若い国王夫妻が来日して一躍有名になった国だが、「幸福」とは一体どんなものなのだろうか。
私はかつてある人から「幸せになりたかったら周りを見るな」と言われたことがある。
「周りを見るな」は「周りの人と自分を比べるな」と言うことで、周りの人と自分を比べると「必ず自分が惨めな気持ちになるから止めたほうが良い」と言われたのである。
これは、「隣の芝生は青く見える」のと同じように、他人の良いところと自分の良くないところを比べてしまうことが悪い結果(不幸)を招いてしまうからである。
これを書く少し前に「鶴瓶の家族に乾杯」と言う番組でもブータン王国が取り上げられていたのだが、この番組を見ていて昔を思い出してしまった。
「梅ちゃん先生」でも感じていたのだが、ここで少し昔話でもしてみようと思う。
私が生まれたのは昭和17年なので、戦争も知らなければ、終戦直後の大変な時期も知らないので、ある意味で「幸せな時代」だったように感じる。
その理由は「子供たちの目がキラキラ輝いていた」からである。
それに比べると今の子供たちはどうであろうか。
一見「欲しい物は何でも手に入る」と思える時代だが、最も肝心な「幸せ」をその代償として失っているように思えてならないのだ。
私の子供の頃はその正反対で、「欲しい物は何も手入れれることが出来ない」と言う時代ではあったが、「自由」にあふれていた。
家の中には電化製品といえるようなものは何もなかったが、一歩外にでればそこは自由に満ち溢れた世界だった(と思っているが)。
「受験戦争」なんてものもこの後の時代の話で、毎日泥だらけになって遊んだものである。
遊びは自分たちで考える事もでき、今では想像もできないだろうが、「道路も立派?な遊び場」だったのだから。
何しろ、幹線道路から横道に入ると「車は5分に1台」くらいしか走っておらず、道路で遊んでも怒る人はほとんどいなかったのだから。
舗装だって、幹線道路以外ではほとんどされておらず、未舗装のでこぼこ道がほとんどだったしね。
今では想像もつかないだろうが、東京23区内でも、魚釣りや昆虫採集が出来たんだからね。
夏休みの宿題に「昆虫採集」なんてのも有ったからね。
しかし、世界一幸せな国「ブータン王国」にもかげりが見え始めているらしい・・・・。
私はかつてある人から「幸せになりたかったら周りを見るな」と言われたことがある。
「周りを見るな」は「周りの人と自分を比べるな」と言うことで、周りの人と自分を比べると「必ず自分が惨めな気持ちになるから止めたほうが良い」と言われたのである。
これは、「隣の芝生は青く見える」のと同じように、他人の良いところと自分の良くないところを比べてしまうことが悪い結果(不幸)を招いてしまうからである。
これを書く少し前に「鶴瓶の家族に乾杯」と言う番組でもブータン王国が取り上げられていたのだが、この番組を見ていて昔を思い出してしまった。
「梅ちゃん先生」でも感じていたのだが、ここで少し昔話でもしてみようと思う。
私が生まれたのは昭和17年なので、戦争も知らなければ、終戦直後の大変な時期も知らないので、ある意味で「幸せな時代」だったように感じる。
その理由は「子供たちの目がキラキラ輝いていた」からである。
それに比べると今の子供たちはどうであろうか。
一見「欲しい物は何でも手に入る」と思える時代だが、最も肝心な「幸せ」をその代償として失っているように思えてならないのだ。
私の子供の頃はその正反対で、「欲しい物は何も手入れれることが出来ない」と言う時代ではあったが、「自由」にあふれていた。
家の中には電化製品といえるようなものは何もなかったが、一歩外にでればそこは自由に満ち溢れた世界だった(と思っているが)。
「受験戦争」なんてものもこの後の時代の話で、毎日泥だらけになって遊んだものである。
遊びは自分たちで考える事もでき、今では想像もできないだろうが、「道路も立派?な遊び場」だったのだから。
何しろ、幹線道路から横道に入ると「車は5分に1台」くらいしか走っておらず、道路で遊んでも怒る人はほとんどいなかったのだから。
舗装だって、幹線道路以外ではほとんどされておらず、未舗装のでこぼこ道がほとんどだったしね。
今では想像もつかないだろうが、東京23区内でも、魚釣りや昆虫採集が出来たんだからね。
夏休みの宿題に「昆虫採集」なんてのも有ったからね。
しかし、世界一幸せな国「ブータン王国」にもかげりが見え始めているらしい・・・・。