にも言えることで、自然エネルギーの利用が増加するにしたがい、予想外の事態が発生する危険性が大きくなることも覚悟しておく必要があると思うのだが・・・・。
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今日(6日)も鳩山町の方が暑いです

2010年09月07日 03時08分22秒 | Weblog
全国放送では鳩山町の名前は出てこないのだが、関東地区の放送ではしばしば出てくるようになり、6日も、熊谷が37度だったのに「鳩山町は37,3度」と、全国的に有名な熊谷より暑いのは確かなようで、私のところも相変わらずの猛暑が続いている。
しかし、さすがに9月である。
8月前半くらいまでとは少し様子が違ってきており、空気がかなり乾いた感じになり、風さえあればかなり過ごしやすくなっているが、この先何時までこの暑さが続くやら。
昔は30度以上になった日を「真夏日」と言っていたが、近頃はそれでは足らず、35度以上になった日を「猛暑日」と言うようになったのだが、今年のような暑さが続くようになると「酷暑日」と言う言い方も必要になるのではないだろうか。

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鳩山町も暑いです

2010年09月06日 04時23分33秒 | Weblog
40,9度を記録した熊谷市とちがって、全国的には余り知られていない町であるが、最近「国内最高気温40,9度」を記録した熊谷市より気温が高い町として、時折NHKの天気予報の最高気温の部分で紹介される事がある。
実はこの鳩山町、私が住んでいる町とは隣り合わせの町で、5日(日)の最高気温も「37度」で、熊谷の「36,9度」より高いのである。
5日は少し雲があった事が影響したのか、4日に比べると過ごしやすかった(それでも最高気温は38度近かったが)が、夜は逆に気温が下がらず、夜明け前の一番気温が下がっているはずの今現在(午前4時)でも未だ「28度以上」あるのです。
家の150メートルほど南側には奥武蔵の山並みがあり、周りはかなり自然があふれていると言うのにこの暑さとは・・・・。
30年余り前には「チョット気候が軽井沢に似ている」などと言われた事もあるというのに・・・・。
実際の話し、その頃は窓を開ければ涼しい風が入り、ウッカリ窓を開けたまま寝たりすると「明け方寒くて目が覚める」などと言う事も珍しくなく、周囲に木が沢山あったことで「居ながらにして森林浴が出来る」と自慢していたのに・・・・。
森林浴は今でも出来るのだが、これだけ自然が豊かなのに「夜の気温が下がらない」とは・・・・。
今夜もクーラー無しでは寝られそうにありません。
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これが避暑地?の温度です

2010年09月05日 04時41分56秒 | Weblog
同じ温度計を持ってきて20分ほど経ってから写したもので、熊谷の最高気温とほぼ同じ温度になっています。
「この温度で避暑地?」と思われるかもしれないが、ここは東側で木の陰になっている上に「風の通り道」にもなっており、暑く火照った体にはかなり涼しく感じるのです。
「よくそんなに外にいられるねェ!」と思われるだろうが、元々昼間家の中にいるのが嫌いな性分の上に、「好きな花の手入れをする」と言う事で長い時間屋外にいることが出来るのです。

さて、昼間クーラーを切ってしまうと、その間に「室内がかなりの高温になってしまう」と思われるだろうが、実際は予想に反して「それ程高温にならない」のです。
「エッ?!}と思われるかもしれないが、現実の話、室内の温度は「30度から32度くらい」にしかならないのですが・・・・。
実は、これには大きな理由があるのですが、それは「家の断熱性能がよい」と言うことにあるのです。
始めに建てた時の家の外壁は「モルタルガン吹き」だったのだが、「吹き替え」を考えるようになった頃(25年位前)たまたま話があった「サイディングを外側に張る」と言う話に興味を持ち、「これは冷暖房に効果がある」と思った事と、費用も「吹き替え2回分くらいで済む」と言う事で、思い切って工事をしたのですが、正に「予想通り」の結果になり、冷暖房費の節約で「工事費用の元は取れた」のではないだろうか。
実際、冬に2台必要だったストーブも「1台で十分」になり、クーラーも「1台で2部屋冷やせる」と言うくらいで、まだ「省エネ」などそれほど話題にならなかった時代だった事を考えれば、「省エネ住宅のさきがけ」と言っても良い(自画自賛だが)のでは?。
窓を開けてしまっては断熱効果は期待できないので、「昼間も窓は締め切る(日の当たる南側は雨戸も)」と言う事で、言わば「魔法瓶と同じ」効果があり、夜間冷房(設定温度は28度です)している部屋の温度はそれ程上がらず、クーラーをつけると直ぐに涼しくなるのです。
しかし、暑い事で有名になった熊谷より暑いとは・・・・。

早朝4時半現在でも未だ「26度」もあり、これでは昼間暑くなるのも当然の話だが、以前はこんな事はなかったと思うのだが・・・・。
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