角界の不祥事で連日紙面がにぎわっているのだが、家電製品でも「データーの偽装」が行われている。
前回は「車の燃費の偽装」を書いたのだが、何故日本と言う国はこれほどまでにいい加減な数値がまかり通るのであろうか。
私が考えるには「それだけ日本人が馬鹿だから」ではないだろうか。
政治にしても、具体的な根拠も裏付けもない「民主党のマニフェスト」に簡単にだまされ、政権を奪われた自民党にしても、与党時代に散々批判した「野党のやり方」を、まるで手のひらを返したようにやっている。
そして、メディアにしてもまたしかりである。
このように、いくら考えてみても「日本人は賢い」とはとても思えないようなことばかりであるが、「ずる賢い」と言う言い方は出来るかも・・・・。
更に、「情報化社会」にも大きな落とし穴があることにも気がついていない。
今まで、「情報 過 社会」「情報 禍 社会」と言う言葉を使ってきたが、ここでもう一つ加えたいと思う言葉がある。
それは、「情報 過疎 社会」である。
「過疎?」と思うかもしれないが、別な言い方をすれば「情報 不足 社会」ともいえるだろう。
「過疎のうえに不足?」と思うだろうが、実際それ以外に表現の仕様がないのである。
単純に考えれば、今の社会は「情報が満ち溢れている」と思っているだろうが、満ち溢れている情報の殆ど(全てに近い?)が、「人々が興味を持つ情報」だけなのである。
このことに気がつくのは「私のようなへそ曲がりな人間だけ?」のようで、殆どの人は気がつかないのである。
「百聞は一見にしかず」と言う言葉があるが、以前「テレビで見るのは一見ではない」と書いているように、テレビを見ている人の多くが「映っていない部分」は知ることが出来ず、「映っている部分が全て」だと錯覚を起こしているのである。
情報にしても同じ事で、「情報化されたものが全てだ」と勘違い(錯覚)してしまい、いつの間にか「メディアに洗脳されてしまった」のである。
「日本は技術大国だ!」と言う人もいるが、単純に考えるなそうかもしれないが、いくら優れた技術を持っていても「その使い方を知らない」のであればどうしようも無しだろう。
ある人が「スーパーコンピューターがあるのに何故だ!」といっていたのだが、どんなに優れたコンピューターでも、使いこなせる人がなければ「ただの箱」あるいは「電卓のほうがまし」だと言う事に気がつかないのである。
どんなにコンピューターの性能がよくなったとしても、入力したデータ-が正しくなければ「正しい答えは出てこない」のである。
時折、データーの「偽装や改ざん、捏造」が問題になるのだが、実際は「日常茶飯事」のように身の回りで当たり前のように起きているのである。
ついでなので、身近で起きた笑えないような可哀想な人のことも書いておくことにする。
これは、データーの「偽装、改ざん、捏造」全てが当てはまる問題であるが・・・・。
それは、日ごろから血圧が高目で、医者から「1日3回、一ヶ月分(90回分)の測定値を記録するように」と言われたのだが、その人は朝起きたときの血圧が高い「隠れ高血圧」だったのだ、が・・・・。
ナントその人、朝起きてすぐの血圧が高いため、「計っても記録しなかった」のだそうである。
2時間ほどすると少し下がるため、それを朝の数値として記録したのだそうだが、最も高いときの数値が記録から漏れていたことには医者も気がつかず、結局、高血圧が元で「脳内出血」を起こしてしまったのである。
これは正に「自業自得」であるが・・・・。
気をつければいくらでも身の回りで起きている事で、チョット気をつければわかるはずなのだが・・・・。
前回は「車の燃費の偽装」を書いたのだが、何故日本と言う国はこれほどまでにいい加減な数値がまかり通るのであろうか。
私が考えるには「それだけ日本人が馬鹿だから」ではないだろうか。
政治にしても、具体的な根拠も裏付けもない「民主党のマニフェスト」に簡単にだまされ、政権を奪われた自民党にしても、与党時代に散々批判した「野党のやり方」を、まるで手のひらを返したようにやっている。
そして、メディアにしてもまたしかりである。
このように、いくら考えてみても「日本人は賢い」とはとても思えないようなことばかりであるが、「ずる賢い」と言う言い方は出来るかも・・・・。
更に、「情報化社会」にも大きな落とし穴があることにも気がついていない。
今まで、「情報 過 社会」「情報 禍 社会」と言う言葉を使ってきたが、ここでもう一つ加えたいと思う言葉がある。
それは、「情報 過疎 社会」である。
「過疎?」と思うかもしれないが、別な言い方をすれば「情報 不足 社会」ともいえるだろう。
「過疎のうえに不足?」と思うだろうが、実際それ以外に表現の仕様がないのである。
単純に考えれば、今の社会は「情報が満ち溢れている」と思っているだろうが、満ち溢れている情報の殆ど(全てに近い?)が、「人々が興味を持つ情報」だけなのである。
このことに気がつくのは「私のようなへそ曲がりな人間だけ?」のようで、殆どの人は気がつかないのである。
「百聞は一見にしかず」と言う言葉があるが、以前「テレビで見るのは一見ではない」と書いているように、テレビを見ている人の多くが「映っていない部分」は知ることが出来ず、「映っている部分が全て」だと錯覚を起こしているのである。
情報にしても同じ事で、「情報化されたものが全てだ」と勘違い(錯覚)してしまい、いつの間にか「メディアに洗脳されてしまった」のである。
「日本は技術大国だ!」と言う人もいるが、単純に考えるなそうかもしれないが、いくら優れた技術を持っていても「その使い方を知らない」のであればどうしようも無しだろう。
ある人が「スーパーコンピューターがあるのに何故だ!」といっていたのだが、どんなに優れたコンピューターでも、使いこなせる人がなければ「ただの箱」あるいは「電卓のほうがまし」だと言う事に気がつかないのである。
どんなにコンピューターの性能がよくなったとしても、入力したデータ-が正しくなければ「正しい答えは出てこない」のである。
時折、データーの「偽装や改ざん、捏造」が問題になるのだが、実際は「日常茶飯事」のように身の回りで当たり前のように起きているのである。
ついでなので、身近で起きた笑えないような可哀想な人のことも書いておくことにする。
これは、データーの「偽装、改ざん、捏造」全てが当てはまる問題であるが・・・・。
それは、日ごろから血圧が高目で、医者から「1日3回、一ヶ月分(90回分)の測定値を記録するように」と言われたのだが、その人は朝起きたときの血圧が高い「隠れ高血圧」だったのだ、が・・・・。
ナントその人、朝起きてすぐの血圧が高いため、「計っても記録しなかった」のだそうである。
2時間ほどすると少し下がるため、それを朝の数値として記録したのだそうだが、最も高いときの数値が記録から漏れていたことには医者も気がつかず、結局、高血圧が元で「脳内出血」を起こしてしまったのである。
これは正に「自業自得」であるが・・・・。
気をつければいくらでも身の回りで起きている事で、チョット気をつければわかるはずなのだが・・・・。