かつての日本軍では、「靴に足を合わせろ」と言っていたのだとか。
アメリカ軍ではそのようなことはなかっただろうが、物資が乏しい日本軍である。
兵士の足に合った靴をそろえるのは困難だったようで、足に合わない靴であっても「足を靴に合わせろ」という無理難題を言ったようです。
ところが・・・・。
私はあと少しで76歳になるが、私の人生は「靴に足を合わせる」のと似たようなものであった。
靴。
これは「自分がその時置かれた環境」のことです。
人生はままならないもので、自分が望むのような環境に恵まれることなそそうそうあるわけはありません。
その時どうするか。
それにあらがう人もいるだろうが、「仕方ない」とあきらめる人もいる。
で、本題に入るが、今の私は貧しい年金暮らしである。
が、周囲の人はそうは思っていないらしい。
今日も夕方のことではあるが、知り合いから「お前は年金をたくさんもらっているからいいよな!」と言われたが・・・・。
その男。
大学を卒業してすぐに中堅の製薬会社に就職し、定年まで勤めあげ、退職時は「課長」であった。
私はと言うと、高校を中退していて、両手に余るほどの転職をしてきている。
なので、退職金だってまともにもらってなどいない。
年金にしても、私は国民年金の加入期間が15年もある。
彼には「企業年金」も加算されるので、私の倍以上はもらっているはずである。
なのに、私の方が裕福に見えるらしいのです。
この違い、いったいどこにあるのだろうか。
私が思うには、彼は「足に靴を合わせる」で、私は「靴に足を合わせる」という違いがあるようです。
「カニは己の甲羅に合わせた穴を掘る」という言葉があるが、私がまさにそれで、彼は己の甲羅より大きな穴を掘っているのです。
2028.05.23.
追記です。
この記事を書いたのはおよそ2年半前のことです。
改めて読み返してみたが、最近は自分の足に合った靴を探し回って苦しんでいる人のなんと多いことか。
そう、せっかくサイズがあっても「デザインが気に入らない」「色が気に入らない」など、サイズ以外にも注文が多すぎる。
ところが・・・・。
せっかく気に入った靴が見つかっても、それでもまだ満足できない人も多い。
そして・・・・。
靴選びにばかり熱中していて、もっと肝心なことを疎かにしている。
私が今抱えている問題も同じこと。
私なら絶対に起こさない問題を起こして、それを何とかしてほしいと頼みに来る。
想定外の問題で起きたのならこちらもなんとかしてやろうと思うが、初めから起きるのがわかっていてやって起きた問題。
これでは助ける気にもならない。
本人にその自覚があるならまだ何とかしようもあるだろうが、今もってその自覚がない。
「自業自得」なので放っておけばよいのだが・・・・。
そいつ一人の問題なら放置もできるが、そのとばっちりを受けて泣く人がいる。
しかし・・・・。
本人に全く自覚がないので、今助けてもまた同じことを繰り返す。
これでは助ける意味があるのだろうか。
問題を持ち込まれて1か月以上になるが、進展は全くなし。
何とも困った問題なのです。