楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

神々の落日

2006-06-04 08:42:22 | 科学
昨日は晴天。海岸で暑い中でゆったり調査。1つの観察にじっくり時間をかけると、いろいろなものが見えてくる。これがいいね、やはり。この魅力につられてこの職業となり、長い月日が流れた。
 思えばそのようなことが本当に楽しくなったのは大学を卒業して、大学院へすすみ、それも博士課程ですすんだ後であった。卒業論文はボロボロ。修士論文は必死にやり、それなりに良くやったと言われたが満足できず。それは教授から与えられたテーマであった。同輩たちは博士課程へは進学できないだろうと噂していた。修士論文発表終盤、院生総掛かり体制で、かろうじて進学した。その時、私はこのままではいけない、と思った。
 まず1から何を、どうして、やりたいのかを考えなおした。そして大胆にテーマと研究手法を変えることとした。指導教官は大変理解のある人で、決して押し付けず「好きにしなさい。」と一言だけいった。むしろ私の考える線にそって研究室全体の方向を据え、その後の後輩たちの配置までやらせてくれた。自分の思いが私と違うのに、である。この先生の大きな心に私は今でも感謝している。その後、私は多くの名のある先生のところに出かけることも一切の干渉をせず、むしろ積極的に応援してくれた。ただ1回だけ、私がある先生の論文と著作を読み、話をしに行ってみたい、と相談した所、「君のいいところは自分で考えてやっているところだから、大事にしなさい」とコメントをもらった。どういう意味か良く分からなかった。
 そして、その先生と話をした。おかしい、と思うことを質問し、どう考えているのと意見を求めたところ、ぎょ!とした顔をした。その後、私の考えは間違っているとその先生が言っている、という噂があちこちから聞こえてきた。たかが大学院生の意見なのに、である。博士課程の3年のときにシンポジウムで発表するという栄誉を得たが、その時も多くの聴衆の面前で公然と批判されるなどどいうことも経験した。そして、はじめて私は指導教官のくれたコメントを理解した。
 私の先生は、私が海外にいる時に逝去された。私の涙は止めどなく流れた。そして一方の訪ねた先生も今年亡くなった。私は全てが歴史の、人生の一こまであったことを噛み締めている。
さ、きょうも出発!
(写真は神々の山、九州高千穂の落日:昨夕)
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