面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「エイリアン・ビキニの侵略」

2011年12月14日 | 映画
街をパトロールしながら治安を守っているヨンゴン(ホン・ヨングン)は、ある夜、1人の女性(ハ・ウンジョン)が男たちに襲われているところを目撃する。
得意のテコンドーで助けに入り、男たちを問答無用に蹴散らすと、傷ついた女性を介抱するために自宅へと連れて帰った。

はにかむように話す清楚なその女性は、名前をハ・モニカと言った。
そこはかとなく色気を放つモニカに心を惹かれるヨンゴン。
まるで女の子を初めて自分の部屋に呼んだ中学生のように、モニカとぎこちなく会話をしつつゲームに興じながら、徐々に打ち解けていく。
だんだんと心を許し始めた様子のモニカは、いつしか積極的にヨンゴンに迫っていった。
そしてついに、着ていた衣服を脱ぎ捨ててビキニ姿になったモニカに、ヨンゴンは己の欲望を解放!
……しそうになるが、これまで固く守ってきた“誓い”を思い出すと、毅然として彼女を拒絶した。
実はヨンゴンは、30歳を過ぎた今もなお、未来の妻のために童貞を守り続けるピュアな男だったのだ。
すると次の瞬間、モニカの背中から背骨が飛び出し、ヨンゴンの首を締め上げて気絶させてしまう。
なんとモニカは、宇宙の彼方からやってきたエイリアンだったのだ!

ヨンゴンは目を覚ますと、いつの間にかロープで縛り上げられていた。
身動きが取れない彼にモニカが迫る。
「30年間大事に守られてきた、純潔の精子が必要なの。」
モニカと名乗る美女の姿を借りたエイリアンは、生涯に一日だけ子供を産める機会が訪れるという性質を持っており、おりしも今日がその日だという。
しかし彼女が受精して子供を産むことは、人類の破滅につながるのだった。

自らの純潔を守るため、いや、そんなことよりも何よりも、人類を存亡の危機から救うため、“セイシ”を賭けた戦いが始まる…!


「SUPER8/スーパーエイト」、「スカイライン-征服-」、「世界侵略:ロサンゼルス決戦」、「カウボーイ&エイリアン」。
次々とエイリアンムービーが公開されてきたが、遂にお隣の韓国からもエイリアンが上陸した!
これまでのグロテスクな容姿のエイリアン達とは一線を画し、なんと今回のエイリアンは、ビキニ姿の美女だから嬉しい!
(それは男だけかもしれない!?)
過去にも、「スペースバンパイア」や「スピーシーズ 種の起源」など、美女の姿を借りた地球外生命体は存在した。
どれも抜群のプロポーズを持った裸女だったが、本作はかなりフツウな美女。
しかしこの方がよっぽど怖い。
絶世の美女には近寄りがたいが、親しみがもてる美女には、フラフラと引き寄せられやすいというものだ。


純潔の精子を求める美女と童貞を守ろうとする男の攻防と書くと、何やらコメディタッチのポルノ映画のよう。
しかし、「遊星からの物体X」を彷彿とさせるモンスターのビジュアルだけでなく、ヨンゴンの心の奥底に潜む気弱で純真な姿からは想像できないダークな秘密がフラッシュバックするシーンにより、一筋縄ではいかないストーリー展開を見せる。
あの手この手で欲情を引き出そうとするモニカに対して、懸命に純潔を守り通し続けるヨンゴンが、思わず己の欲望のままに性欲を暴発させるシーンには愕然となった。
彼の行動に隠されたその深層心理について、大いに考えさせられた。
単なる「エイリアンvs人類」という図式にとどまらない、示唆に富む映像から“感じる”ことの面白さを味わってもらいたい。


本作は、2011年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭において、ファンタスティック・オフシアター・コンペティション部門で見事グランプリを受賞。
ハ・ウンジョンのお色気に、ノースタントで魅せるホン・ヨングンのテコンドー・アクション、VFXによって描かれる独創的なイマジネーションに、ホラー、コメディ、サスペンス、更にはラブストーリーの要素まで織り込まれた、セクシーSFエンターテインメント!
低予算だからこその(!?)テンコ盛り系娯楽作品♪


エイリアン・ビキニの侵略
2011年/韓国  監督:オ・ヨンドゥ
出演:ホン・ヨングン、ハ・ウンジョン、チェ・ヨンジョ、ジョ・ワンヨン、ソ・ビョンチョ

「ラビット・ホール」

2011年12月13日 | 映画
閑静な住宅街に暮らすベッカ(ニコール・キッドマン)とハウイー(アーロン・エッカート)のコーベット夫妻。
8ヶ月前、一人息子のダニーを交通事故で亡くして以来、二人の心は絶望的なほどに深い喪失感に覆われていた。

