へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

3月4日まで留守になります

2007年02月22日 02時30分24秒 | Weblog
チョット高飛び(飛行機で)してきます。
別に悪い事をしたわけではありませんよ。
2年ぶりに上海の友達のところへ遊びに行ってきます。
8年前にチョットしたきっかけで行ってからこれで10回目。
今回は初めて香港にも行ってきます。
私は単なる観光で行くのではありません。
普通は有名な観光スッポットを回る人が多いのですが、私は違います。(へそ曲がりだから当然ですね)
一人のときは地図を片手に、半日位街を歩き回ります。
中国は日本と違って、全ての道路に名前が付いています。
しかも、道路の名前を書いた標識が、要所、要所にあります。
(ご丁寧にローマ字でも書いてあるのですが、日本のローマ字とは違うタイプなので残念ながら読めません。)
ですから、地図上で道路の名前を見つければ、現在地が分かるので、迷子にはなりません。
私の目的は、庶民がどんな暮らしをしているか見てみたいのです。
今日本では、「格差が広がって大変だ」、と言われていますが、中国に比べたらまるで問題になりません。
日本の社会に、更に上と下を加えたような物です。
貧しい人は、とことん貧しく、豊かな人は、とことん豊か。
これは実際に行って見てみないと理解は難しいかも。
「百聞は一見にしかず」です。
サラリーマンの平均給与が、日本の十分の一くらいの上海(内陸部はもっと少ない)でも、数百万(日本の物価水準では数千万)以上する高級車を乗り回す人が沢山います。
輸入品、車、ブランド品、高級化粧品、・・・・等のぜいたく品は、日本の値段より高いです。
私が何時もお土産に持っていく物、ネスカフェのゴールドブレンド。
これは非常に喜ばれます。
中国製もありますが、ハッキリ言って味が落ちます。
それでも値段は800円くらい、日本製は1000円以上します。
老齢世帯に、年金のような物が支給されていますが、一世帯で月に1000元、日本円で1万5千円ほど。
それから考えると、如何に高いか分かると思います。
私は、特売で398円の時に買っておくのですが、中国に持ってゆくと、20倍くらいの値打ちになるのです。
私の友人は日本で暮らした事があるので、ゴールドブレンドの味をよく知っているのですが、「中国ではあまりにも高くて、手が出ない」と言っています。
底辺の人たちは、敗戦直後(若い世代には想像も付かないような貧しい時代です)の日本のような生活。
上流の人たちは、現代の日本の豊かな人以上に豊かな暮らしをしています。
しかし、中国の人は「インドの方がもっとひどいよ」と言います。
この考え方の違いはどこにあるのでしょうか?。
インターナショナル、グローバル化社会などと言っていますが、日本は、言葉だけが先行しているように思えます。
島国の宿命なのでしょうか?。
世界から、置いて行かれなければいいのですが。
書きたい事は山ほどあるのだが、うまく文章に出来ない。
私のつたない文章を読んでくれる人が、果たしているのだろうか?。
少々心配ではあるが、かつて(20くらいの頃)或る大学の心理学の教授に言われたことを思い出す。
「お前は損な性格だ!。しかし、お前のような人間が居てくれないと困る。」と言われた事がある。
「言っている事は間違っていないのだから、自信を持て!」とも言われた。
何処まで頑張れるか分からないが、結果を恐れず頑張ってみよう。
無事に帰ってこれたら、またいろいろ書く予定です。
それではしばらくお休みです。
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エアープランツ   2

