楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

なつかしい悪への入口

2006-06-26 23:20:36 | 人間
 昔話を1つ。
 私は1964年、東京オリンピックの年に、北海道の炭坑街、上芦別を去った。本当に充実した子ども時代であった。
小学校の時は街の子であった。しかし、中学へ進学すると2つの小学校からの子が一緒になり、全く新しい社会となった。1学年300人。6クラス。一学級60人。教室の机は後ろの壁までびっしりである。新しい友がたくさんできた。その中で印象深い友が二人できた。ひとりは炭坑街の幹部の子。そしてもう一人はとてつもなく体の大きい、番長格の子。

 番長の友は優しいボスであった。その彼には父がいなかった。彼の父は三菱炭坑のバレーチームの一員であった。チームは強く、バレー全国大会へ出場することとなった。いさんで東京へ。しかし不幸にもそのバレーチームを乗せた青函連絡船は「洞爺丸」であった。洞爺丸台風によって津軽海峡の海に沈んだ。そのチームの中に彼の父はいた。彼は悲しげにしかしちょっと自慢げに、父の写真を見せてくれた。私は「洞爺丸台風」と名づけられた台風のことは知っていた。小学6年の時の修学旅行で函館へ行き、七重浜に大量の死体が揚がったことを聞いていたからである。しかし、それがこんなにも身近な友のことであることに大きなショックを受けた。それから、その番長たちといつも遊ぶようになった。

 「おおーい!梨を捕りにいくぞ!」と放課後、声がかかる。もう一人の友である炭坑会社幹部の子の家の庭にある梨が目標。西洋梨で大根のように堅い。しかし、ほのかに甘く、当時の子どもたちには絶好のごちそうである。「お前は先生の子なので見つかるとまずいから、見張り。道路の端で人が来ないように見張ること」「よし!分かった」。わくわくドキドキである。炭坑の家はハーモニカ長屋。幹部の家はレンガ作りの一戸建て、庭付き。道路脇から、その家を見ると、その幹部の子の友が何とも寂しげな目で、こっそりと外を眺めていた。こころの中で、申し訳ない気分が広がった。
 「こら~!」どこからか声がした。「逃げろ!」の声とともに、皆一斉に駆け出した。そして、草むらに板を組み合わせて作った秘密基地へ。みんなで、盗んだ梨をがりり!とかんだ。

「うえ!この梨、虫が食ってる!」「うへ!これもだ!」
「わっはは、これではあいつら、梨も食えないぞ」
 とみんなで腹を抱えて笑った。

 梨泥棒は幹部と一般炭坑夫の間のどうしようもない差別を感じている子どもたちの反逆であった。しかし、ふたを開けてみると、その差別の象徴であった梨が食えないものであった。そのことを理解したことの安堵の笑いであるように感じた。なにか暖かい気分になった。

 当時は300人の子どもたちの成績番付が総て発表となった。なんとも残酷な時代である。私はなぜか、中学最初の試験で上位となり、いつであったか1番になった。そして、そのことから番長たち仲間の宿題係となった。小学校時代の街の子たちは、どうも性に会わなかった。彼らは金持ちなのである。医者の子も大きな呉服屋の子も、皆、家には自分の部屋を持ち、自分のベットと机を持っている。小学校の教員宿舎は長屋。部屋は2つ。そこに親と兄弟4人がひしめいている。おやつのおこづかいももらえない。典型的貧乏教員である。当時は60年安保の余波の時代。小学校教員は炭坑の組合と一緒になって「安保反対」の側にいた。きっとそんな大人たちの激しい矛盾と対立が子ども社会にも如実に反映していたのであろうと思う。私はただただ楽しかっただけであるが。
 その仲間の中で宿題を見るとともに、私は鉛筆を削るのが大得意であった。今でも大好きである。フィールドへ出かけて、メモを取るが、私はシャープペンシルが嫌いである。頭に消しゴムのついたトンボ鉛筆。それを丹念に削り先端を尖らす。その間合いが大好きである。さて、この鉛筆削り請負もまたグループの中の私の仕事であった。

番長仲間は、私も含めて皆ナイフを持っていた。やがてそのことが学校で大問題になるのであるが。
私の知らないところで彼らは隣の中学校の番長グループを決闘と称して、けんかをしたらしい。
 ある日、その中の一人が「鉛筆削ってくれ」といって手に真新しい包帯をして学校へ来た。「どうした?」ときくと「いやちょっと。お前にはいえん」。私はとにかく鉛筆を削った。「本当にうまいなお前は!でもそのナイフちょっと切れんな。あすいいものを持ってきてやる」といった。次の日、かれは2枚のカミソリの刃にポマードという頭につける油をぬって持ってきた。「これ2枚一緒に使い、切ると決して傷口がふさがらないんだ、気をつけろ」といった。

 そして、先生から呼び出しが来た。「お前、最近成績が下がっているぞ。悪い奴らとつきあうな!」
くやしかった。父や母にさえ言われていない。「なぜ、そんなこと言われなければならないのか!」「たかが5番や6番下がったくらいでなんだ!だから1番なんていやなのだ!」その番長仲間はだれも一番だからといって妬んだり恨んだりなんてしていなかった。ただただ楽しく皆で遊んでいただけなのに。
 でも、事態は着実に悪くなっていた。2年の秋の日曜日、私はあまりにもの天気のよさに、自転車で隣の街までぶらりとひとり出かけた。そして遠くで呼ぶ声がした。何か怒りに似た声である。私はとっさに「やばい!」と感じて逃げた。しかし、坂道で追いつかれた。突然、自転車から引きずり降ろされ殴られた。隣町の番長であった。
「お前は○○を知っているか!お前んとこの番長!」「偵察に来たのだろう?」「今度、いつやる気だ?」
「知らん!」と答えた。また、一発思いっきりこぶしで殴られた。しかし、ただ散歩に来ただけ、本当に知らん。
とかなんとか切り抜けた。
これを○○君にいうと間違いなくに復讐戦になると思った。しかし、殴られた悔しさは押さえられず、なんとしても仕返しをしたかった。もう悪の入り口にいることが自分にもはっきりと分かった。ポケットの拳はナイフを握りしめていた。
この怒り、いかに解かせん! この街を去る事となるひと月前のことである。
昭和30年代の上芦別
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2 コメント

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後始末 (楽学)
2006-06-29 23:56:06
後から読むとくさいね。悪の自慢は男の甲斐性なんてね。でも続きをお楽しみに。とりあえず6月締め切りの債務処理で目一杯です。そのうち記します。

izazonくんの債務処理は大丈夫?
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面白いです (inazone)
2006-06-28 19:02:16
少し、荒削りな重松清っぽい文章で、いい感じですね~。これからも楽しんで読みたいと思います。



ではでは。

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