ハウイーは、ダニーとの思い出を大切にしながら前へと進んでいこうとするが、ベッカはダニーを思い出すものから目を背けようとするようでいてその面影から離れられずに心が揺れ続ける。
妹イジー(タミー・ブランチャード)の妊娠にも素直に喜べず、母親ナット(ダイアン・ウィースト)の言葉にも耳を傾けることができない。
ハウイーの提案で、彼らと同様に子供を亡くした親達によるグループ・セラピーに参加するも、他のメンバーの話に辛らつな言葉を投げかけて場を凍りつかせて退席したり、身内で集まったボーリングでも母親に毒づいて気まずい空気を作り出したり、苛立ちを隠せずにいた。

そんなある日、ベッカはある少年(マイルズ・テラー)を目撃する。
その少年こそ、8ヶ月前にダニーを車で轢いてしまった高校生ジェイソンだった。
ひょんなことから対面した二人はぎこちなく会話し始める。
ジェイソンは事故以来、心に深い傷を負っていた。
ベッカも彼を責めるつもりは毛頭無く、ぎこちなく会話を交わし始めた二人だったが、いつしか奇妙な安らぎを覚え、公園のベンチで話をするのが日課となる。

一方ハウイーは、ベッカが抜けた後もグループ・セラピーに参加していたが、そこで出会った女性ギャビー(サンドラ・オー)と、心の隙間を埋めるように急接近してゆく。
ベッカとハウイーの間に生じ始める綻びは、このまま解れていってしまうのか…


ジェイソンを見かけたベッカは、彼の後を追って図書館へと入っていく。
ジェイソンが返却した「パラレル・ワールド」という本を思わず借りてしまうベッカは、今の自分と異なる状況にある“自分”が「パラレル・ワールド」で生きているという考え方に興味を持った。
ジェイソンと会話を交わすようになったベッカが、彼に「パラレル・ワールド」を自分も借りて読んだことを明かすと、彼は「パラレル・ワールド」を参考にして、「ラビット・ホール」という漫画を描いているという。
それは、科学者の父親を亡くした少年が、パラレル・ワールドに存在する別の父親を探すため、「ウサギの穴(ラビット・ホール)」を通り抜けて“並行して存在する世界”へと入っていくという不思議な物語だった。

「ラビット・ホール」を通り抜け、自分がいる“世界”では亡くなってしまった大切な人を「パラレル・ワールド」で探し出す。
ジェイソンの描く物語に、ベッカは儚い夢を追ったかもしれない。
自分も「パラレル・ワールド」でダニーを探せたら…。
「パラレル・ワールド」でダニーが生きていてくれるなら…。
ジェイソンとの邂逅は、叶えられるはずのない夢の世界に身を置くことができ、心穏やかに過ごせるひとときだったのかもしれない。
しかしそれは、ダニーが「この世にいない」という現実から逃避し、ここではないどこかで生きているダニーの面影を追いかけることで、喪失感をひとときの間忘れているに過ぎない。
そして同時に、ジェイソンにダニーの面影を重ね、ほんのひととき喪失感を紛らわせているに過ぎないのである。


夫のハウイーは、「ダニーはいない」という事実を事実として受け止め、ダニーの思い出を大切にしながら、新たな一歩を踏み出そうともがく。
グルーピセラピーに参加してダニーについて語り、スマホに保存してあるダニーの動画を眺め、ダニーの思い出に浸る時間を作ることによって、現実社会での活動を維持しようとした。
ベッカとハウイーとでは、それぞれ「ダニーの死」という事実に対するアプローチが異なる。
なによりもベッカは、ダニーを亡くした悲しみは誰とも共有できるものではなく、誰にも理解できないものと周りを拒絶し、悲しみを一人で抱え込んで自分の殻に閉じこもろうとする。
そのため、悲しみを共有しようとするダニーはすれ違いが生じてしまう。
しかし二人とも、自分の心を覆うどうしようもない喪失感を乗り越えたいという思いは同じ。
夫婦として、価値観を共有し、共に人生を歩むパートナーとして互いを選んだ二人なら、共に悲しみと共存しながら、二人で寄り添うように新たな生活を送っていけるはず…