2007年02月19日 23時18分57秒 | Weblog
昨日は話が横にそれてしまった。
今日は少し詳しく書いてみる。
15年以上前から栽培しているのだが、意外に難しい。
多少根が出るものと、全くでない物がある。
主に乾燥地帯に生えているので、乾燥には強いのだが、一部には例外もある。
空気中の水分を吸収して生きている、と言われているが、これが曲者である。
空気中の水分、つまり、湿気である。(本当は違うのだが)
通常、霧吹きとソーキング(水に漬けること)で水分を与える、と説明されているのだが。
これがいたって難しい。
小さい苗の時はいいのだが、順調に育って、大きな株になってからは気お付けなければいけない。
チョット油断すると、中心部から腐ってしまうのだ。
何度これでダメにした事か。
順調に生育している時ほど危ない。
「早く大きくしよう」と思うのは止めたほうがいいようだ。
原産地の多くは砂漠の乾燥地帯。
昼間は乾いた熱風にさらされている。
しかし、昼間は乾燥いている砂漠地帯でも、夜間はかなり気温が下がる為、結露するのです。
この結露した水を吸収しているのです。
昼間は極度に乾燥するため、余分な水分は蒸発してしまいます。
日本の気候ではこうは行きません。
梅雨時は特に危険です。
花は咲きますが、あまり期待はしないほうがよいのでは?。
咲けばそれなりに綺麗なのですが・・・・・。
私の場合、花を咲かせようと思ったのが、失敗の原因のような気がします。
最近は少な目の水遣りで、花は咲いてくれたら「ラッキー」という感じです。
ある程度の大きさになると、余り水はやらない方がいいような気がします。
人によっては「可哀相だ」と言う人もいるようですが、腐らせては元も子もありません。
「店頭での管理が悪い」と言う人もいますが、難しい問題です。
或るホームセンターでは、知らない店員が「可哀相」と言って水をやった為に、殆どを腐らせた、と言う話もあります。
オカヤドカリでも、「店頭の扱いが悪い」と言って文句をいう人がいますが、「自分でやってみろ」と言いたいですね。
変なたとえですが、銀行員等は「仕事だと、何千万ものお金を数えていても、お金と言う感じがしなくなってくる」と言う人がいる。
別に良い事だとは言わないが、毎日仕事として扱っていると、感覚が鈍るのは仕方ない事では?。
買い物に来たお客は、特定の物にしか関心がありません。
一方、店員はどうでしょう?。
特定の物だけ見ていては仕事になりません。
お店で扱っている物全てに気お使わなくてはいけません。
しかし現実の話、「全ての物に気を使う」なんてとても無理です。
現実を見ないで、一方的に文句を言うのは、「無責任」と言わざるを得ません。
また脱線してしまった、悪い癖である。
話を元に戻すとして、栽培法なんだが、なかなか難しくて簡単には説明出来ない。
エアープランツに限らず、店頭で売られている動植物の栽培(飼育)法は、「極、一般的」なもので、だれにでも当てはまるものではありません。
同じ事でも、人それぞれ個性が出ます。
言われた通りやってみても、同じ結果が出るとは限らないのです。
更に困った事があるのです。
店頭で販売されている動植物の殆どは、そのお店で飼育、栽培されたものではないのです。
市場で仕入れてきた物なのです。
実際に飼育も栽培もしていないのですから、極一般的な説明しか出来ないのです。
「販売する以上、ちゃんと調べるべきだ」と言う人もいるでしょうが、「手本を見せて」と言いたいですね。
文句を言うのは簡単です。
しかし、実際にやってみると、頭で考えたようにはいきません。
生真面目にやっていては、神経が持ちません。
私は、販売の仕事もしたので、良く分かります。
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発想の転換

