早稲田大学は“両親を大事にしよう”とか“家族を大事にしよう”とか“自分の住んでいる地域を大事にしよう”とか教えることも「教育には似つかわしくない」と考えるのだろうか?
それらも「教育に似つかわしくない」と言うのであれば、「国家への敬愛の念を抱かせようとする」のは「教育に似つかわしくない」というのも、一応話のスジとしては、通る。
それとも“両親・家族・地域はオッケーだけど、国家はダメだよおぉぉおん”という不思議な主張をするつもりなのだろうか?
いったいどっちなのだろう。どちらであってもかなり異常だ。
教育は「強制」なんだよ。人間として必要であるとか身に着けておいた方が良いと大人が考える事柄を子供や若者に「強制」することを「教育」と言う。
私も日本人の両親の子供として日本で生まれたので、両親や周りの大人たちから日本語や日本人的思考を「強制」されて育った。“自主的”に日本人になったわけではないし、それが良くないことだったとも思わない。
「強制」が悪いのではなく、問題はその内容とやり方だ。
“強制はいけません”などと寝とぼけたことをいうのなら、学校なんてやめてしまった方がよろしい。
以下、iZaより引用。
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早大入試で偏向的出題 国旗国歌「ふさわしくない」
産経新聞
2012/02/21 09:44更新
早稲田大学法学部が15日に実施した入学試験で、学校行事での国旗国歌をめぐる教員の不起立訴訟を取り上げ、国歌斉唱時の起立強制はふさわしくないとする問題文を出題していたことが20日、分かった。最高裁判例では起立しない教員への職務命令は合憲とされており、識者は「偏向的で不適切だ」と指摘している。
出題されたのは選択科目の「政治・経済」で、問題文は「日の丸・君が代が戦前の日本の軍国主義下でのシンボルと考える人々にとっては、君が代に敬意を払えという命令は自己の思想に反すると感じられる」と指摘。「教育には強制はふさわしくないのではなかろうか」と結論づけた。
また「学校の式典で日の丸を掲揚し君が代を斉唱することは、それを通じて国家への敬愛の念を抱かせようとするものであり、教育には似つかわしくない」と記述し、入学・卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱の指導を義務付けた文部科学省の学習指導要領に明確に反する主張を展開した。
不起立訴訟をめぐっては、東京都教育委員会の懲戒処分取り消しを求めた訴訟で、1月16日に最高裁が「戒告までは処分権者の裁量の範囲内」と、初の処分基準を示したばかりだ。
早大法学部の出題を受け、都教委は今月17日、都立進学校36校に、受験した人数の報告を依頼した。都教委は過去問題の分析集作成などに必要と判断したほか、「受験生や保護者が不安になったり、問い合わせがあったりする可能性があり、把握すべきだと考えた」と説明している。
早大広報室は「入試問題の内容についてはコメントしない」としている。
教育評論家の石井昌浩氏は「最高裁判例をはみ出した偏向的な問題文だ。入試問題を通した洗脳教育とも解釈でき、極めて不適切だ」と指摘している。
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