とてつもなく大きな喪失感に絶望的にうちひしがれながらも、やがて前へと歩みだそうとする夫婦の姿が、抑えたタッチでじっくりと描かれる。
最愛の人を亡くした悲しみは、何ものかに「再生」されるものではないし、「再生」できるものではない。
悲しみは悲しみとして、心の中にあり続ける。
しかしその“形”は、徐々に姿を変えていくもの。
「大きな岩のような悲しみは、やがてポケットの中の小石に変わる。」
人は「悲しみ」を抱いたまま、新たに歩みを進めることはできるのだ。


ニコール・キッドマンの歴代出演作の中でも屈指のメイクの薄さに驚いたが、その“ノーメイクぶり”によってアカデミー主演女優賞にノミネートされたのではないことを改めて認識した。
(当たり前やけどね)
苛立ちを内に秘めた、抑制の効いた繊細な演技は見応え十分。
静かに抑えた雰囲気は、「アザーズ」のような“重さ”ではなく、ヒリヒリとした“緊張感”を醸し出して息苦しくなるほど。

ピュリツァー賞を受賞した戯曲に感銘を受けた彼女が、自らプロデューサーとして主演を務め、心血を注いで映画化した、ヒューマン・ドラマの良作。


ラビット・ホール
2010年/アメリカ  監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル
出演:ニコール・キッドマン、アーロン・エッカート、ダイアン・ウィースト、タミー・ブランチャード、マイルズ・テラー、サンドラ・オー

「カイジ2~人生奪回ゲーム~」

2011年12月08日 | 映画
伊藤カイジ(藤原竜也)は命懸けのゲームに勝利し、多額の借金を帳消しにした。
まさに「人生の逆転」を果たした!…はずだったのに、1年も経たぬ内に再び借金まみれとなり、せっかく這い出した強制労働施設“地の底”へと転落していた。

ある日、「チンチロチン」で博打にうつつをぬかしていたカイジだったが、“親”のイカサマを見抜いた仲間と謀って金を取り戻すと、地下生活を共にしている“強制労働仲間”たちの協力を得て、2週間地上に出ることを許される。
仲間全員の借金総額2億円を2週間で返済できれば、みんなで地上に戻ることができる!
しかしたった2週間でどうやって2億円を返せるというのか!?

ひょんなことから、以前にカイジとの勝負に敗れて失脚した、元帝愛グループ幹部の利根川幸雄(香川照之)に再会したカイジは、「裏カジノ」への招待状を手に入れる。
支配人・一条聖也(伊勢谷友介)が取り仕切るそのカジノには、当たれば10億円以上を稼ぐことができる巨大なパチンコ台「沼」があった。
挑戦者を一切寄せつけず、逆に更に莫大な借金を負わせ続けて“肥大”しているモンスター・マシン。
しかしこれを攻略すれば、イッキに仲間の借金を帳消しにして“地の底”から救い出すことができる!
カイジは、「沼」攻略の研究に心血を注いできた坂崎孝太郎(生瀬勝久)と知り合い、タッグを組んで命がけのゲームに挑む。
そして、再起を目論む利根川とも手を組み、更には昔の仲間の娘である石田裕美(吉高由里子)を仲間に引き入れ、人生を奪回するために「沼」と対峙する…!


せっかく命がけのゲームに勝ち残って地上に戻ったというのに、また性懲りも無く借金まみれとなって地下での強制労働に送り込まれていたカイジ。
その根本原因は、まずその怠惰な性格だ。
将来どころか、ほんの数分先さえ見通すことが無いような場当たりな行動、すぐに目の前の快楽に溺れてしまう堪え性の無さ、楽して一攫千金を得ようとばかり考えて安易な方向にばかり流れようとする姿勢。
しかしカイジは、抜群の強運を持つ。
もう後が無いという極限のピンチに陥っても、その強運によって脱出できてしまうという経験は、カイジから努力しようという意思を奪うのではないだろうか。
ピンチを乗り越えた後の解放感は何ものにも変えがたい快感を得られるが、怠惰な性格によってその快感に溺れて終わってしまう。
そのために自省を忘れ、ピンチを迎えた原因と今後に向けた対策を考えることなくやり過ごして、また再びピンチに見舞われるという悪循環に陥るのである。

まるで煉獄であるが、ある意味刺激的な人生ではある。
これはこれで面白おかしく生きていくことはできそうだ。
しかしいわゆる「大立者」にはなれず、富を得て財産を築くことはできない。
更にカイジは、「人がいい」と言えば聞こえはいいが、ただ単に人にも自分にも甘い。
だからプラス、マイナスで考えれば「マイナス」の人生を歩んでしまい、すぐに莫大な借金を背負ってしまう。
そんな彼の姿に、誰もが歯がゆく思い、「バカだなぁ」と呆れてしまうだろうが、冷静に自身のことを考えてみると、程度の差こそあれ、誰しもカイジに自分を投影することができるはず。
我々の中にある怠惰な部分を表出させるカイジに、近親憎悪的な感覚を持つと同時に、なんとなくカタルシスを覚えるかもしれない。

