夕方になっても津波が引かないので、暗くなる前に道幅の狭い山道を移動することにした。
私一人ならどうにでもなるが足の悪いおばあちゃんと一緒だから大変であった。
20分位歩いた所に避難所があり、そこには既に300名もの人々が集まっていた。
避難所とは名ばかりで電気、水、食糧が全く無い広い弓道場である。
雪もちらついているというのにストーブはたったの2台!
自力で泳いで助かった全身ずぶ濡れの人達が続々運び込まれ、寒さに震え泣き叫びながら
抱き合う光景は地獄を目の当たりにしてるようでした。
夕食時には近所の人達からお粥の差し入れがあり、冷え切った身体にしみわたる一杯の
お粥の温かさは涙がでるほど嬉しかった。
その夜は誰もが恐怖と寒さに震え一睡もできず一刻も早い朝が来るよう祈るだけだった。
翌日から1個のおにぎりを二人で分け、夕食にパン半分を感謝しながら頂く日が続いた。
幹線道路が通行可能となった5日目、息子が迎えに来10日間ほど盛岡に泊ることができた。
そして大槌の我家に帰ってからは、来る日も来る日も家の中にへばり付くヘドロとの戦い!
このまま倒れてしまうのではと思いながら朝から晩まで片付けと洗物に追われ頑張った。
亡くなられた方や家を流された方々のことを考えると大変などと弱音がはけなかった。
1か月経った街は瓦礫の山に変わり果て、震えと涙でただただ茫然とするだけでした。
続きます~