沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

マルガリータ Jr

2019年06月01日 | 学童野球

 かつて米大リーグに、ケン・グリフィー・Jr(ジュニア)という走攻守そろった名選手がいました。本塁打王4回(通算本数歴代5位)、10年連続ゴールドクラブ賞などの輝かしい実績だけでなく、父であるケン・グリフィー・シニアと同時出場を果たし連続ホームランを打つなど、メジャー随一の父子鷹ストーリーでも有名です。今年引退したイチロー選手もリスペクトしていたようですね。パワー野球の象徴マグワイアやソーサ、そしてボンズなどの薬物に頼った選手とは一線を画すクリーンさも、今も米球界で生きる伝説たりえる理由です。

 なぜ、急に過去のメジャーリーガーの名前を持ち出したのかというと、ほとんど筋トレをしなかったというケン・グリフィーJrのスイングは、今YOUTUBE等で見ても、力みがなく、美しく、同じく左バッターの10郎にも真似してほしいスイングだと思っているからです。

ケン グリフィーJR.のスイング

 野球に興味のない方には冒頭からつまらない話ですみません(笑)。

 

 ということで、本題です。

 

 我が家のジュニアこと愛息10郎は、シニアこと8郎から低血圧を受け継いだのか、同じく朝に弱いです。

 毎朝目が覚めて布団から出ても、立つことができず、ゴロゴロしています。シニアこと8郎が部屋から出てよく見る光景です(笑)

  そんなジュニアに大きな変化が訪れました。丸刈りにしたのです! シニアこと8郎の強制ではありません。ジュニア自ら母に直訴したそうです。それまで丸刈りというキーワードを聞かせるだけで「絶対いやだ!」とのたまっていたジュニアの変わりように、父母は大喜び。やはり、野球のうまい先輩たちを見て、かっこいいと思ったのと、初の公式大会を前に、自分でも気合を入れる必要性を感じたのだと思います。

 床屋が休みだったようで、シニアこと8郎が会社から帰宅後、バリカンで刈ってあげました。ビフォー、アフターでお見せいたします。

 まずはビフォー。人生初の丸刈りに挑む、多少緊張感に満ちたジュニア。

  そしてバリカンで約20分後のアフター。マルガリータJrの誕生です! 

(注)シニアこと8郎の髪型が純粋に丸刈りと言えるかどうかの「不毛」な議論は置いといてください。

 ご機嫌のジュニアは、お得意の「ネズミ小僧」も披露してくれました。丸刈りして、幼くなった感がさらにたまりません(妻も共感)。親ばか御免で、まだまだかわいいっす~。

 そんなマルガリータJrは、来週、少年野球大会で小学校4年生以下のCクラスに出場します。前述の通り初の公式戦です。名護からじいじ、ばあばも観戦にやってきます。シニアこと8郎はグリフィー・シニアのように同時出場は果たせませんが、専属カメラマンとして応援するつもりです。楽しみです!⚾

 

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 話は変わって。先日、いちどぅしの亀さんと久しぶりに飲んできました。場所は那覇市内にある8郎の隠れ家的BARです。じめっとした梅雨の夜だったのでテキーラベースのマルガリータではなく、酸味の強いコロナビールでのどを潤しました。2次会は亀さん一押しの栄町のBAR「STEREO」で、おっさん二人、人生観や邦楽談義で楽しい時間を過ごしました。亀さん、楽しかったぜ。また行こう。Tら~とも早く飲みたいね。

 さて、そろそろ、練習を終えた汗くさいマルガリータJrが帰宅するのを前に、シニアこと8郎は風呂を沸かさなければならないので、今日はこれにて。


令和も三振スタート

2019年05月09日 | 学童野球

 前回に続き、令和に突入した大型連休の8郎家のお話です。

 愛息10郎の野球生活も本格化。連休最終日に開会する大会への参加を前に、背番号をもらいました。20番です! かっちょいいぜー。とは言いつつ、全員で19人なので、自動的に全員に割り当てられるのですが(笑)。

