楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

教科書

2007-01-18 23:39:29 | 教育
いま教育が問われている。ちょっとした興味で大昔読んだトーマスクーン「科学の革命」の黄ばんだ本を読み直しているがその中に、面白い記述がある。

19世紀初頭に、今流の教科書ができたという。すなわち法則などというものがどのようなものであり、それはどのようなことから分かるか、そしてそれがどのように応用できるかを簡単に書いてあるもの、である。しかしそれ以前は、科学を志すものの教科書は、たとえばニュートンの「プリンキピア」や「光学」、古典ではアリストテレスの著作などそのものを直接学んだという。それは2つの点で大きく人を引きつけた。1つは熱狂的に新しい体系を示していること、そしてもう一つはその体系の中で解決すべきテーマが示してあること、である。この2つがパラダイムの主軸を形成していたのである、とうのがクーンの重要な指摘である。

振り返って今の教科書はどうか、これまでの科学で分かったことが羅列してあり、解かれるべきテーマが記されていない。
これでは覚えることと、それをちょっと応用することだけに汲々として、その後先にある創造的な科学など生まれようがないですね。だから速攻で答えられるかどうかのみの受験にいそしみ、自分の頭で創造的な研究をすすめる人種が育たないですね。

高校の教科書にも、今の科学で解かれていない問題、わくわくするようなテーマを大規模に示してはどうか?
ただし、そのための基本的ツールとして科学の方法(パラダイム)は示さなければならない。
10代~20代初頭の天才的人間は軽々とその未知の世界へ入っていくであろう。
「新しい教科書を作る会」的な理系版としてブルーバックッスの理科教科書シリーズなどが出たが、それらを見ても残念ながらそうなっていないね。官製ではない教科書が出ることはいいことなのだがね。パターンが知識の切り売りになっていないかね。

私も未知のテーマの散りばめられた教科書を書いてみたい、と思う。
少しづつ原稿をためてはいるんだがね。なにしろ興味が多岐にわたり過ぎ、おまけに整理能力がなく、遅々としてすすまないのだが。
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