2007年02月17日 21時08分28秒 | Weblog
多くの人は「発想の転換」が出来ないようです。
「発想の転換」とは、悪く言えば、「へそ曲がりな考え方をする」と言う事です。
つまり、私の得意分野です。
そして、以前にも書きましたが、「風が吹くと桶屋が儲かる」につながるのです。
今日の新聞に、日本だけが超低金利だと言う事に対する、不満の投書がありました。
私もわずかな年金(厚生年金が60%、国民年金が40%)暮らしなので、気持ちとしては良く分かります。
しかし、私は悪い部分だけを見る事はしません。
今の状態で、金利をあげたらどうなるのでしょう?。
金利を期待している人には、一時的にプラスになりますが、長つずきはしないでしょう。
これは、人件費にも同じ事が言えます。
少し難しい話になりますが、物理学の、「作用、反作用の原理」と同じで、何かをすると、必ず反対の事が起きるのです。
経済とは「お金が動く」事によって成り立ちます。
バブル以降、日本の経済はデフレになりました。
デフレによって、様々な悪影響が出ていますが、必ずしも悪影響ばかりではありません。
低金利、低賃金によって、製品の価格が下がりました。
1万円のものが9千円になれば、千円残ります。
「千円の利息が付いた」、と思えばいいのです。
価格が下がれば、国際競争力も付きます。
日本はもともと、輸出で発展してきた国です。
輸出ができなければ、日本の経済は成り立ちません。
かつて韓国は、低賃金を武器に経済成長しましたが、今はどうでしょう?。
中国にその座を奪われてしまいました。
その中国も、人件費や物価の上昇になやまされ始めています。
先を争って中国への進出を争った日本企業も、中国からの撤退を考え始めています。
かなり難しい話ですが、仮の話、今の賃金体系をこのまま維持した場合、いつの日か、日本の製品は、「世界一安い」と言われるようになるのでは?。
低金利、低賃金だから日本は成り立っているのです。
物事には、全てウラとオモテがあります。
オモテばかり、あるいは、ウラばかり見ていてはダメです。
オモテにはウラがあり、ウラにはオモテがあるのです。
両方をシッカリ見つめる事です。
始めに書きましたが、私の受け取っている年金は、それ程多くはありません。
転職は10回以上、国民年金が40%ですから、当然の事です。
しかし、周囲の人は、「かなりもらっている」と思われています。
この違いは何処から来るのでしょう?。
多くの人は、物事を悪い方に考えます、つまりマイナス思考です。
しかし、私は全て、プラス思考です。
これは、気持ちの余裕につながります。
気持ちに余裕の「ある、なし」は、その人の表情、態度、雰囲気等に現れてきます。
この差ではないかと思います。
マイナス思考は、精神衛生上からもよくありません。
同じ一生なら、笑って楽しく暮らしたいとは思いませんか?。
笑って暮らしても、しかめっ面して暮らしても、泣いて暮らしても、一生には変わりありません。
「笑う門には福来る」、私は本当にそうだと思います。
何度も落ち込んだ時期がありましたが、前向きだったので、抜け出すキッカケが掴めたのです。
自殺は、16の時(父との対立で、ある有名高校を辞めた時)に考えた事はありますが、社会に出てからは全くありません。
私の経験から言うと、悪い方に考えると、不思議に悪い結果が出るのです。
発想を転換して、楽しく行きましょう。
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自己責任のつずき

2007年02月17日 00時06分07秒 | Weblog
情報化社会と言われているが、私に言わせれば、情報化ではなく、情報過、社会ではないだろうか?。
次から次えと、様々な情報が流されている。
いったいどれが正しいのだろうか?。
有り余る情報の中から、正しい情報を拾い出す能力を持っている人が少なくなっている。
かつては「目明き(物事を正しく判断出来る人)千人、メクラ(出来ない人)千人」と言われていたのだが。
今では「目明き百人、メクラ千人だから、目明きを相手にしていては、商売にならぬ}」と言う人もいると聞く。
鳥は、生まれて始めて見る、動く物を親と認識する習性があるが、人間も始めに聞いた情報を、正しいと信じる傾向がある。
もしそれが、出鱈目だったとしたらどうなるのだろう?。
正しい理解力のない人たちは、メディアの流す情報によって、マインドコントロールされているように感じてならない。
今、企業は生き残りをかけて必死である。
利益を上げるためには、何でもアリ、と言うところもある。
「騙された」と言って騒ぐ人もいるが、全てがそうだろうか?。
騙される方にも責任があるのでは?。
かく言う私も、何度騙された事か。
しかし、けして騒いだことはない。
合計すれば、かなりの金額になるのだが、授業料として諦めた。
社会勉強である。
学校でするだけが勉強ではない。
社会に出てからの勉強の方が大変である。
成績の良し悪しは、全て自分に返ってくるからだ。
他人の失敗を笑っていると、いつの日か、自分が泣く事になる。
他人の失敗を糧にすれば、泣かずにすむのです。
「失敗は成功の母」と言います。
失敗を恐れて何もしないと、後で取り返しの付かない失敗につながる可能性もあります。
失敗を次の成功につなげればいいのです。
しかし、それが出来ない人が多いですねーーー。
捏造で問題になった番組を、まだ信じている人がいるのです。
マインドコントロールされてしまったのでしょうか?。
私は、かつてある民放の番組制作に係った事があるので、民放の番組は、始めから信じていません。
単なる娯楽番組、として見ています。
或る程度以上の知識があれば、ウソや、やらせ、の多くは見抜けるはずです。
視聴者がもっと賢くならなくてはダメです。
「目明き百人」などと言われているようでは困ったもんです。
問題が起きてからでは、いくら相手を責めても元には戻りません。
嫌な思いをするだけです。
問題が起きなければ、嫌な思いもしなくて済むのです。
法も他人も、簡単には守ってくれません。
自己責任(自助努力)だけでは、どうしようもないのも確かですが、法や他人を当てにしていては、もっと悲惨です。
「知らなかった」と言う人がよくいますが、或る国では「不知は罪なり」と言って、「知らなかった」とは言いにくい国もあるそうです。
「知らなかった」「記憶にありません」等という事が通用するようでは、困りますよね。
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自己責任