目標設定の意識が強く、自省と改善を怠ることが無ければ資産を形成することができるであろうが、そこに強運が加われば「大立者」へとのし上がることができよう。
しかしそんなことができるのは、ほんの一握りの人間だけだ。
…と、その「一握り」に入れない自分の弱さに気付きながら、「ま、しゃぁないか」と思ってしまうのもまた人生。


もはや「お約束」のラスト・シーンは、シリーズ3へと進めば独特の安定感を生み出し、吉本新喜劇の「お約束」ネタを見るが如く安心感につながるのではないだろうか。
「くっだらねぇ」と笑いながら単純に楽しめる、サバイバル物語。

今回は「仲間」が強烈なキーワードとして全編を支配していたが、これも震災の影響か!?
そんなこたぁ無い!?(タモリ風)


カイジ2~人生奪回ゲーム~
2011年/日本  監督:佐藤東弥
出演:藤原竜也、伊勢谷友介、吉高由里子、生瀬勝久、香川照之

「マジック&ロス」

2011年12月07日 | 映画
香港のリゾート地、ムイウォ。
白い砂浜と青い海を望むホテルに、日本人のキキ(杉野希妃)と韓国人のコッピ(キム・コッピ)の2人の観光客がやってきた。
互いに一人旅としてムイウォを訪れた2人は、何気なく出てきたホテルのテラスで、英語を通して会話を交わし始める。

ムイウォの東に位置する深い森の先に、岩肌を白糸のように水が流れる美しい滝があった。
滝の音に誘われるように訪れたキキとコッピは、滝の持つ神秘性に導かれるように打ち解けていく。

チェックインし直し、2人で一つの部屋に滞在することにしたそのホテルで出会う人間は、フロント係(ヤン・イクチュン)だけ。
満室の貼り紙はしてあるが、他の客は見当たらない。
世間の喧騒から隔離された静かなリゾート地で共に過ごすうち、2人は徐々に時間の感覚を失っていく。
そして、そこにいたはずの人々がいなくなったり、無人の海岸だったはずが突然多くの人が現れたりと、現実と幻想とが入り混じり始める。

キキとコッピは、共感と反発を繰り返しながら、やがて妖しい関係へと…


香港のリゾート地で出会った日本人と韓国人の二人の女性が、その土地に魅了されて滞在するうちに、徐々に現実と幻想とが入り混じり始め、混沌の世界へと入り込んでいく。
登場人物が途中で入れ替わったり、今そこにいた人々が忽然と消え去ったり、誰もいなかった空間にふいにたくさんの人々が現われたり…
スクリーンの中で、いったい何が起きているのか?
何が実在していて、何が幻なのか?
観ているこちらの脳の中が「?」で埋め尽くされていく、摩訶不思議な感覚に陥っていく。
この摩訶不思議な感覚は、最後の最後に更に“ダメ押し”されるので、エンドロールで席を立ってはいけない。


正に「アジアン・ラビリンス」。
死期が迫った主人公が、生まれ故郷の森の中で余命を全うするうちに精霊に触れていく「ブンミおじさんの森」にも通じる、東洋哲学的風味のミステリアス・ドラマ。


蛇足ながら、男性諸氏には嬉しいキキとコッピの“セクシー・シーン”において、日韓両国の文化的な背景の違いが二人の姿に表れるところが面白い…♪


マジック&ロス
2010年/日本=マレーシア=韓国=香港=中国=フランス=アメリカ  監督:リム・カーワイ
出演:杉野希妃、キム・コッピ、ヤン・イクチュン

トライアウト

2011年12月07日 | 野球
元横浜・古木、トライアウトで大活躍!死にもの狂いで復帰目指す(夕刊フジ) - goo ニュース


元横浜の古木が格闘技に転向していたのも知らなかったし、もう31歳になっていたのも知らなかった。
トライアウトでは中々の成績を残すことができ、本人の談によれば2年間の野球に対するブランクは、自分の意識をリセットすることができたイイ期間になったようで。
元々長打力に定評のあるバッターだったが、本来の力を取り戻せれば面白い存在になるのではないだろうか。
タイガースに来ても面白そうなんだが、どうだろう。


