へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

今年はセミの声が聞こえない

2009年07月31日 03時21分14秒 | Weblog
以前から何となく「おかしいな?」と思っていたのだが、今日その原因がわかった。
毎年のように五月蝿いほど鳴くセミの声が殆ど聞こえないのである。
ニイニイゼミに始まり、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクホウシ、と、例年であれば絶え間なく聞こえていたセミの声が殆ど聞こえないのだが、そのなかで唯一例外なのが、ヒグラシゼミ(カナカナゼミ)である。
記憶に間違いがなければ「今頃から鳴き始める」はずなのだが、このセミだけが少し前(半月くらい?)から鳴いている。
去年姿を消していたすずめが今年になって姿を見せるようになったのだが、これも最近また見かけなくなっている。
お天気の方も、「梅雨が明けた」と発表はされているのだが、「まだ明けてないんじゃない?」と言った感じの天気が続いている。
「異常気象」などと言われているが、気象だけでなく「生物界」にも異常が起きているようで、「新型鳥インフルエンザ」なども地球温暖化の影響が原因になっているのかもしれない。
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予想外のしっぺ返し

2009年07月30日 04時33分04秒 | Weblog
民主党が良く口のする「無駄をなくして財源に充てる」と言う事は「無駄=悪い事」と言う考えから来ているのだろうが、過去にも書いているように「無駄=悪い事とは限らない」と言う事に気が付く必要があると思うのだが・・・・。
人は多くの場合「目先の損得で動く」と言う傾向が強いのだが、この事が「予想外のしっぺ返し」となって帰ってくる事に気が付いていない。
現在の100年に一度の不況も、突き詰めて考えてみれば「目先の欲に目がくらんだ結果」と言ってよく、リーマンショック(サブプライムローン問題)にしても「無謀な利益の追求」がもたらしたもので、利益を追求している限り、法律で禁じられているねずみ講と同じように「いずれ破綻に追い込まれる」と言う事は明白だろう。
100年に一度と言う不況の中で「景気回復」と言う事が求められているのだが、景気を回復させるためには「物が売れなくてはいけない」と言う根本的な問題があるのだが、それに対する答えとして「お金が無いから物が買えない」と言う答えが返ってくるのだが、今から20年30年前には「欲しい物は借金をしてでも買う」と言う傾向が強かった事を思い出して欲しい。
つまり「お金が無いのに物を買う」と言う、現在とは正反対の事が当たり前のように行われており、それが景気を下支えしていたのである。
それでは何故に「お金が無いのに物を買う」と言う時代から、「お金が無いから物を買えない」と言う時代に変化したのであろうか。
原因は様々あるだろうが、その中でも最大の原因に「物余りの時代で欲しい物がなくなった」と言う事があるのではないだろうか。
何人かの人に聞いてみたのだが、「今一番欲しい物は何か?」と言う問いに、返って来る答えの殆どは「お金」なのである。
そしてさらに「お金が手に入ったらどうする?」と言う問には、「・・・・・」と少しの間返事が返ってこない。
これは私にしても同じ事で、お金は欲しいが特に買いたい物があるわけでもなく、最終的には「老後の備えに」と言う事になってしまうのである。
つまるところ「お金が無いから物が買えない」のではなく、「欲しい物が無いからお金があっても物を買わない」と言う事が殆どなので、景気回復など到底無理な話であろう。
そして「無理が通れば道理引っ込む」と言うように、無理を通したために「予想外のしっぺ返しに苦しむ」と言う結果が待っているのである。
ここで一つ思い出した話があるが、過去にも書いているので気が付く人もいるだろうが、ここは敢えて書いてみる。
これは日本と中国の国交が回復した頃にラジオで聞いた話であるが、中国のある田園地帯での事で、国を挙げて「食糧増産」が叫ばれていた頃の話である。
実りの秋を迎えた田んぼには沢山のすずめが群れていたのだが、それを見たある頭の良い?人が考えた、「稲穂を食べ荒らしているすずめを退治すればその分増産になり、捕まえたすずめを食料にすれば、一石二鳥になる」と言う名案?なのである。
すずめは他の鳥と違って「長い時間飛べない」と言う弱点があり、村人総出の捕獲作戦で退治は成功したのである。
しかしながら・・・・、翌年「豊作」を期待して待つ村人の前に「予想もし無かった事態」が待っていたのである。
「予想もし無かった事態」とは、「雑草と害虫の大発生により大幅な減収」である。
確かに稲穂を食べているときのすずめは「農家にとっては害鳥」なのだろうが、それ以外の季節は「草の種や昆虫を食べている益鳥だった」と言う事に気が付いていなかったのである。
このように、目先の事だけで判断を下すとろくな事が起きない事に気が付いて欲しい物である。
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必ずやります、出来なかったら責任を取って・・・・