2007年02月16日 04時37分22秒 | Weblog
前回の記事は、カラオケの事を書くつもりだったのだが、脱線してしまった。
カラオケの事は少しオアズケ、日を改めて。

かなり前から、自己責任という意識が薄れている。
何でもかんでも他人任せ、機械任せになってきている。
自分の身を自分で守ろうともせず、何かあれば他人のせいにする。
頭を使わずに楽をして生きようとするが、果たしてそれでいいのだろうか?。
人間に限らず、生物は必要ない部分やあまり使わない部分は少しずつ退化してゆく。
昔は、認知症になるヒトは少なかった。
しかし今では、老人どころか若い人まで、若年性認知症になる始末。
頭を使わないから、脳細胞が退化してきているんでは?。
このまま行くと、いつの日か日本は、頭脳後進国になってしまわなければよいのだが。
技術大国などと言われてきたが、それを支えてきたのは頭脳ではなかったのか。
その頭脳をおろそかにしてきた日本に、将来はあるのだろうか?。
グローバル社会になったと言われているのに、多くの国民は世界に目を向けようとはしない。
「井の中の蛙、大海を知らず」とはこの事である。
日本は「ウサギと亀」のウサギでは?。
「技術大国」等と自惚れているうちに、亀(中国、インドなど)に先を越されてしまったのだ。
「中国の技術者無では、アメリカのIT産業は成り立たない」とまで言われているほど。
事実、私の知る限りでは、中国の若い技術者は、日本には全く関心を示さず、北米に目を向けている。
そして、今では世界の企業が、インドの頭脳を求めるようになってきているのです。
日本という国の立場は、どんどん弱くなってきています。
「景気はよくなってきている」等と言う、マユツバな話に踊らされていてはどうし様もありません。
3割の企業で7割の利益を独占しているのです。
残りの7割の企業はどうなるのでしょう?。
7を3で割るのと、3を7で割るのとでは、5倍以上の開きがあり、格差社会の原因の一つです。
そして、7割の利益を上げている3割の企業の殆どが、大都市圏に集中しているのです。
このまま行けば、都市と地方の格差はますます広がるでしょう。
郵政の民営化も、やがては国鉄の民営化と同じ様に、地方の採算の取れない部分の切捨てになるでしょう。
民営化は、都市部の人にとってはプラスでも、地方の人には大きなマイナスです。
選挙の時に、1票の格差が問題になりますが、私に言わせれば、もっと格差をつけるべきです。(私は都市部の人間です)
大都市と言う強者が、地方と言う弱者をいじめているのと同じです。
学校におけるいじめはダメだと言いながら、大都市が、地方をいじめるのはよいのでしょうか?。
なんとも矛盾した話です。
多数決とは、別の見方をすれば、数の暴力、「寄らば大樹の陰」では、自己責任なん無理な話ですね。
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カラオケ