 ところで、10郎。君が調子に乗る前に言わせてもらうが、父が最初にもらった背番号は1番だ。スパイクもグローブもなかったが、エースナンバーをもらったのだ。それは努力以外のなにものでもない(監督の温情采配こそありましたが)。しかも、当時は全員がもらえるわけではなく、激しい競争を勝ち抜いてのことだ。自慢のように聞こえるかもしれないが、父ちゃんが言いたいのはそんなことではない。君の背番号は母ちゃんが縫い付けてくれたが、父ちゃんは電気も水道を止められた部屋で自分で安全ピンでとめたんだ。父ちゃんは自分の努力で背番号を勝ち取ったが、家庭の事情で野球を断念せざるを得なかったのだ。そういう友達も周りにいることを忘れずに、一球入魂🔥でプレーしてほしい。 

【補足】正直に言うと、少年時代の8郎は、あくまで2軍の1番だったような記憶もあります。40代後半にもなると過去を美化しはじめるので危険です(笑)。

 

 最近、よくサードに指名される10郎。強肩を評価されたようです。長嶋茂雄のようにダイナミックなプレーヤーになれ。捕れない、と思っても、まずは飛びついてみろ。練習試合では4打席連続三振を喫するなど、長嶋クラスのデビューを見せている10郎です(笑)。令和の幕開けに三振のスタート、いいじゃないか! あとはヒットを打つだけだ。振って、振って、振りまくれ! 

 10郎の近視が進んでいるのが気になりますね(これはもう遺伝ですね)。

 早朝集合の開会式は父8郎も同行。まさかのセルラースタジアムです。父が果たせなかった夢を、もう果たしてくれました。感謝です。

 毎週土日は練習試合という過密日程。そのほとんどに帯同する妻にも感謝です。「今日の10郎」がどんなプレーをするのか、8郎夫妻の週末最大の楽しみとなっています。チバリヨー、10郎!

 

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 さて、令和最初のおいしゅうございましたシリーズです(そんな大した企画ではございませんが)。

 10郎が野球に行っている間、妻と二人で足を運んだ浦添市内のタコライス屋「CORDE」(こるで)。濃い味のタコライスでなく、ちょっと優しめの味でした。女性店主さんが作った感じがまんま出ていました。8郎が頼んだのは、沖縄そば麺を使った「タコそば」(写真手前)。価格も500円台とリーズナブルで、どちらもおすすめです。

 ところで、この店はメーンのタコライスよりプリンが人気なのだとか(驚)。試しに買って自宅で食べてみたのですが、本当においしゅうございました。福岡空港のお土産といっても疑う人はいないでしょう。学生時代、ケーキ屋でバイトしていたことからデザートにうるさい妻も高評価。みなさんもぜひ!

 急激に睡魔が襲ってきたので、今日はこれにて。誤字脱字ご勘弁を。


平成最後の三振デビュー

2019年04月30日 | 学童野球

 改元と10連休という話題豊富な2019年の大型連休の真っ只中。ちょっと時間を戻して、8郎家の話です。

 8郎家では毎年恒例ですが、大型連休の始まりに一年で最大のメモリアルデーを迎えます。妻と10郎の誕生日🍰です。10郎は9歳に、妻は●歳になりました。今年は8郎が仕事のため、もろもろの準備ができず、くら寿司でディナー(笑)。自宅でケーキを食べて、質素に祝いました・・・。いやいや、これだけでも十分すぎるほどのぜいたくです。家族3人、身を寄せ合った平成最後の誕生祝いとなりました。お二人さん、これからもよろしくね!

 おまけショットは、くら寿司で食べたビントロ(200円)。おいしかったぁ。

  さて、10郎への平成最後のプレゼントは、本人の希望通り3DSというゲーム機と人気ソフトらしい「爆釣りバ―ハンター」にしました。別売り器材を含めると何と2万8千円です! 9歳の誕生日にこんな高いプレゼントでいいのかと、ぎりぎりまで迷いましたが、ゲーム世代の今の子供たちは多くが3DSを持っているそう(10郎談)。少年時代、ファミコンすら買えなくて、とても寂しい思いをした8郎、自分と同じ思いを子供にさせたくはないという気持ちも働いたのかもしれません。プレゼントの中身を知ったときの愛息の喜びの表情をご覧ください! 顔に出る子だぁ。

 10郎、買ってあげるが、その代わり勉強、野球、生活スタイルでの指導、どんどん厳しくしていくぞ。覚悟しやがれ! 