「天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命」

2011年12月05日 | 映画
作家であり、活動家である見沢知廉。
2005年に自殺した彼の“双子の妹”あゆみは、幼い頃に生き別れた兄に会いたいと、様々な人物に会いに行く…


見沢知廉。
1959年東京生まれ。
裕福な家庭に育ち、幼少より英才教育を施される。
早稲田中学に入学、後に右翼の活動に参加するが、その活動に失望する。
早稲田高等部在学中、教育批判をぶち、教室を破壊して退学。
友人に誘われて新左翼の活動に参加、三里塚闘争では最前線で闘うが、1979年の東京サミットで決起しない左翼に失望。
翌年、新右翼に転向してゲリラ活動を指揮する。
1982年、組織でスパイの疑いをかけられた仲間を殺害して逮捕され、懲役12年の判決を受けて服役。
獄中で書いた原稿をまとめ、出所後の1995年、小説「天皇ごっこ」を発表、新日本文学賞を受賞する。
1996年には獄中記「囚人狂時代」がヒット、1997年には「調律の帝国」で三島由紀夫賞候補となるも落選。
やがて心身共に不調となり、2004年にはチーズナイフで自ら小指を切断、翌2005年9月7日、自宅マンションより投身自殺。
享年46歳。


見沢知廉の作品を数多く舞台化している劇団「再生」の女優・あべあゆみと、監督である大浦信行による、見沢知廉に関係する人物へのインタビューを通して、見沢知廉の生き様が描かれるが、見沢本人の映像は写真のみ。
かつての盟友・設楽秀行、見沢の師・鈴木邦男(一水会顧問)、革命を夢見た心の友・森垣秀介(民族の意志同盟中央執行委員長)、見沢の意志を受け継ぐ針谷大輔(統一戦線義勇軍議長)、民族派の正統を貫く蜷川正大(二十一世紀書院代表)、見沢に励まされ原動力を得た作家・雨宮処凛、最期まで見沢を支えた母・高橋京子らが見沢知廉の“姿”を語るのだが、カオスの中に佇んでいて判然としない。
そもそも「右」にいったり「左」にいったり、彼の政治的活動というもの自体、思想的な根があったとは思えない。
ただ、彼らの言葉を通して見えてくる見沢知廉は、「革命」というものを、純粋に、ただひたすら純粋に追い求めていたということだけは理解できた。

しかし本作を通して見えてくる見沢知廉は、ただ「革命」を叫ぶだけで、具体的に何をどう「革命」したいのか、「革命」によって何をどうしようとしていたのかという、いわゆる「マニュフェスト」は見えてこない。
社会に溶け込めずにいた雨宮処凛に対して、
「生きづらいんだったら革命家になるしかない。お前にはその資格がある。」
と言葉をかけたというが、正にこの言葉こそ、見沢知廉の生き方そのものであり、自分で自分のことを言い表していたと言える。
彼の「革命」には思想は無く、だからこそ世間的に言うところの思想としての右にも左にも振れることになったのであろうし、そのことが左右思想家から著述が評価される所以であろう。

見沢知廉が言うところの「革命」とは、ただ自分の居心地を良くしたかっただけのことなのではないだろうか。
私見であるが、昨今流行の(流行っているワケでもないか!?)「発達障害」によるコミュニケーション不全を起こしていただけのことのように思える。
彼をして「孤高の革命家」と言う向きもあるが、自分にはそんなタイソウな人物には思えない。
しかし、「革命」ということに対する極限までピュアな姿勢は、多くの人々に愛され、支持されることになったのは間違いないだろう。
それだけに、最後は自殺せざるを得なかったということは哀しい。
死の直前、何度も何度も母親に電話してきたというエピソードは切な過ぎる…


あべあゆみと大浦監督による関係者へのインタビューに、幻想的な心象風景や闘争の実録映像を織り交ぜた、イマジネーション豊かなドキュメンタリー。


天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命
2011年/日本  監督:大浦信行
出演:あべあゆみ、設楽秀行、鈴木邦男、森垣秀介、針谷大輔

いたたたた…

2011年12月03日 | 野球
虎に衝撃!桧山が胸強打、鎖骨骨折で手術へ(サンケイスポーツ) - goo ニュース


桧山がファンとの交流イベントで転倒して骨折していたとは知らなかった!
ファンサービスに熱心な彼だけに、なんとも皮肉なニュースだ。

鎖骨骨折ということで、腕や足、関節などの部位ではないのが、せめてもの救い。
もう43歳になることから、いくらスポーツ選手で体は鍛えられているとはいえ、若手選手のようには早期に回復するのは難しいだろう。
来季の自主トレやキャンプが心配だ。