2009年07月29日 03時56分02秒 | Weblog
民主党の鳩山代表が良く口にする言葉だが、「必ずやります」と言っておきながら「出来なかったら責任を・・・・」と言う逃げ道を作っているのは「矛盾している」としか言いようがないだろう。
大体が「出来なかったら責任を・・・・」と言う事は、始めから無理なことがわかっているので逃げる算段として言っているので、信用するのは甚だ危険な事である。
これでは途中で政権を投げ出して非難を浴びた、安部・福田元総理と何ら代わりがないではないか。
本当に実現可能な政策であれば「出来なかったら責任を取って・・・・」などという言葉は必要なく、どの道「失敗すれば身を引く(逃げる)」のはどこの世界でも常套手段として使われているのだから・・・・。
しかしながら、こんないい加減な政策(マニュフェスト)で右往左往している自民党も自民党ではあるが。
ここは一つ「逆転の発想」と言う手も考えてみてはどうだろうか。
「逆転の発想」とは、「現在の日本の窮状を洗いざらいぶちまけてしまう」と言う荒療治である。
このような事をすれば自民党が大敗する事は目に見えているのだが、民主党の政策も遅かれ早かれ行き詰まる事も目に見えているのだから、これで国民も現実の厳しさを思い知るのではないだろうか・・・・。
かなりの荒療治にはなるのだが、今や「重症の平和ボケ?」した国民にはこれくらいの荒療治も必要では・・・・。
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逆必ずしも真ならず

2009年07月28日 04時40分46秒 | Weblog
数学で使われることが多い言葉で、「逆(反対)が正しいとは限らない」と言う意味であるが、私はそれ以外の場面で結構使う事がある。
25・26日(土・日)は地元のお祭りで、私は地区の役員(下っ端だが)として参加したのだが、毎度のことではあるが「地区の代表をやってくれないか」と言う話が出てくる。
古手でいろいろな事を知り、尚且つ「問題が起きたときの対応が早い」と言う事もあるのだろうが、これはあくまでも「脇役(黒子)」だからできる事で、私が中心になると「補佐できる人(まとめ役・嫌われ役)がいない」と言う事でまとまらなくなってしまうのである。
何も問題が起きなければよいのだが、問題が起きたときに「まとめ役・嫌われ役」がいないと話をまとめることは難しく、徒に話が紛糾するだけになってしまい、俗に言う「船頭多くして船山に登る」と言う事になってしまうのであるが、多くの場合「その事がまったく理解されない」のである。
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情報化社会の落とし穴

2009年07月25日 03時51分30秒 | Weblog
先日ある若者(と言っても36歳なのだが)と話す機会があったのだが、様々な悩みを抱えているようで、1時間以上話し込んでしまった。
全くの「見ず知らず」だったのだが、悩みを相談できる相手がいなかったと見えて、チョッとした話から長話になったのであるが、彼の悩みの根源は「有り余る情報に振り回されている」と言う事で、冷静になって考えれば「どうと言う事も無い話」なのであるが、一つの問題を解決するために集めた情報が「新たな問題を引き起こす」と言う事の繰り返しで、「情報の迷路」に陥ってしまっていたのである。
過去にも書いているのだが、私でもよく経験する事だが、ネットで検索しても「情報が多すぎて必要な情報が見つからない」と言う問題が起きてくる。
「情報化社会」などと持て囃されてはいるが、「誰でも簡単に情報が発信できる=情報が混乱してどれが正しいのかわからなくなる」と言う「致命的な欠陥を抱えている」と言う事は問題にされていない。
「シンプルイズベスト」という言葉があるが、現代社会はその正反対を行っている。
また「知らぬが仏」と言う言葉もあるように、知らない方が幸せだったかもしれない事も、否応なしに知ることになり、「知ってしまった事が不幸を招く」と言う事も考える必要があるだろう。
多くの人は「物や情報があふれる社会=幸せな社会」と考えているかもしれないが、「豊かな社会=心も豊か」と言う事にはならず、むしろ「豊かな社会=心が貧しい」と言った方がよいだろう。
「地球の温暖化や資源の枯渇」と言う事を考えれば、「何は無くとも楽しい我が家」の時代に戻るのがよいと思うのだが・・・・。
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百聞は一見にしかず