 ちなみに妻への平成最後のプレゼントは、妻が最近ハマっている山歩き用のと考えています。親友と月一で実行しているのですが、とてもいい趣味だと思うので、応援したいと思っています。

 

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 さて、10郎が所属する野球チームは毎週土日、各地で練習試合を行っているのですが、早くも10郎の実戦デビューが実現しました!(ルールすらまともに覚えていないのに。と言っても3年生以下のCクラスですが)。8郎は仕事で見に行くことができなかったのですが、妻が写真や動画をLINEで送ってくれました。

 注目の初打席は空振り三振に終わったそうです。妻いわく「3球とも思い切り振っていた」と言っていましたが、本人はやはり悔しかったのでしょう。帰宅後の父にあまり話してくれませんでした。そこで、ザ・昭和世代🔥の父は、永遠のミスタープロ野球こと長嶋茂雄デビュー戦4三振の伝説(超古!)を持ち出し、「4三振しても長嶋のフルスイングは、大投手金田正一を『こいつにはそのうち打たれる』と震え上がらせたそうだ。長嶋のように、結果を気にせず絶対に打ってやるというフルスイングで相手をビビらせる男になれ」と伝えました。10郎は、まだまだあどけないねぼけまなこで聞いていました(笑)。

【後記】妻が兄に同じ動画を送ったところ、兄も長嶋の4三振の話を持ち出し、10郎を激励したそうです(笑) ミスターの生きざまは日本中の元野球少年たちの心の支えですね!

 妻が送ってくれた別の写真です。買ってあげたグローブで10郎が守備をしている~。それだけで父は感動MAXです。

 次の日の試合も妻がLINEを送ってくれました。第1打席は三振でしたが、次の打席ではボールを見極め、自分のフォームでスイングしていました(結果はファウルフライ)。かっちょよかったぜ。きっと次につながる! 週5回、同行サポートする妻の難儀にも感謝していますが、同時に息子の成長を間近で見られることがうらやましいでもあります。8郎も土日の出勤や資格講座などなければ、毎日同行して、10郎とともに青春をもう一度体験したいくらいです(笑)

 連休中に初めて8郎も参加。Cクラスの試合には間に合いませんでしたが、仲の良い先輩と記念撮影してあげました。

 仲間たちと白球を追いかけるグラウンドには大事なものがいっぱい詰まっているよ! ゲームの世界にそれがあるのかどうかは、君自信で確かめてほしい。

 

 30年前に、故・小渕元首相が国民に知らしめた平成も残り1日。日に日に成長し、令和の時代を生きていく息子の姿に、3元号目の父も負けないように頑張るぞ!


息子のグローブ

2019年04月07日 | 学童野球

 新しい部署での引継ぎ作業のため残業中だった8郎に妻からLINEが届きました。LINEには愛息10郎のこのようなりりしい姿が添付されていました。

 10郎、ついに地元の少年野球チームへの入団を決意したのです! 

 正式な入団手続きはこれからですが、8郎にとって今年一番のニュースとなりました。ついでに体験入団までしてきたとのこと。人手不足に悩まされるチームから温かな歓迎を受け、帽子や練習着まで貸してくれたそうです。よかったね!

 キャッチャー姿もかっこいいぜ☺ 出るか、ジュウキャノン!

  サッカーやハンドボールに心が移りかけていた10郎を、野球に導いたのは一体なんだったのか。PL世代の父母やON世代の名護のじいじの思いも伝わっていたのは間違いありません。さらに、テレビから流れる、メジャーで二刀流の大活躍をする大谷翔平選手、そして3月に引退を表明したイチロー選手の雄姿の影響もあったことでしょう。しかし、本人いわく、決断の理由は、野球チームに所属する学童の1年先輩から「お前、コントロールいいな。野球やれよ」と声をかけられことだそうです! いつの時代もパイセンの力は大きい! 10郎は「今まで〇〇兄ちゃんと呼んでいたけど、明日から〇〇先輩と呼ばないといけないんだって」と言っていました(笑)

 学童の先生によると、その直後、学童内でありとあらゆる友達に「一緒に野球やろうぜ」と声をかけまくっていたとのこと。自分が迷っていた割に、勧誘は早いな!(笑)

 ということで、今回から新たなカテゴリー「少年野球」を設けました。今後増えていくことは間違いありません。完全な親ばかカテゴリーですが、よろしくお願いいたします。

 

