石川 博雄(記憶の作り方)Hiroo Ishikawa (How to make the memory)

オイラと妻とチクワ(12歳めす猫)ムギ(10歳おす猫)マメカン(8歳おす猫)二人と三匹のその日暮らしアレコレ

久世光彦著 ニホンゴキトク  講談社1996年刊

2024-10-09 | 

久世光彦(1935~2006年)は言葉を生業にしている演出家・プロデューサー・小説家である。作者は本書で昔の言葉を懐かしんでいる。一例をあげると夏目漱石の本が国語辞典を使わないと意味が分からない。吾輩は猫であるの冒頭で「どこで生まれたか頓と見当がつかない」???・「頓と(トント)=急には=にわかに」「見当がつかない=めあて」「吶喊(トツカン)=大声をあげて敵に突進する行為」「代言(ダイゲン)=弁護士」「返報(ヘンポウ)=しかえし」「後架(コウカ)=トイレ」などなど、昔使っていた言葉がいつの間にか使わなくなって、雰囲気や情緒のようなものは変貌してゆくのを惜しんでいる。煙草でも昔は「煙草をのむ」と言っていたが、今では「煙草をのむ」という言葉を使っている人はオイラは聞いたことがないのだ。煙草を吸うとなってしまった。

現代では、夏目漱石という名前を知っていても、夏目漱石の小説を読もうと試みても1ページで、つまづいてしまう。現代語訳に直してあっても完読するする人はいないだろう。著者は、夏目漱石を伊勢物語や宇治拾遺物語の古典にいれてしまってはいけないと嘆いている。しかしなぁ・・・本書の発表誌は1995年2月から1年間「週刊現代」に連載してる。もう30年も前だ。残念だが懐かしい言葉は死語に近い、言葉は人と共に消滅してゆく。

 


2024/10/09Wednesday

2024-10-09 | ムギ

現在9時半です。ポツリ・ポツリと雨が降り続いています。「10時から晴れる」と妻が仰っています。まぁ天気予報の受け売りなんですけど。「だから晴れるから、その時間にあわせて洗濯機をまわしてね!」と言って出かけて行きました。天気予報ほど当てにできないものはないのだ。口で言うのは簡単だけど、実行するのは大変ですよ!

昨日、押し入れの衣装ケースからジーンズを出して、半袖のTシャツをしべて終った。

そうそう・・・先々週のこと、西友ストアで長袖のTシャツを半額のシールが貼ってあったので、とっさに2枚買った。定価は1枚990円なので、一枚分だけ得した勘定になる。しかしセルフレジでの表示は「2枚で合計550円」という明細が表示された。そうなの?なにか間違っていない?よく見たら半額シールの下に1割引きシールが貼ってある。でもおかしいよね・・・?と思いながら、この値段ならもう2枚ほど追加で買おうかと考えたが、また会計したら「お客さん!前の料金は間違っていましたので、清算をやり直してください」と言われる可能性が無いとも限らない・・・悩むなぁ・・・後ろ髪を引かれながらその日は帰った。そして二日後に長袖Tシャツを買いに行ったら、完売してして商品は無かった。やっぱりなぁお客はよく知っている、しまったなぁ損したなぁ・・・残念!

そしてきのう、妻が「この長袖Tシャツどこで買ったやつ!肩の部分が色あせている」と言うのです。ああ!それ!このまえ西友で買った長袖Tシャツだ!こんな早く色あせるということは1年か2年店内に吊るされていた商品なのだ。いやいや・・・3年かも知れない?・・・やっぱりなぁ・・・安物買いの銭うしない。

「肩だけ色あせくたびれたTシャツは爺さんによく似合う」