織田信長、豊臣秀吉に「茶頭(さどう)」として仕え、饗応としての茶の湯を芸術の域にまで高めた千利休。
現代に続く茶道の名門である三千家の礎を築いた彼の生涯を、秀吉から切腹を命じられ、正に自害せんとする場面から、過去を回想して時代をさかのぼりながら描いていく。
「美は私が決めること。」
天下統一を目前にし、名だたる武将がひれ伏した信長を相手にしても豪語する利休は、「美」を徹底的に追求していた。
それは単に物の形としての「美」だけではなく、風情や佇まいとしての「美」や、人としての「美」も追い求めるものであり、その圧倒的な美意識によって人々を魅了していく。
信長も一目を置き、「茶頭」として引き立てられた利休。
彼は、信長の目指す「天下布武」の一翼を担うこととなり、政治的な力を持ち始める。
戦線離脱という軍律違反によって、信長の勘気に触れて居城に蟄居していた秀吉が訪ねてきた際に利休は、茶席に雑穀による粥を用意。
稗や粟を食べて暮らした貧しい昔を思い起こし、涙を流しながら粥を頬張る秀吉に、利休はそっと信長への口添えを約束する。
織田家家臣となって“出世街道”をひた走ってきた秀吉もまた、彼に魅せられた一人だった。
明智光秀の謀反に信長が倒れ、後継者としてのし上がっていった秀吉は、あこがれていた利休を自分の「茶頭」として引き立てる。
「美」に裏打ちされた文化的な側面から、陰日向に秀吉を支える利休は、政治的な影響力を強めていった。
天下統一を果たし、全てを手に入れた秀吉だったが、「己が額ずくのは『美しいもの』だけ」という利休の存在は、次第に疎ましいものとなっていく。
そして秀吉は、己の意のままにならない利休に対して切腹を命じることになるが、なぜそこまで利休が、ただ「美」を追い求め続ける生き方を貫いたのか。
その理由は、若き日に経験した、身を焦がすような恋にあったという…。
裕福な魚問屋の倅として、若い頃は色街に入り浸る遊び人だった利休。
ある日、ひとりの“囚われの美女”を見染めることとなってしまった彼は、その道ならぬ恋において、人間として恥ずべきこと、男として最も格好悪いことをしでかしてしまう。
「男のプライド」は粉々に砕け散り、打ちひしがれ、己の不甲斐なさに慟哭する利休。
元々美意識の高かった彼が、その後の人生において己のアイデンティティーを確立し、「あるべき姿」で生きていくためには、徹底的に「美」というものを追求していく以外になかったに違いない。
男として再びカッコよく生きていくためには、そうするしか道はない。
徹底的に「美」を追い求める生き方の動機として、これほど大いに納得も得心もし、大いに腑に落ちた!
一般的には、「詫び寂」のイメージと共にどこか“枯れた”人物としてとらえられる利休が、そんな人物像からは想像できない、燃え上がらんばかりの情熱を持った「パッションの人」として描かれる。
そんな新たな“利休像”に、大阪的なうがった見方で言うと「ええカッコしい」な感じの市川海老蔵はハマり過ぎるほど適任。
歌舞伎を通して磨かれてきた身のこなしが所作に活かされていて、つま先から頭のてっぺんまで行き届いた姿形の美しさが見事。
1年をかけて「利休」になるべく研鑽を積み、自腹を切って利休の茶道具まで購入したという彼の熱意が、ひしひしと画面から伝わってくる佳作。
「利休にたずねよ」
2013年/日本 監督:田中光敏 脚本:小松江里子
出演:十一代目市川海老蔵、中谷美紀、伊勢谷友介、大森南朋、成海璃子、福士誠治、袴田吉彦、黒谷友香、十二代目市川團十郎、檀れい、大谷直子、柄本明、伊武雅刀、中村嘉葎雄、クララ、川野直輝
現代に続く茶道の名門である三千家の礎を築いた彼の生涯を、秀吉から切腹を命じられ、正に自害せんとする場面から、過去を回想して時代をさかのぼりながら描いていく。
「美は私が決めること。」
天下統一を目前にし、名だたる武将がひれ伏した信長を相手にしても豪語する利休は、「美」を徹底的に追求していた。
それは単に物の形としての「美」だけではなく、風情や佇まいとしての「美」や、人としての「美」も追い求めるものであり、その圧倒的な美意識によって人々を魅了していく。
信長も一目を置き、「茶頭」として引き立てられた利休。
彼は、信長の目指す「天下布武」の一翼を担うこととなり、政治的な力を持ち始める。
戦線離脱という軍律違反によって、信長の勘気に触れて居城に蟄居していた秀吉が訪ねてきた際に利休は、茶席に雑穀による粥を用意。
稗や粟を食べて暮らした貧しい昔を思い起こし、涙を流しながら粥を頬張る秀吉に、利休はそっと信長への口添えを約束する。
織田家家臣となって“出世街道”をひた走ってきた秀吉もまた、彼に魅せられた一人だった。
明智光秀の謀反に信長が倒れ、後継者としてのし上がっていった秀吉は、あこがれていた利休を自分の「茶頭」として引き立てる。
「美」に裏打ちされた文化的な側面から、陰日向に秀吉を支える利休は、政治的な影響力を強めていった。
天下統一を果たし、全てを手に入れた秀吉だったが、「己が額ずくのは『美しいもの』だけ」という利休の存在は、次第に疎ましいものとなっていく。
そして秀吉は、己の意のままにならない利休に対して切腹を命じることになるが、なぜそこまで利休が、ただ「美」を追い求め続ける生き方を貫いたのか。
その理由は、若き日に経験した、身を焦がすような恋にあったという…。
裕福な魚問屋の倅として、若い頃は色街に入り浸る遊び人だった利休。
ある日、ひとりの“囚われの美女”を見染めることとなってしまった彼は、その道ならぬ恋において、人間として恥ずべきこと、男として最も格好悪いことをしでかしてしまう。
「男のプライド」は粉々に砕け散り、打ちひしがれ、己の不甲斐なさに慟哭する利休。
元々美意識の高かった彼が、その後の人生において己のアイデンティティーを確立し、「あるべき姿」で生きていくためには、徹底的に「美」というものを追求していく以外になかったに違いない。
男として再びカッコよく生きていくためには、そうするしか道はない。
徹底的に「美」を追い求める生き方の動機として、これほど大いに納得も得心もし、大いに腑に落ちた!
一般的には、「詫び寂」のイメージと共にどこか“枯れた”人物としてとらえられる利休が、そんな人物像からは想像できない、燃え上がらんばかりの情熱を持った「パッションの人」として描かれる。
そんな新たな“利休像”に、大阪的なうがった見方で言うと「ええカッコしい」な感じの市川海老蔵はハマり過ぎるほど適任。
歌舞伎を通して磨かれてきた身のこなしが所作に活かされていて、つま先から頭のてっぺんまで行き届いた姿形の美しさが見事。
1年をかけて「利休」になるべく研鑽を積み、自腹を切って利休の茶道具まで購入したという彼の熱意が、ひしひしと画面から伝わってくる佳作。
「利休にたずねよ」
2013年/日本 監督:田中光敏 脚本:小松江里子
出演:十一代目市川海老蔵、中谷美紀、伊勢谷友介、大森南朋、成海璃子、福士誠治、袴田吉彦、黒谷友香、十二代目市川團十郎、檀れい、大谷直子、柄本明、伊武雅刀、中村嘉葎雄、クララ、川野直輝