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【閑話休題】そんな10郎が奇病を経験したので記録として残しておきます。両ほほがまるで化粧をしたかのように赤くなり、全身にも湿疹が出たのです。しかし、熱もないし体調も普通とのこと。ネットで検索すると「リンゴ病」のようです。8郎も初めて聞きました。このような病気があるのですね。妻情報によると学校でも感染者がいたと通知があったそうです。妊婦さん以外は特に心配することはないようなので一安心。一度かかったら二度とかからないそうです。キャッチボールをするころにはほとんど目立たなくなっていましたよ。

 

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 ということで、家族3人で早速、沖縄野球少年のメッカ、奥武山スポーツ店にグローブを買いに行きました。10郎は体験入団で、先輩たちから「これはおもちゃのグローブだ」と言われ、悔しい思いをしたそうです。実は父はその思いを君に味わってほしかったんだ。なにくそ、と思えばいい。道具は違えど、うまいのは俺だ、と言えるくらい練習すればいいのさ。「お前は東大に行って弁護士か医者になるんだ」としか言わなかった父ちゃんの父ちゃんは、それでもグローブを買ってくれなかったが、父ちゃんは君に買ってあげたいんだ。

 マンションの窓から仰ぐ空はすっかり夏模様です。野球日和です。

 奥武山スポーツ店では、本人が選んだ黒のローリングス社製を購入。1万3500円の2割引で1万円ちょいでした。父がこれまで買ったやつより高いのは言うまでもありません。店主さんが早速たたいて柔らかくしてくれました。

 キャッチボールをしようと、久しぶりに豊崎のにじ公園へ。多くの家族連れでにぎわっていました。いつまでもこんな平和な日本でいてほしいっす。とはいえ、この公園で遊んでいるのは沖縄でいう富裕層のような気がしました。

 新しいグローブを手に、ポーズを決める10郎。決まってるぜ! ゴロやフライもどんどん捕れるようになってきています。

 新しい駐車場は1時間以内なら無料ということで、父子練習は30分程度で終了! 青空の下で、有意義な時間を過ごせました。

 帰りがてら小禄のそば屋『とらや』でランチ。ソーキそば(中)とキンプラゴボウ乗せごはんを注文しました。妻も絶賛していましたが、ここのスープはカツオが濃くてうまい!(昭和世代のおっさんにとっては、ちょっとこぎれいすぎる味ではありますが・・・)。ソーキもおいしいっす。人に紹介してもハズレのない店ですね。

 

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【10年後の10郎へ】今日、君に贈ったのは、ただのグローブですが、父ちゃんから万感の思いを込めた贈り物です。今の君は、その思いを理解できないと思うが、いつか分かってくれる日がくるかな。とにかく大事に使ってほしい。試合に負けても投げたりするなよ! 野球は人生で大切なことを教えてくれる、単なる競技スポーツを超えた“人間教育の場”です。野球での経験は、父ちゃんがどんな言葉でも君に教えてあげることはできないものを君に与えてくれるだろう。苦しい練習でも、簡単にあきらめるなよ。チームワークを学び、一球入魂、フルスイング、全力プレーを全うしてほしい。君がユニフォームを着て、グラウンドに立つことを想像するだけで、父ちゃんは自分ができなかった夢を果たしてくれるような気がして、今から興奮しています。この選択までの道のりは、結局、父ちゃんの身勝手だったのかな。そうであるなら反省します。でも、野球道という選択を、いつか大人になった君が後悔することは絶対にない、と信じています。

 とにもかくにも、父ちゃんと母ちゃんは、世界中のどんなスタープレーヤーより君を応援するぜ! 

 チバリヨ―! 10郎。


グローブをはめる時

2018年04月15日 | 学童野球

 いきなりですが、メジャーリーグに渡った大谷翔平選手、すごいですね! 永遠の草野球少年44歳8郎も「ここまでできるのか」と驚きを持って見ております。8郎の永遠のスター野茂英雄のトルネード旋風を上回るインパクトをベースボールの母国に与えているのかもしれません。まぁ、まだまだこれからだとは思いますが、球界の重鎮ノムさんや張本オヤジの苦言にも臆することなく二刀流を貫き、そして成果を残している彼は褒めるしかありませんね。昭和世代8郎も二刀流には懐疑的でしたし、今でもピッチャーひと筋がいいのではとは思うものの、これが新時代の野球なんだと思い直されたりもしています。400勝、4千本安打より、2千本打って200勝も挙げることが大きな価値を持つということでしょうね。8郎も前世代がつくりあげた古いライフスタイルから脱却する気持ちを持たなければと、若き23歳の背中から学びました。実は大谷に感謝していることがもう一つあるのですが、それは後ほどお伝えします。

