へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

頼りない総理大臣が誕生する訳

2008年12月06日 22時13分07秒 | Weblog
安部・福田と2代続いて短期間で総理大臣の座を放り出したことがあれこれ言われていたのだが、その後を引き継いだ麻生総理の「総理大臣としての資質」が問われている。
「二度あることは三度ある」などというが、何故にこのような短期間でこのようなことになってしまったのであろうか・・・・。
その原因は「期待するだけで自分は何もせず、期待どうりにならなければ文句を言う」と言う「身勝手な国民」にあると思うのだが・・・・。
「あの人なら・・・、この人なら・・・」と、「常に自分に都合のよいことばかりを期待するだけで自分は何の努力もしない」、このような身勝手なことが通用するのであろうか・・・・。
立場を逆にして考えて見れば良くわかるのではないかと思うが、もっと身近な話として「スポーツの世界」を考えてみればよくわかるだろう。
スポーツの世界には「プロとアマ」と言う二つの世界があるのだが、ある程度以上の実力がある選手は、必ずと言ってよいほどアマチュアからプロの世界に転進してしまうのだが、それでは何故プロの世界に転進するか考えてみてほしい。
その最大の理由は「お金になるかならないか」と言うことではないだろうか?。
「どんなにファンの期待に応えて優勝をしたとしてもお金がもらえないアマチュア」と、「優勝すれば大金が手に入るプロの世界」を比べてみれば答えは自ずから出てくるであろう。
話を元に戻して考えたいのだが、「総理大臣はプロではあるがスポーツとは違う」と言う論理も成り立つのではあるが、それでも「総理大臣が期待どうりの結果を出した」としたらどうなるのであろうか・・・・。
「1億2千万以上の国民のために貢献した報酬」は一体どれ位の額が妥当なのであろうか?。
とてつもない金額にならなくてはいけないのであろうが、現実的には「心配は無用」なのである。
「心配は無用?」と思うかも知れないが、仮の話し、総理大臣がどんなに優れた能力を持っていたとしても、「先立つ税収が無い(無い袖は振れぬ)」のだから能力の発揮しようが無く、「国民の期待に応えようがない」のである。
総理大臣(国)が何かをしようとしても常に付いて回る問題に「財源」と言うものがあるが、多くの国民は「財源=税収」と言うことが理解できていないのだろう。
「無駄をなくして財源にまわす」とか「埋蔵金を発掘する」とか言うことも一理あるのだが、「盗人にも三分の理」と言うように「無駄には無駄なりの役割がある」と言うことも考慮しなくてはならないだろう。
「景気の良し悪しは流通しているお金の量で決まる」とも言うように、「無駄を無くす」と言うことは=「流通するお金の量が減る」と言うことで、結果的には「景気の足を引っ張る」と言うことにしかならないのである。
「居酒屋タクシー」なるものが問題になったのだが、一般市民の感情からすれば「とんでもないこと」と言うことになるのだが、居酒屋タクシーによって恩恵を受けていた運転手の収入が減るだけで問題が終わるのであれば事は簡単なのだが、収入が減った運転手の家族にとっては「収入が減った分物が買えない」と言うことになり、「消費が減退する」と言う「景気回復にとって都合の悪い問題」も発生してくるのである。
冷静になって考えてみれば「良いことだと思ってしたことが他で悪さをし、悪いことのはずが良いこともしている」、つまり「良いことと悪いことは表裏一体で、切り離すことは出来ない」のである。
麻生総理に対する批判が強くなり「首の挿げ替え」などということも取りざたされているようだが、「世界的な金融不安による景気後退局面」に「財源不足」と言う二重・三重の難問を抱えていては、「誰が総理になろうと大同小異」でしかないことに気が付くべきだと思うのだが・・・・。
コメント (2)
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