2009年07月23日 03時57分24秒 | Weblog
皆さんご存知のように「百回聞くより一回見る方が良くわかる」と言う意味だが、同じように「百聞は一回経験するにしかず」と言う言い方も成り立つ。
突然こんな事を書き出すのにはそれなりの意味があるのだが、その意味とは「いくらマニュフェストを聞かされてもにわかには信用できない」と言う事が根底にある。
私がこのブログの中で様々な事を書いてきているのだが、私がいくら口を酸っぱくして言ったとしても「何時結果が出るのかわからないので実感がわかない」と言うのが実情だろう。
8月30日には衆議院議員選挙が行われるのだが、各党各候補者ともに票集めに躍起になっているのだが、躍起になればなるほど「美味しい餌(公約)」を用意しなくてはならなくなる。
さてこの「美味しい餌(公約)」、「ダダではない」と言う事は殆ど口にされない。
「百年に一度の不況」などと言われる中で美味しい餌など一体どこにあるのであろうか。
今回の選挙、「目先の欲につられて後で痛い目にあう」と言う事の無いように願いたいのだが・・・・。
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マンザイ?

2009年07月22日 04時45分45秒 | Weblog
昼間衆議院が解散をしたところを放送していたのだが、解散が発表された瞬間「万歳!万歳!」と喜んでいる議員の姿が多かったのだが、私には「漫才!漫才!」と言っているように聞こえてならない。
夜になって各党の党首などが互いに意見を述べ合っているのだが、徒に相手の政策を批判するばかりで、あたかも「ど突き漫才」のような様相を呈しているのである。
お互いに「我が党の政策こそ正しい」と言わんばかりの態度なのだが、私から見れば「ただ単に票がほしいので国民に媚び諂っている」としか見えず、目先の美味しい話ばかりで、その先に待っている落とし穴には触れようとはしない。
特に民主党を始めとする野党の政策はひどく「場当たり的政策」としか言いようが無いだろう。
しかしながら、冷静に現状を考えれば「政権交代の可能性は高い」と言うことから考えれば、「場当たり的政策の実行」と言う可能性も高くなるのだろうが、その結果起きる問題の責任を彼らが負うことは無いだろう。
仮に負ったとしても「議員の椅子を失う」と言った程度で終わりである。
それでは一体誰がその責任を負うのであろうか?。
「投票した有権者」と思いがちであるが、実はこれも正しいとは言えず、「その後の世代」と言うのが正しい答えだと思うのだが・・・・。
ある党の代表などは「高齢者が持っている資産で国債を買ってもらい、それを財源に充てる」などという暴論を言う始末。
一見すると面白いアイデアのようにも見えるが、結局は「借金に頼る」と言う事にほかならず、「負の連鎖」から逃れる事は出来ない。
野党がこの調子であるから、対抗する自民党や公明党も「似たり寄ったり」で、「野党よりは少しまし?」と言った程度でしかなく、「日本と言う国の破綻への道をひた走っている」と言ってよいだろう。
極一部ではあるが、私のように警告を発している人はいるのであるが、多くの人は行き着くところまで行かなければ信じる事は無いであろう。
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勝つ事だけが目的の選挙