  さて、小学2年生になった愛息10郎。まだまだかわいいもんです。父8郎の足の甲に乗り、一緒に歩くという数年来のふれあいはまだ続けています。甘やかしすぎかな、と思いますが、そのうち離れていく寂しさを考えると、好きなようにさせています。いまだに、抱っこやおんぶをせがんでくるし、卒業したはずの「とーとーの物語」も週一ペースで続けています(笑)最近彼の一番のアイドル三浦大知になりきったダンスバトル大会物語を要求してきます。睡魔に襲われながら筋書たてるのが超めんどいっす! でも「聞きたい」という愛息の要求を断り切れない親ばかです。

 親離れより子離れが難しいとも聞きますが、自分もそうなるのでは、と心配な今日このごろです そういう意味で一人っ子は大変だっ。

 

 さて、遅まきながら本題です。先日、子育てしてきた8年弱でベスト3に入ると言っていいほどうれしい発言を、愛息の口から聞くことができました。この一言です!

 

 「お父さん、俺、部活は野球に決めたよ」

  

 これまでサッカーをやると言い続けてきた10郎の180度変わった発言に驚きました。

 野球に興味を示してほしい父は、サッカーの試合を見るたびに「ほら、サッカーは外国人のためのスポーツで日本人には向いていないんだよ」「あんなにヘディングしていると頭悪くなるよ」などなど、サッカーファンが聞いたら激怒しそうな(笑)マイナス要素をさんざん植え付けてきました。さらにハリルホジッチ監督の解任騒動や大相撲の暴行問題まで持ち出して「相撲もサッカーもしょうもないなぁ。やっぱ野球だな」などと、清原騒動や八百長事件を忘れたかの如くプロ野球を礼賛しました。それでも、父に似て意固地の愛息は「俺、サッカーするって決めたんだよ」と我を張っていたのです(実は丸刈りにするのが嫌なだけでは?とも見抜いていましたが)。

 そんな折、野球の聖地にわたって大活躍する大谷のニュースがこれでもかと流れはじめました。父は「かっこいねー」「あの球、早いね」「すごいホームランだ」と徹底的にほめ続けたのです。知らんパーしていた10郎ですが、「オオタニサ~ン!」と叫ぶメジャーリーグの実況中継を耳にするにつれ、次第に自分で紙ボールをつくり、父に投げつけるようになったのです(暗示成功!)。

 とはいえ、野球人気は低迷しています。新聞によると、全国の野球少年の数はサッカー少年の数より7万人も低いようです。愛息の興味がそこに向かうことはほぼ絶望的だと思っていました。それならそれで、本人が決めたことをさせてあげようと心に決めていました。

 そんな中での「俺、野球やる」発言。父は本当にうれしかったです。これまでに妻や妻方の父の暗示(守備位置を紙に書いてわかりやすく説明)も功を奏したようですが、なんといっても、大谷の姿をかっこいいと思ったのが決断の理由だったはずです。20歳も年下のオオタニサンに感謝です。

 もちろんプロ野球選手になってほしいなどとは思っていません。純粋に、野球というスポーツで、団結力、そしてここぞというときには、それまで自分が積み重ねてきた努力しか頼れないんだという自立心を学んでほしいのです。

 冒頭の写真のとおり、早速メイクマンでグローブを二つ買いました!(8郎も数年前に紛失していたので)。

 

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 数年後の10郎へ。お父さんのグローブに対する思いをここに書いておきます。

 お父さんは小学校4年のときに、友達を追うように、少年野球チームに入りました。でも、当時お父さんの家は母子家庭、母親が連れ込んだチンピラとの共生生活。水道光熱費や給食費も滞納する悲惨な生活でした。そんな中でも野球をかっこいいと思うだけの少年の心はありました。

 でも現実は残酷でした。

 グローブは人からもらって用意できたものの、使い古しでボロボロ。速い球を受けるとものすごい激痛が走りました。からかい半分で8郎のグラブを使った先輩に「これ手袋か。お前よくこんなのでやってるな」と笑われた悔しさを今も忘れません。

