一昨日より韓国中部の温泉都市、ユンソン(儒城)にいる。韓国の筑波といわれるように多くの研究所が集中しているところでもある。韓国の私の専門分野の学会での講演を依頼されたので来た。韓国は初めてである。既に紅葉で樹木はみごとに色づいている。有名な温泉地であるというのに、毎日飲み会で、温泉につかる暇もなく、周辺を観光する暇もなく、本日の午後には帰国である。様々な看板がハングルであることと、車が反対側を走っていることをのぞけば、日本と何も変わらない。歩いている人の服装も何も変わらない。女性の茶髪の少なさを除けばである。やはり黒髪の方が落ち着いていいね。渋谷のガングロ山姥系はこの町にはいない。いい風景だ。
このような旅ばかりだね、本当にいつも。韓国は日韓の摩擦や、一方で私も好きな韓国ドラマのブレークや、最近の北朝鮮問題と、関心にことかかない所でもあり、歴史に関わる探訪もぜひしたかったのであるがなにせ時間がなさ過ぎる。残念である。
しかし、来年春にはこの学会の創立60周年ということで、また招待されたので、その時こそは少々時間を取って、歩きたいものである。
さて、そこで記すことは夜の宴会にしよう。焼き肉と焼酎「真露」を前にした、座り席による大宴会。客分として上座にいるので、少々居心地が悪く、盛り上がっているところに近づきたくても近づけない。でも、日本の学会と同じく2次会、3次会とつづく。2次会はジャズパブ。3次会はカラオケ。3次会はこちらにいる日本人の若者(学生とポスドク)をつれて、韓国人たちがうたっているカラオケへなだれ込む。午前1時まで大盛り上がりで歌いまくった。ケイウンスク「すずめの涙」、「釜山港へ帰れ」。韓国の歌は全くわからないが、日本の若者向けの歌より、私にはリズムとメロディーがなじみやすい。歌詞との調和がわかればのめり込めるな、これ。とおもいつつ。昼間の付き合いと、夜の付き合いは限界状態。ホテルに帰り、温泉どころではなく、バタンキューである。
しかし、これで国際交流の重要なきっかけができた。帰国後すぐに、日本側の学会に正式な日韓関係構築継続のため、年寄りから若者へ至る太い連携のための組織作りをお願いしようと思う。アメリカや欧州ばかりに目がいきがちな日本において、本当に近いアジアの隣国を大事にしなければならない。不幸な歴史を超えて。