スズメにしては大きい・・・
車にガソリンを入れてお金を払おうと思ったら、カバンが後部座席に置いてあった手を伸ばして届かないので運転席のドアを開けて外から後部座席のドアを開けようとしたらドアが開かない?チャイルドロックは装備されていないし・・・どうして?スーパーで買い物をして右の後部座席へ荷物を置いたから開かない筈がないのだ。運転席に入ってドアのお状態を見たら内側からロックがしてある?オイラはロックした覚えがないけど・・・まぁいいか。それでお金を払いエンジンをかけたら今度はドアミラが折りたたまれた。え~どういうことなの?どうしてエンジンをかけたらドアミラーが収納されるの?・・・どうも最近ダイハツコンテの調子が不可思議なのです。もうすぐ7年になるけどなぁ・・・
最近あまり見かけなくなったけど、時々スーパー等で見かける。背中や腕の部分が日焼けして色が変わってしまった防寒ジャンパーやジャケットを着ている老人を、独身なんだろう?自分でも気が付いていないのか?それとも気が付いているけど服装に関心が無いのか?オイラは「ああは」成りたくないなぁ、成らないぞ!と思っていた。それが今日ガソリンスタンドでガソリンを入れて我が家に帰って来てから、ふと自分が着ている綿入りの防寒ジャケットを脱いだら、背中が日焼けして色あせていたのです。え~!どれどれと仔細に眺めてみると両腕のシワになっている処は本来の紺色だけど、シワにならない部分は日にやけて色が剥げているのです。おいおい!オイラもあの禿ちょろけ!のジャンパーを着ていたオッサンだったのか?焦るよ!どうして今まで気が付かなかったのだろう?・・・妻に「これ見てくれシワになっている部分だけは色あせてないけど他の部分は色あせてるぞ!知っていたか?」と見せたら「だれも爺さんの服装なんか気にする人は居ないよ!大丈夫だって!いままで、自分自身も気が付かなかったので良いでしょう!」と妻はつれない事をおっしゃるのです。そして「大丈夫だって!これからは家の中か、車に乗るときだけ着れば十分使える」おいおい!ジャンパーを家の中で着る?そりゃもう・・・老人の仲間入りかよ!「大丈夫あんたはりっぱなご老人だから!」
朝からず~と雨が降り続いている
こいう雨の日はオリンパスE-P3を持って散歩に出るのですが・・・
土曜日と月曜日の岐阜の街歩きで疲れ果てて、歩きたくない
歩けれないというのが本音です。膝と腰が痛い。
情けないね・・・
妻が日頃からキッチンの周りのテーブルも必ず拭いてねと何度もやかましく言うのです。オイラは食卓だけで十分だろう?何でカウンターのテーブルまで?「猫は、人が見ていない時は何をしているか知れたもんじゃないよ」と妻が文句をいうのでオイラは拭くのですが、しかしなぁ・・・気が弱くておとなしいチクワに限って食卓やカウンターには乗らないだろうと考えていたのですが、今日偶然にもチクワがカウンターテーブルに乗っているのを見つけました。ちゃんと証拠写真もバッチリです。妻にこの事を密告すると「ほらね!私が言うとおりでしょ!」と自慢するので妻には報告せず黙っておきます。しかしなぁチクワよ!悪びれた様子もなく堂々としているのがオイラは気に入らない。う~ん・・・乗ったはいけない場所がある事を教えるには、猫には無理な注文か?
シャッター通りになってしまった商店街をあるいていると「夏草や兵どもの夢のあと」という芭蕉の句を思い浮かべる。今は冬だから「冬草や・・・」までは思い浮かんだが後がつづかない。「枯草やマッチ1本火の用心」あほ~!
漠然と街をあるいて、面白い光景だなぁと感じても一枚の写真にして眺めると面白さが消えて、つまらない平凡な街の風景や光景に変わってしまう。なかなか写真というヤツは簡単な操作で光景を切り撮り提示できるが、自分の意思を伝えることや表現するには、とてもやっかいな表現手段だと痛感させられる。でも表現とは「これでもか!これでもどうだ!」と表現しすぎても、見せられる方としては「げんなり」するのだ。独りよがりではいけないし、サジ加減が微妙でむつかしい。写真家の村越としやさんのように何も表現も何も提示をしないという写真もある。世の中は千差万別でこれも面白いのだ。
岐阜のじゅうろくてつめいギャラリーで開催中の和田マサ子写真展「声がきこえる」は写真表現とは何かという根本的な事を問いかけている面白い写真展だとおもいます。お近くの方は、ぜひ足を運んでいただきたいとおもいます。
体重=膝が痛くなるほど街を歩いて、当然に腰もスジが入ったように重たくなっても今朝の体重は58.6Kgだった。歩くという行為はカロリーを消費しないように出来ているらしい。