 さらにユニフォームやスパイクなど買うお金など当然ありません。つまり公式戦に出場することも不可能なのです。自分より明らかに下手なやつらがピカピカのユニフォームを着てレギュラーに選ばれるのを悔しく思っていました。でも8郎は地道に練習を続け、自分でもうまくなっていく実感はありました。上級生より遠くへボールを飛ばすようになり、野球って楽しいと心から思いました。そんな折、A老監督が「上がなくて悪いが。これを使いなさい」とユニフォームの下(練習用ズボン)をくれたのです。練習着がなく普段着のまま練習に参加する少年を哀れんだのでしょう。その後、グローブも貸してくれた記憶があります。当時グローブはまだ高価で、チームといえども予備はない時代でした。

 そんな折、別居状態だった父がふと練習を見にグラウンドまでやってきました。今思えば、「野球を頑張っている息子」を見にきたのではなくて、捨てた子供たちの生活状態と元妻とチンピラの関係など情報を探りに来ただけでしょう。それでも当時の8郎としてはうれしかったです。するとA老監督が父のところに歩み寄るのが見えました。二人でなにか話していました。遠目に見た父のしかめっ面を今でも覚えています。それから1カ月後、父に呼ばれ、ユニフォームを手渡されました。ライトブルーのユニフォームを手にしたときの時の感動は今も忘れません(本当はグローブもスパイクも必要だと言いたかったのですが高圧的な父には言えませんでした)。おそらくA老監督が一言伝えたのだと幼き8郎は直感で分かりました。

 その後、公式戦で初めてレギュラーに選ばれました。しかも先発ピッチャーです(4年生だったのでおそらく2軍試合)。得意なのは打撃だったので意外でしたが、心踊りました(スパイクは持っていなかったのになぜ出場できたのか今でも不思議です)。家族に伝えたものの、母と父はもちろん来ず、姉妹が遊びがてら見に来てくれました。たかだか数十人の観衆でしたが、人生初の舞台に緊張感と高揚感に包まれました。結果はというと、実戦で初めて牽制球にルールがあることを知るなど、さんざん(笑)。ストライクも思うように入らず、試合も大敗した記憶があります。でも8郎の中ではキラキラ光る思い出です。モーションに入るとき、会場の目線を一身に浴びるピッチャーのだいご味を思う存分味わえたのですから。そして今になって気づくのです。それこそA老監督のさい配目的だったのだろうと。

 その後、8郎と野球の関係は突然終わりを告げました。家庭環境がどん底に陥ったからです。借金取りが毎夜のようにアパートの扉をたたき怒号を上げるようになりました。8郎らは兄妹3人で、電気水道も止められた暗い室内で泣きながら震えながら過ごしていました。そのころから、野球の記憶はブツっと切れています。それから2,3年後に母元を離れ、父との新生活を始めることになるのですが、父は野球に時間を割くことを許してくれませんでした。つまり、A老監督の一言がなければ、父はあの時もユニフォームを買ってあげようなんて気はそもそもなかったということでしょう。

 A老監督のお名前も忘れてしまいました。風貌的には、当時甲子園で春夏連覇していた池田高校の名監督・故蔦文也監督に似ていたのを覚えています。いつかお礼をしたいと思っていたのですが、できないまま。年齢的にももう亡くなられている可能性が高いです。この場を借りて感謝を伝えたいです。勝利至上主義のスパルタ監督であれば、8郎はチーム内で居場所すら確保できず、辞めていたでしょう。でもA老監督は勝利より子供の教育を優先していたはずです。夕方の外野守備練習では、暗い部屋での生活で視力が急激に落ちつつありフライが見えなくなっていた8郎のために、必ずゴロを打ってくれました。フライなんか取れなくてもいい、練習に参加しなさい、そういうメッセージだと受け止めました。当時はそういう教育者がまだいました。1年にも満たないお付き合いでしたが、A老監督に対する感謝の念は尽きません。

 あれから30数年経ちました。今でも草野球などで左手にグローブをはめる時、心にこみあげるのは、少年時代の苦しい思い出とA老監督に対する敬意です。 

 

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 長々と、ああだこうだと書いてきましたが、10郎。簡単に言うと、グローブを大切にしろ、ということだ(笑)。

 10郎は「俺はキャッチャーもやって三刀流やるよ」とのたまっています。その心意気やよしとしておきましょう(キャッチボールで身をよけながらボールを受けているくせにです。笑)。

 なんだかんだいいながら、いつの日か、10郎が8郎の母校N高の野球部で4番(守備はどこでもいいっす)を打つ姿を夢みている父心をお笑いください。

 今日はこれにて。