メガリス

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西郷の本当の顔は肖像画・銅像とほぼ同じ。

2016年09月08日 22時15分48秒 | 幕末維新

 西郷隆盛の妻“いと”は、除幕された上野の西郷銅像を見て「うちの人はこんな人ではない」と周囲の人々にはっきりと聞こえるような声で言い親族らにたしなめられたという。そして、自宅に帰ってから「浴衣姿で散歩なんてしなかった」と語った。

 西郷は人前に出るときはちゃんとした格好をする人であったし、また、武将にしろ軍人にしろ政治家にしろそれぞれの謂わば“正装”で描かれることが銅像では普通なのに西郷はウサギ狩りの時の(散歩ではない)「ラフ」な浴衣姿だったので、“いと”は驚いて思わずそのように口走ってしまったわけだ。 

 “西郷隆盛の実際の顔は肖像画や銅像とは全然違う”ということを言う人たちがいて、それを信じる人もいるらしい。 

 西郷が島津斉彬に見出され藩政に関わる以前から、それこそ子供の頃から、彼を知る親族・友人・知人・近所の人たちが沢山生きている時代に全く違う顔の肖像画や銅像を世に出せるかどうか、また出したらどんな反応が起こるか、少し考えたら判りそうなものだが。

 西郷の肖像画・銅像は、実際に西郷に会ったことの有る人物が自ら描いた物や、西郷を知る親族・友人・知人たちの意見を聞きながら作者が作品にまとめたものである。別々に製作されたそれらが大体同じような顔に収まっている。西郷はあのような容貌だったことは間違いない。
 鹿児島の知人からの間接情報だが、鹿児島市在住の西郷隆盛曾孫である西郷隆夫氏によれば、西郷家親族の間で最も実物の西郷に似ていると高評価だったのは元庄内藩士石川静正が描いた肖像画だそうだ。石川は鹿児島に行って生前の西郷に親しく接したことのある人物である。
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 私の拙い説明よりも、下記のページをお読み頂いたほうが良く理解してもらえると思う。
 【西郷どん】西郷隆盛の本当の顔は一般に知られている肖像画の「あの顔」で間違いなかった!


 俗に「フルベッキ写真」と呼ばれる、長崎に在った佐賀藩の藩校「致遠館」の教師や生徒たちを有名な写真家上野彦馬が撮影した写真が有る。明治元年10月入学の岩倉具視の息子二人が写っていることなどから明治元年末から翌二年頃に撮影されたもので、折田彦市・相良知安・石丸安世・山中一郎といった政治家・官僚として名を遺す人物の姿も確認されている。
 この「フルベッキ写真」に西郷や坂本龍馬など幕末維新期に活躍した著名人が沢山写っていると言い張る人たちがいる。そんな話はもうとっくに通用しなくなっているのに未だに悪あがきを続けているようだが、そういう人たちが自説の辻褄合わせの為に“西郷の肖像画・銅像は実物の西郷の顔とは違う”と言っているらしい。
 彼らは“暗殺を恐れた西郷は実物の彼とは全く違う容貌の人物を影武者に立てていた”という稚拙な作り話をしているそうだ。
 作り話をする人間も、それを信じる人間も、オツムの程が知れる。
 暗殺者を欺く為に西郷本人と異なる容貌の「影武者」を仕立てたのなら、普通は其の「影武者」の顔写真を方々にバラまくなどしてニセ西郷の顔を周知させようとするだろう。なのに何故「影武者」の写真が一枚も残っていないのか。長年に亘って「影武者」を維持する為の多大な費用・労力が無駄ではないか。(“西郷は写真嫌いで彼の写真は無い”という話が広く知られるようになったのは後年のこと。)
 其の「影武者」維持費を西郷はどうやって捻出したのか。現代と違い藩・身分・職業などによって言葉や立ち居振る舞いが全然違う時代。薩摩藩士西郷隆盛を演じる「影武者」は彼と同年代の薩摩藩士から雇い入れなければならない。そして、少なくとも西郷が薩摩外で活動している間は常に彼と行動を共にしなければならない。そして「影武者」には命の危険がある(と、西郷や「影武者」たち関係者は思っている)。従者を一人増やすのとはわけが違う。西郷が金持ちになったのは明治維新後に報奨金を貰った後のこと。以前の彼にそんな金銭的余裕は無いだろう。薩摩藩が西郷の為に「影武者」を手配してやったというなら、薩摩藩関係資料の中に必ずその痕跡が残るはずだがそういったモノが見つかったという話は聞かない。また薩摩藩の政治目的実現の為に奔走していたのは西郷だけではなく、家老小松帯刀や大久保利通らも西郷同様あるいはそれ以上に重要な役割を果たしているのだから、薩摩藩としては彼らにも「影武者」を立てるべきで西郷だけ特別扱いする理由は無い。(西郷の功績として語られることが多い事績の幾つかについて、家老小松帯刀の指示命令や大きな関与が有ったことが知られている。島津斉彬は西郷を見出して重用し西郷も斉彬に心酔していたが、斉彬死後に薩摩藩の実権を引継いだ「国父」島津久光と西郷の間は険悪といっても良いくらいだった。)
 「影武者」は何処の誰なのか。さっきも言ったが、薩摩藩士西郷隆盛を演じる「影武者」は彼と同年代の薩摩藩士から選ぶしかない。あの特徴的な顔と体格の人物は西郷の「影武者」になる以前から薩摩藩士内や周囲の人々から注目を浴びていたはず。その人物が或る日突然別人の西郷隆盛として藩内外で活躍を始めるわけだ。調べれば何処の誰か判るだろうに、何故か其の候補の名前すら聞かない。(「影武者」説を唱えている人達自身が其れを信じていないのでハナ
から調査していない、ということだろう。
 西郷隆盛の子や孫、そして現在マスコミなどにも登場し表舞台で活躍している西郷隆盛の曾孫西郷隆文氏や同じく西郷隆夫氏らは明らかに肖像画・銅像に描かれる西郷隆盛の顔の特徴を引き継いでいるが、彼らは皆西郷隆盛本人ではなく「影武者」の子孫だと言うのか。 

 彼らは西郷の妻”いと”の発言の後半は無視し、前半だけを自分らの都合の良いように利用している。









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