2009年07月20日 04時05分54秒 | Weblog
若い頃はあまり気にもしていなかったのだが、最近になって気になり出した事に「何のために選挙をするのか?」と言う事がある。
よくよく考えてみれば「昔も今も大同小異」でしかなく、「勝つ(当選)事」だけが目的になっている。
これは「仮の話」であるが、近く行われるであろう衆議院選挙において「民主党が圧勝」などという事態になったとすると、大変な事が起き得る事を覚悟する必要があると思うのだが・・・・。
「大変な事」とは、北海道の夕張市が財政破綻した事はご存知の人も多いと思うが、次に危険視されているのが「大阪府」である事もご存知だろうが、仮に民主党が政権を奪ってマニュフェスト(政権公約)を実施したとすると、「日本と言う国が財政破綻をしかねない」と言う事を心配しなくてはいけない。
ただ、ここでお断りしておかなくてはいけないのは、「自民党のやっていることも大同小異」だと言う事である。
麻生総理が口にする「骨太の・・・・」と言う言葉は、私の推測ではあるが「このことを心配して」と言う事ではないかと思うのだが・・・・。
「勝つ事だけを目的にした選挙」には、このような危険が潜んでいる事をどれだけの人が理解しているであろうか。
有権者が政治に期待すればするほど「勝つ事だけが目的の選挙」になってしまうと思うのだが・・・・。
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「だから言ったじゃないの」

2009年07月17日 19時38分35秒 | Weblog
15日の朝日新聞朝刊のコラムのタイトルなのだが、衆議院の解散時期についてあれこれ書いているのだが、「だから言ったじゃないの」と言われても今更手遅れだし、かと言って「じゃぁ、言うとおりにやったら上手くいったの?」と問われたら、いったいどのような返答をするのであろうか?。
このコラムを書いた人に限らず(私も時折あるのだが)新聞テレビなどで報道される話の内容は「結果論」に終始するものが非常に多いのが困り物である。
仮の話だが、貴社の言うとおりにやって悪い結果が出たとしたら、いったいどのような記事を書くのだろう。
おそらくは「知らぬ顔の半兵衛」を決め込むのではないだろうか。
評論家や有識者などと言う輩はこの手の人間がほとんどで、あくまでも「意見の内容は推測(想像・予想)に基づいている」と言う事である。
言い方を変えれば「競馬や競輪の予想屋と同じ」と言うことで、あくまでも「予想」でしかなく、外れたからと言って責任を取るわけではない。
「政治や経済はギャンブルではない」と言う方も多いだろうが、私に言わせれば「どんな結果が出るかわからない事を予測するのだから、なんら変わりは無い」と言う事になる。
地球上の何処を探しても「100%間違いなく将来のことがわかる人などいない」と言うことを考えれば、「予測は当たる事もあるが外れる事もある」と考えるべきで、むしろ「当たったら儲け物」ではないだろうか。
現在の自公政権(与党)の政策が適切だなどと言う気は毛頭ないのだが、民主党を始めとする野党の主張はそれに輪をかけたようにひどいもので、「単なる人気取り政策」で、明確な財源の裏づけを欠いている。
「無駄を無くして・・・・」などと言っているのだが、「無駄=悪」と言う論理に基づいての話だろうが、人間社会の繁栄は「数々の無駄な物を生み出す事によって成し得た」と言う事に気がつくべきだろう。
日本経済が世界的不況の荒波の中で低迷しているのも、「お金が無いので無駄な物が買えない」と言う事が主な要因である。
これを分かり易く書くと、不景気でお金が無い→余分(無駄)な物が買えない→商店は物が売れない→仕入れが減る→問屋が困る→製造メーカーの仕事が減る(従業員の給料が減る)→原材料を収める会社も困る→・・・・・、と言った按配で、景気回復のために良い事など一つも無いのである。
ここに来て(前から言ってはいたが)「高速道路通行料金の無料化」と言う事を言い出しているのだが、単純に「無料化」を喜んではいられないだろう。
高速道の無料化によって車の通行量が増える→道路の痛みが激しくなる→補修工事にはお金が必要→通行料金が入らないので新たな財源が必要→更に財源不足がひどくなる→・・・・・・・。
これに似たような事は、バブルがはじける前まで自民党が使っていた「票集めの常套手段(伝家の宝刀)」であって、初めのころはそれなりに切れ味も良かったのだが、「如何せん、使い過ぎた」と言う事で、刃はぼろぼろになり錆び付いて使う事が困難な状態に追い込まれてしまったのである。
それを知ってか知らずか(国を代表する衆議院議員に成るほどの人たちだから、知らないはずは無いだろうが)、民主党が抜こうとしている。
抜いたが最後「大変な事になる」のは必定で、「そのツケを払うのは民主党ではない」と言う事を肝に銘ずるべきだろう。
「それでは一体誰が払うの?」
「我々国民」と言いたいところだが、我々高齢者(特に後期高齢者)などはそれほど払う事も無いだろうが、若い世代ほど「より多くのツケ」が回ってくるだろう。
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ついに麻生総理が白旗を?

