久世光彦(1935~2006年)は言葉を生業にしている演出家・プロデューサー・小説家である。作者は本書で昔の言葉を懐かしんでいる。一例をあげると夏目漱石の本が国語辞典を使わないと意味が分からない。吾輩は猫であるの冒頭で「どこで生まれたか頓と見当がつかない」???・「頓と(トント)=急には=にわかに」「見当がつかない=めあて」「吶喊(トツカン)=大声をあげて敵に突進する行為」「代言(ダイゲン)=弁護士」「返報(ヘンポウ)=しかえし」「後架(コウカ)=トイレ」などなど、昔使っていた言葉がいつの間にか使わなくなって、雰囲気や情緒のようなものは変貌してゆくのを惜しんでいる。煙草でも昔は「煙草をのむ」と言っていたが、今では「煙草をのむ」という言葉を使っている人はオイラは聞いたことがないのだ。煙草を吸うとなってしまった。
現代では、夏目漱石という名前を知っていても、夏目漱石の小説を読もうと試みても1ページで、つまづいてしまう。現代語訳に直してあっても完読するする人はいないだろう。著者は、夏目漱石を伊勢物語や宇治拾遺物語の古典にいれてしまってはいけないと嘆いている。しかしなぁ・・・本書の発表誌は1995年2月から1年間「週刊現代」に連載してる。もう30年も前だ。残念だが懐かしい言葉は死語に近い、言葉は人と共に消滅してゆく。