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英語と科学と人間(2)助走

2006-07-21 07:14:39 | 科学

 私は未だに英語はそんなに得意ではない。しかし、使うことにさほどのストレスはない。よく会議で議論したり、そこでのアメリカ人の目先だけを考えるパターンへ反論したりすることもさほどではない。英語を読むのも日本語を読むのも、スピードはあまり変わらない。小説、新聞などはどちらも斜め読み。
でも英語での食事がつづくと、たまに「横めし」ではなく「縦めし」を食べたくなる。
 (ちなみにこの「横めし」「縦めし」とはかつて私がまだ、若い時にアメリカでお世話になった国際的にも有名な教授が、つかっていた言葉。「横めし」とは、英語はすべて横書きであることをもじっていて、英語を話しながら食事をすること。「縦めし」とは、日本語は縦書きである(かつてはすべてそうであったね)をもじり、日本語を話しながら食事をしたり、飲むこと。)

さて、私の英語との人生。

 中学の時は英語は大得意であった。住んでいた田舎町がいくつも集まり中学生を集めてNHK主催英語コンクールなどが開かれていた。ある日先生から飛び出され、それに出ろという。中学から送り込まれ、読む、書く、聴く、話す、全てについてあり、読む、書く、聴くまでは1位になった。しかし、発音が良くなくそこは2位。自慢ではないが、英語は嫌いではなかった。アメリカ人の女の子と文通し、写真をもらって「わ!なんてきれいな子だ!」とわくわくしていた。歩きながら英語を口ずさみ、ほんわかとその子と話している気分になり、にやにやしていた(多分)。 
 しかしである。進学した高校は受験校であったが、突然、英語が難しくなりびっくりした。そして追い立てられるように勉強しなければならないことが追い打ちをかけた。そして、我が人生での初めての片思いの恋。寝ても覚めても、そのことばかり考えて勉強どころではなく成績はどんどん落ちた。
<むむ~、まずい。あたって砕けろだ!>
私のこころの中の優柔不断さを吹っ切るためにラブレターを書いた。そして砕けた~(とほほ)。
でも、私のこころは晴れ渡った空のようになり、その「すっきりさ」があまりにもうれしくて、その振られた相手に礼状まで書いてしまった(ちょっと寂しかったが)。

 そして、その後、遅れを取り戻すようにがむしゃらになった。しかし、英語だけは成績の向上はなく、苦手なまま大学へ入った。大学の最初の英語は膨大なものを、それも文学作品を読ませるもの。
そもそも私は人間のこころを扱う文学が分からず、小説など読んだことがなく、ますます嫌になった。おまけに大学は紛争のど真ん中。ついに授業は1年間なくなった。
<嫌なものをやらなくていい!> 英語はどんどん忘れた。

 紛争のために1年遅れて専門課程にすすんだ。それまで3年間もほとんど勉強せず、紛争に明け暮れていたので、勉強することに飢えていた。受験以来ひさびさにがむしゃらに勉強した。しかし、苦手は英語を読まされることであった。
<またしても「ねばならない」かよ!>こころがいやがっている。
でも、専門は深めたかった。すでに今の妻と「できていて」大学院へ行くべきかどうか真剣に悩んだ。
<早く就職して結婚したい。でも勉強もしたい>
悩んだ末、大学院へ進学することを決意した。しかし、結婚もしたい。「神田川の世界」はもういやだ!(そのころ爆発的にはやっていた。こころにしみた)親に大学院へも行く、結婚もしたい。
というと
「ばかもの!すねっかじりの分際で何をたわけたことをいうか!」
と両親総がかりで、「大学院へいくのは支援するが結婚は許さん!」となった。
私のこころは悔しさで一杯になり、でも親の言うのも一理、
<確かにスネッかじりだ>
神田川がつづいた。そして、大学院試験のために、苦手な英語とドイツ語の猛勉強を開始した。
でも3年間も勉強していない。ほとんど忘れている。さて、どうするか。

あ、時間がない。つづきはまた。
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