2007年02月14日 05時22分51秒 | Weblog
今夜は、夜中の1時までカラオケ三昧、変な年寄りである。
今、新聞配達が来た、大体いつもも4時頃に来る。
ご苦労な事だ。
この時間まで起きているのだが、私には出来ない。
世の中には、人知れず働いている人が大勢いる。
3Kと言われる仕事の多くがそうだ。
最近の若い世代はそお言う仕事を嫌う。
気持ちは良く分かるのだが、それでは社会が成り立たない。
「何をしたらいいか分からない」、「好きな仕事をしたい」。
私の時代にはその様な事は言っていられなかった。
極端な話、「仕事に自分を合わせる」と言わざるを得ないような状況だた様に思う。
好きな仕事をする等、夢物語である。
「何のために仕事をするのか?」。
そんな事は考えた事もない。
「生きてゆく為」以外にあるのだろうか?。
働いて得た収入で、生きてゆく糧を手に入れる、これが出来なければ餓死するより他に無い。
生きる事に精一杯の時代だから、余計な事を考えている暇などなかったのだ。
石の上にも三年、と言うように、時間をかけて仕事を覚えた物だが、現代ではとてもその様な事は言っていられなくなってしまった。
豊かになった分、ヒトは考える能力を失ってしまたように思える。
そして、努力する事も耐える事もしなくなってきた。
お金があれば、大半の物は手に入れる事が出来る。
しかし、お金で手に入れたものはじきに飽きる。
飽きれば次の物がほしくなる。
それにはまたお金が必要だ。
そのお金は、出来る限り手っ取り早く楽に手に入れようとする。
その結果、悪い事に手を染める。
豊かな時代の副産物ではなかろうか?。
しかし、若い世代だけを責める事は出来ない。
その様な子供たちを育てたのは誰であろう?。
そして、その人たちを育てたのは?・・・・。
「因果応報」。
「風が吹けば桶屋が儲かる」と同じである。
物事を、一次的に考えていてはダメなのです。
もっと深く掘り下げ、多角的に考えなければ解決は無理では?。
私利私欲に目がくらんでいてはどうし様もありません。
一人一人が自覚を持たなければ。
国(政治)をあてにする時代は終わったのではないでしょうか?。
国民一人当たり、一千万近い借金を抱えた状態では、夕張市の二の舞、なんて事だって起きかねません。
そんな事になったらどうするのでしょう?。
のん気な事を言っている場合ではないのでは?。
日本の将来、世界の将来を考えれば、私個人の気持ちとしては、生活の質が落ちるのは仕方ないと思います。


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団塊の世代

2007年02月13日 04時30分11秒 | Weblog
今、団塊の世代が話題になっている。
私はその前の世代である。
昭和17年、日本が敗戦に向かい始めた頃である。
日本という国が、大きく方向転換した時期ではないかと思う。
これは戦争の事だけではない。
私達の世代は、古い日本と、新しい日本の間に位置しているように思う。
私が確か小学5年の時だと思うが、それまでの尺貫法がメートル法に変わると言う事で、算数の時間に尺貫からメートルへ切り替えるための勉強をさせられた。
おかげで、尺貫法もメートル法も通じるのだが、団塊の世代になると、尺貫法は通じなくなる。
労働の現場でも、私達以前の世代では、上司や親方、先輩の力が圧倒的に強く、うっかり口答えでもし様ものなら、怒鳴られるのは当たり前。
殴られる事も、けして珍しくは無かった。
仕事も、教えてもらうと言うより、「見て覚えろ」と言う方が多かったように思える。
そして時が移り、「私達が威張れる時代が着た」と思ったら、とんでもない。
今度は、若い世代(団塊の世代の子供達?)の顔色を伺わなければならないのだ。
なんとも皮肉な事である。
ものの考え方も、デジタルではなく、アナログ。
音楽にしても、アナログのレコードが主流である。
今はデジタルが主流の時代になってしまったが、本当にそれでいいのだろうか?。
なんとも味気ない世の中になってしまった様な気がしてならない。
アナログには、デジタルに無い暖かさがあると思うのだが。
次から次えと新しい便利な物が作られているのだが、それでいいのだろうか?。
それらの製品を考え、作る出す人々は、進化してゆくのだろうが、使う人たちは退化してゆくように思う。
認知症の人が増えている原因の一つではないだろうか?。
私は名前のとおり、へそ曲がりなので、便利だからと言っても直には受け入れない。
人によっては、「古い時代の頑固者」と言う人もいるだろうが、私は気にしない。
安易に受け入れて、後で泣くのは自分なのだから。
今、日本の車は、オートマチィック車が殆どのようだが、私の車はマニュアルである。
「オートマは楽でいい」、それが嫌なのである。
「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」と言う言葉もある。
或る意味で、オートマが主流になる要因がある。
我々の時代は、マイカーブームの初めの頃だと思う。
やっとの思いで手に入れた車、運転する事自体が楽しい事だった。
しかし今はどうであろう?。
町中にあふれる車。
車は運転を楽しむのではなく、移動の手段になっている。
しかも、オートマは一酸化炭素(温暖化ガス)の排出も多い。
私の乗っている1500CCの車は、オートマだと、リッター10キロから12キロ位らしいのだが、15キロ位走ってくれる。
省エネと言う事から考えても、オートマはマイナスである。
ハイブリットカーの方が、より優れてはいるのだが。
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支離滅裂

