1985年8月12日、乗員乗客524名を乗せた日本航空123便が群馬県御巣鷹山に墜落しました。
当時、自分は高校生でした。テレビのニュース速報で「旅客機がレーダーから消えた」というテロップが流れたことを鮮明におぼえています。
一夜明け、高崎市の上空はヘリコプターがひっきりなしに飛び、テレビでは朝から事故の報道が続いていました。そして、生存者の報道が・・・。子どもながら、皆が助かってくれることを祈っていました。
その年、農大二高は甲子園に出場していました。1回戦、2回戦と順調に勝ち進む野球部。そのなかに2年生でベンチ入りした先輩がいました。その先輩のお父さんが、甲子園に息子の応援に行こうとして123便に乗り、この事故に巻き込まれました。中学の先輩でもあるその先輩が、父親の生存連絡を待つ姿がテレビに映されるのをみて、なんとか生きてて欲しいと願っていました・・・。
あれから23年、本、ドラマ、映画など様々な形で今も伝えられていますが、決して風化させてはいけないと強く願います。