>水野穣副会長(67)は「自分よりも社会のために働き、国を動かした龍馬という人物が日本にいたことを米国に伝え、その精神を感じてもらいたい」と話す。
「自分より社会のために働き、国を動かした」のは司馬遼太郎の空想歴史小説『竜馬がゆく』等に登場する“架空の幕末スーパーアイドル坂本龍馬(竜馬)”の話だ。実在の坂本龍馬とはかけ離れた虚像に過ぎない。
実在の龍馬はそれなりの仕事をしたことは事実だが、自分が食っていくのに必死で、勝海舟責任下の公金50両を近藤長次郎らと一緒に横領したり、有名な「いろは丸事件」の時には、実際には存在しなかった鉄砲金塊等の積荷があったと言い張り、現在の価値に直すと15億円前後の金を紀州藩から騙し取ったりしている。立派な泥棒・詐欺師と言ってもよい。
第三者で薩長提携を最初に提唱したのは、福岡は筑前勤皇党の加藤司書(かとう ししょ)・月形洗蔵(つきがた せんぞう)・早川勇(はやかわ いさみ)らだ。彼らに共鳴し周旋活動をしたのが土佐出身の中岡慎太郎(なかおか しんたろう)・土方久元(ひじかた ひさもと)。
しかし、実際に成立した薩長の和解提携は他ならぬ薩摩藩が構想し小松帯刀・西郷隆盛たちが中心になって工作を進め実現したもので、坂本龍馬は当時彼が庇護を受けていた薩摩の小松・西郷たちの指示を受けて動いていたに過ぎない。
“敵対関係にある薩長両藩の手を結ばせるという当時誰も考えつかなかった奇想天外なアイデアを坂本龍馬が思いついた”というような話を未だに語る人もいるようだが、其れはフィクションである。
“龍馬が「薩長同盟」を仲介し成立させた”という話もフィクションだ。
慶応2年(西暦1866年)1月に京都で結ばれ龍馬がその場に立ち会った薩長間の“六カ条の密約”の成立に龍馬が貢献したのは事実だ。だが其の六カ条の密約が成立した前年の夏から秋にかけて薩長両藩の和解協力関係は進展し事実上所謂「薩長同盟」が産声を上げている。
その際に和解を呼びかける長州毛利父子の薩摩宛ての手紙を持参し薩摩藩主とその父「国父」島津久光(しまづ ひさみつ)に長州側の事情を説明したのが近藤長次郎だ。NHK大河ドラマ『龍馬伝』で大泉洋が演じたあの人物である。かと言って“近藤長次郎が「薩長同盟」を結ばせた”というわけでもない。「薩長同盟」には多くの人物が関わっていて“○○が結ばせた”という言い方は出来ないのだ。
龍馬が現場に立ち会った六箇条の薩長密約は、既に事実上成立したと言える「薩長同盟」を前提に結ばれた約定である。(その時の会合は、実は、当初はただの懇親会だったという話もある。その「懇親会」を、桂小五郎が長州の立場を薩摩側に訴え具体的な密約を結ぶ場へと変えるのに大きな役割を果たしたのが途中参加した坂本龍馬である。六箇条の密約に限定すれば坂本の功績は大きい。だが、くどいが、ただそれだけである。)
この「薩長提携発案仲介伝説」だけでなく、“龍馬が大政奉還策を発明し、彼の奔走により実現した”という「大政奉還発明奔走伝説」などの「龍馬伝説」の多くがフィクションだ。
未だに架空の「龍馬伝説」を信じ“架空の幕末スーパーアイドル坂本龍馬”を信奉している残念な方々も多いようだ。お気の毒である。
「ロサンゼルス龍馬会」の皆さんが、実際のところどういう認識でいるかは、私にはよく判らないが。
以下、YOMIURI ONLINEより引用。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20111023-OYT1T00034.htm
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「米国で知名度低い」龍馬、ロスに銅像計画
米・ロサンゼルスに住む坂本龍馬ファンの日系人で作る「ロサンゼルス龍馬会」が、現地の日本人街に、海外では初めてとなる龍馬像の設置計画を進めている。
22日に高知市で開かれた「第23回全国龍馬ファンの集い」で報告した。像は高さ1・7メートルとほぼ等身大の銅製で、右手を懐に入れ、左手で刀を持つ姿 を予定している。現地にある全米日系人博物館などへの設置を検討、すでに日本で鋳造の交渉を進めている。同会によると、米国では日系人の間で龍馬の知名度 は高いが、米国人にはあまり知られていないという。
水野穣副会長(67)は「自分よりも社会のために働き、国を動かした龍馬という人物が日本にいたことを米国に伝え、その精神を感じてもらいたい」と話す。
(2011年10月23日03時03分 読売新聞)
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