2007年02月12日 04時30分10秒 | Weblog
ブログの内容が支離滅裂で我ながら呆れる。
もともと文才など無いのに、気まぐれで始めたのだから、当然の結果ではあるのだが。
はじめた以上中途半端でやめるのは、何となく悔しい気がする。
はじめはオカヤドカリをメインにするつもりだったのだが、ここのところ殆ど変化が無いので書き様が無く困ったものだ。
棲息地でも今の時期は気温が低いはず。
10度を割る日もあると聞く。
この事から考えると、今の時期は動きが悪いのが当然なのかもしれない。
ヒョットすると半冬眠状態で乗り切っているのかもしれない。
あちこちのブログでも、今の時期は砂に潜っている話が多い。
どうやら脱皮のためにもぐっているとは限らないようだ。
本能的に潜っているのかもしれない。
オカヤドカリの姿が見えなければ、飼育する楽しみが無いので、当然の結果温度を高くしてしまう。
ここで昨年の4月中頃、オカヤドカリを初めて飼育し始めた頃の事を思い出してみると違いに気が付く。
ヒーター無の18度から20度位でも結構よく動いていた。
10月頃も同じだった様に思う。
11月終わり頃から動きが悪くなったような気がする。
今月の22日から来月の4日まで、11日間留守にする。
以前、「旅行先や会社にまで持っていった」等と言う話を聞いたが、私はそんな事はしない。
一人暮らしだから世話をしてくれる人はいない。
誰かに預けるつもりも無い。
温度はヒーターを入れておけば問題は無いのだが、水と餌はどうするか?。
これも殆ど問題は無いと思う。
水については実験済みで、2週間位なら心配なし。(水なしで、って事ではないので誤解の無いように)
餌も特別心配はしていない。
普通の餌では三日か四日が限度であるが、うちの@は多肉植物もよく食べてくれる。
留守中は多肉植物を入れておく事にする。
岩蓮華、子宝草、高砂の翁、シルバーオンレット、朧月、胡蝶の舞、パールフォンニュールンベルク、ザミオクルカス、これだけあれば心配は無いだろう。
多肉植物は趣味で栽培しているので助かる。
今年はもっと別な物にも挑戦してみるつもりだ。