2009年07月15日 04時00分24秒 | Weblog
外(害)圧に負け?たのか、「今月末解散、8月30日投票」と言う事を麻生総理が表明したのだが、私個人の感覚からすれば「良くぞここまで頑張った」と褒めてやりたい。
のらりくらりと「人を食ったような答弁」でしのいで来たが、これは祖父(吉田茂)のDNA を受け継いでいるのだろうが、当時とは大きく違う社会情勢のために、同じような活躍をするのは難かしかっただろう。
本来であれば都議選に関する記事を先に書くべきなのだろうが、誤って「へそ曲がりおじさんの、へそ曲がりなオカヤドカリ飼育法」の方に載せてしまったので、興味のある方はそちらを見てほしい。
さて、都議選の敗北を受けて戦わなければいけない衆議院選挙。
常識的?に見れば「相当な逆風」の中で戦わなければいけないのだから、「都議選と似たようなっ結果」になる可能性が高いだろう。
「麻生総理では戦えない」などと言う意見もあるようだが、それではいったい誰を立てればよいと言うのだろうか。
都議選で第一党になった民主党は、「勝った」と言って喜んでいるようだが、私に言わせれば「これで勝ったと言えるの?」と言ったところで、確かに「自民党には勝った」と言う言い方は出来るだろうが、単独で過半数を得たわけでもなく、共産党だけでなく、他の少数野党を含めなくては過半数にならないようでは「とても勝ったとは言えない」だろう。
単独で過半数を得ていれば意見もまとめ易いだろうが、日ごろ意見が対立している複数の党が集まるのでは「船頭多くして船山に登る」と言った事になるのではないだろうか?。
もともとが寄せ集め的な民主党で、「元自民党員だった」人も多いのだからなお更ではないだろうか?。
さて、都議選の結果を見てもう一つ感じた事があるのだが、それは「以外にダボハゼは多くなかった」と言う事で、私と同じように民主党のマニュフェストに疑問を感じている人が多かったのだろう。
「無駄を無くして財源に充てる」と言う部分も、一体何を無駄と言うのだろうか?。
以前にも書いているのだが「無駄=悪」と言う前提に立った考えから来るのだろうが、「様々な無駄が経済成長を支えてきた」と言う事に気がつく必要があるだろう。
世界的な景気低迷の原因は「物が売れない」と言う事が大きな要因で、「何故物が売れないか」と言う事を考えると、「お金(財源)が無いから必要な物しか買えない」と言う事で、「不要不急な物(無駄)が売れない」から景気が低迷したいるのであって、「無駄を無くして財源に充てる」と言う、一見素晴らしい?考え方も、裏を返せば「それが景気回復の足を引っ張る」と言う皮肉な結果にもなるのである。
多くの人が景気回復を望んでいるのだろうが、最早そんなは時代は終わりを告げ、時代は「大きな転換点」を迎えているように思えてならない。
「物には限度(界)がある」と言うように、人間社会の繁栄も「限界に達した」と私は思っている。
あまり書くと「夢を壊す」と言うような事になるので止めておくが、夢ばかり見ていては足元が疎かになる。
その結果「僅かな段差でつまずいて大怪我」と言う事にならなければ良いのだが・・・・。
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