赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆★★☆
再起動、します
 





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同「サダム・フセインは偉かった」や「スーチー女史は善人か」と同じく、元産経新聞記者である髙山正之さんによるコラム集です。本作は2007年から翌年にかけて「週刊新潮」に寄せたコラムを集めたもので、そのような形式であるため、比較的容易く読み進めることができる作品だと思います。髙山さんは最近でも「正論」や「Hanada」といったいわゆる当世流「保守」=右派論壇でのご活躍が目立つ方で、従ってコラムでは当然ながら中国、南北朝鮮、朝日新聞といったあたりを舌鋒鋭く批判するものが少なからずあります(左右問わず自分と意見の違う者を罵倒する系統の文章というのは個人的には読んでいて正直余りよい気分はしませんが…)。しかしながら、髙山さんのご批判の対象はそれらにはとどまらず、米国、豪州、そして欧州、東南アジアやアラブの国々まで及び、いわば全方位外交でみんな叩きまくる=「特定の者だけに偏ることなくみんなを罵る」ため、そういう意味ではご立派であり、また信頼のおける方ということができるのかもしれません。

そして、冒頭で髙山さんが仰るには、米国駐在や中国の専門家など特定の国・地域の「通」とされる特派員、記者、学者、そして経済人といった人々がそれぞれの「通」とされる国・地域を見る目はとかく曇りがちで、専門家といいつつ実は評価が偏っていて実像が見えてこない。だからむしろどこにも「通」ではない自分が他国について書いてみようじゃないか、というのがこのシリーズの趣旨ということのようです。かくいう髙山さんもテヘラン支局長を務めたご経験はあるようですが、専門家や一定のコミュニティの「インナー」とされる方々には大なり小なり必ず「しがらみ」のようなものはあるでしょうから、髙山さんのこの指摘は一理あるとは言えそうです。そのあたりは読む側のリテラシーが問われるところなのでしょう。

コラムの内容はエログロ含め「うえぇ…」とげんなりする話もありますが、個人的に面白かったエピソードは、豊臣秀吉や徳川の治世におけるキリスト教の禁教について、とかく悲劇的な文脈で描かれがちだが実はその彼らの非人道性に理由があった、という指摘(個人的にはそれに加えて、植民地化の先鋒としての宣教師の位置づけもあったのではないかと邪推しています)はなかなか興味深いものでした。また、その昔米国ロサンゼルスにも市街電車や郊外鉄道が市民の足だった時代があった。しかし時のアイゼンハワー米大統領が50年代半ばに米国中にインターステート(高速道路)を建造する法律を制定する。そして石油会社やタイヤ会社がLAの鉄道会社の株式を買い占め、まもなく倒産させてしまった。それによりLAが車社会になっていった、といったエピソードあたりでしょうか。ただ、このシリーズで注意が必要なことがあります。数多のコラムの中で面白いストーリーや歴史的な「実は…」的なアネクドートを耳目にすると、面白いのでそれを誰かに話したくなるのが人間の性なのでしょうが、その場合、本作はあくまでコラムということで出典が明記されているわけではないので、そこはやはり自分なりに咀嚼した上で事実関係をしっかり検証する必要がある、という点です。

最後に僭越ながら1点だけ苦言を呈させていただけば、コラムの中で第2次世界大戦中に米軍パイロットが多勢に無勢の状況ながら日本の戦闘機群に単騎で戦いを挑み見事撃墜されてしまったが、無謀な戦いを挑んだ背景には人種偏見(「日本人なんて大したことはないだろう」という思い込み)があり、「白人優越主義が生んだ喜劇」と切って捨てています。しかし、その同じコラムの締めくくりにおいて、08年に「先日の情報誌に中国が米本土にも飛べるステルス爆撃機『轟8型』を開発したとあった。あまりすご味を感じないのはなぜだろう」と著者は締めくくっていて、おいおいそれはさすがに、、、最近の一部「保守」論壇やネットで好んで使われる「ブーメラン」ではないのか?と思ってしまったのですが(個人的には余り好きな言葉ではありませんが…)。

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