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風が吹けば桶屋が儲かる

2007年02月10日 22時24分57秒 | Weblog
今年の冬は暖かすぎる。
この原因が何処にあるのか。
地球の温暖化だけではなさそうだが、これからどの様な影響が出てくるか不安である。
様々な説が飛び交っているのだが、少し気になる事がある。
私がよく口にする、「風が吹くと桶屋が儲かる」的な論理が殆ど出てこない。
専門家達も、希望(楽観)的な意見ばかりで、将来を見据えた意見は隅に追いやられている。
よくある、問題の先送り、ってやつである。
もっとも、真剣に問題に取り組んだとしても、世論の反応は、無視するか、拒絶する、かのいずれかだと思う。
ガソリンの代わりに、バイオ燃料。
しかし、バイオ燃料を製造するにも、石油は使う。
それでは、石油の代わりに、全てをバイオ燃料にしたらどうなるのであろう?。
ブラジルがバイオ燃料に力を入れたおかげで、砂糖の国際価格が上昇している。
砂糖の原料である、サトウキビがバイオ燃料の原料にもなるのだ。
家畜の飼料になる、トウモロコシだって同じである。
日本では、建築廃材(木材)を利用する実験が行われているが、多くは、人間の食用(間接的も含めて)になるものが殆どです。
石油が高いから、安いバイオ燃料へ。
この図式が何時まで通用するか?。
食料とバイオ燃料の原料、両方を充たすだけの生産能力が、この地球にあるのだろうか?。
農地はまだ増やす事は可能ではあるが、その代償として、森林破壊、と言うしっぺ返しが来る。
これ以上森林破壊が進んだら、地球はいったいどうなってしまうのだろう。
何かをすれば、必ず新しい問題が発生する。
「風が吹けば桶屋が儲かる」と言う事である。
少子高齢化社会の日本も同じでは?。
人口の減少が問題になっているが、宇宙船地球号にとっては喜ぶべき事ではないだろうか?。
物には、限度、がある。
未来永劫、成長する事は不可能です。
宇宙船地球号は、人間で言えば、中年と言うところでは?。
地球上の様々な問題は、人間の成人病と同じではないだろうか?。
少なくとも私はそう思っている。
それでは一体どうすればいいのだろうか。
欲望には限りがありません。
一度手に入れた便利で豊かな世界、誰が手放すでしょうか?。
それ以上に便利で豊かな世界を追い求めるでしょう。
貧しい国や、発展途上の国の人だって同じです。
こうして奇麗事を書いている私だって、所詮は共犯者なのです。
私個人の意見を言わせていただければ、これ上の発展は望みません。
便利で豊かになったように見えますが、それは物質的な部分で、精神的には非常に貧しくなっています。
昔は、「何は無くても楽しい我が家」なんて言っていたのが懐かしいです。
豊かさや便利さと引き換えに、心を失ったように思えます。
異常気象もその代償ではないだろうか?。
とまあ、いろいろと書いては見るものの、読んでくれる人がいるのだろうか?不安である。
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昔と今

2007年02月09日 04時51分16秒 | Weblog
私が子供の頃(昭和20年代)と、平成時代を比べると、どちらがよいのだろう?。
どちらにも、一長一短がある。
昔は、物の無い貧しい時代。
現代は、物があふれている豊かな時代。
これは表面的な見方である。
精神的な部分から見ると、逆なように感じる。
昭和20年代は、便利な電気製品などほとんど無かった。
しかし、子供達は外でのびのびと遊び回り、けして不幸ではなかった。
そして、いくらでも再チャレンジが出来ました。
私など、十指に余る転職をしました。
今の時代に生まれていたら、確実にワーキングプアです。
社会全体が貧しかったので、僅かしかお金が無くとも、お互いに助け合って生きてゆけました。
現代はどうでしょう?。
お互いの助け合いなど、殆ど期待できません。
そして、何かとお金の要ることばかり。
「生活が苦しいから」と言って、健康保険料や給食費を払わない。
でも、本当に生活が苦しい人ばかりではない。
車を乗り回し、携帯を持ち、レストランで食事、・・・・・。
これで「生活が苦しい」とは、呆れて物も言えない。
物質的には豊かになったが、心は貧しくなっている。
この先どうなってゆくのやら。
人類は、確実に破滅へと向かっているように思える。
平家物語にある「盛者必衰」と言う事になるのでは?。
明るい未来なんて、期待出来るのだろうか?。
私が今一番心配しているのは、医療と教育の荒廃です。
悪い医者が一部にいるのは確かです。
しかし、だからと言って医療ミスを全て同じ様に罰してよいのでしょうか?。
あまりにも厳密に罰していると、やがては、危険を伴う医療を担当する医者がいなくなってしまうのでは?。
教育現場にしても同じことが言える。
本来、家庭生活の中で身に付けなければいけない事まで、学校に依存する。
教師の側は様々な問題を抱えて、四苦八苦。
ノイローゼになている先生が多数いると聞く。
そして、その話を聞いた学生が、教職への道を諦める。
こんなわかりきった事を誰も口にしない。
国政レベルで問題にしなければいけないのだが、前にも書いたように、議員達は次の選挙の事が気になるから、手を付けない。
全てが悪循環になっているのです。
これからは、「自分の身は自分で守る」、つまり、自己責任でゆかなければいけなくなるのでは?。
年金にしても同じ。
「貰えるかどうか分からない」と言うが、払わなければ絶対に貰えません。
「いざとなれば、生活保護がある」などと言う人がいるが、その頃には生活保護だって貰えないんじゃない?。
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