沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

37年越しの夢叶う

2020年11月23日 | 学童野球

 表題の通りです。47歳おっさん8郎の37年越しの夢が叶ったのです!

 と言っても、ブログチェッカーのみなさんはともかく、初見の方は何のことやらだと思うので、過去の関連記事をアップしておきます。興味のある方はどうぞ。

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37年越しのマウンド - 沖縄 8 Scene

今回のブログを読んでいただくに当たって、2年前の記事を再アップすることにしました。初めて読まれる方には、今回のストーリの背景と意味が分からな...

37年越しのマウンド - 沖縄 8 Scene

 

 さて、本題に戻ります。そうです、市内の少年野球大会Cクラス(4年生以下)で愛息10郎が、父8郎の母校M小学校のグラウンドで先発投手を務めたのです。愛息が小学校を卒業するまでの間に、いつか叶うだろうと思っていたら、もう叶ってしまったのでうれしさ半分、驚き半分です(笑)。

 奇跡が起きた背景には偶然がありました。

 大会会場予定だったU小学校のチーム(優勝候補筆頭)が初戦で敗れたために、準決勝、決勝の会場が同学校から急遽変更になり、その変更先がなんと、母校M小学校になったのです(もちろん母校M小学校のチームも勝ち残っていたためです)。なんという巡りあわせでしょう! しかも母校のチームということは、37年前に8郎が所属していたチーム(すでに廃部)の遺伝子を受け継いでいることになります。そのM小チームが準決勝の相手になったのです(非情にもそこにはコールド勝ちしましたが・・・)。なんて奇跡でしょうか! 野球の神様、すごすぎます、早すぎます。でも、ありがとうございます。

 先日もお伝えした通り、M小学校は校舎こそ建て替わったものの、木立やグラウンドの雰囲気はそのままでした。そのピッチャーマウンドに本当に息子が先発で立つなんて。しかも決勝戦です! 万感の思いでパチリ。10郎の生誕からずっと成長を撮り続けてきてくれた愛機NIKON D300も喜んでくれたことでしょう。

 10郎は前日の初戦の強豪戦でも先発していました。後述のように自責点ゼロに抑えた上、2点先制する予告通りのランニングホームランまで放ちました! 最初の難関を撃破する原動力になったのです。チーム力を合わせ、その後2試合も勝ち進みました。そして運命の決勝戦です。メンバ―表を見ると、10郎が先発でした!

 決勝戦を前に監督、コーチ陣、父母会のみなさんも緊張感にあふれていました。8郎もなんだかソワソワしてしまいました。少年時代の生活苦から部活動とは無縁だった8郎に、こんな楽しい緊張感を味わせてくれるなんて、息子と野球に感謝です。そしてA老監督にも。

 そして、運命の決勝戦。10郎がエースとして先発マウンドに立ちました。8郎はもちろん感無量。これだけは誰にも説明できない感情ですね。いつか10郎は分かってくれたらいいな。 

 10郎は3回3分の1を投げ5奪三振でもちろん無失点! 「死のリーグ」を圧勝してきた強豪チームの強力打線を真っ向勝負で抑えきりました。37年前の8郎が知らなかったけん制もさらっとこなしていました。小学生の肘と肩を守る投球制限60球のため、リリーフに引き継ぎましたが、見事大役を果たしてくれました(初戦と合わせると6回3分の2を10奪三振、自責点ゼロ! まるで前日の日本シリーズで巨人打線を圧倒したソフバン千賀投手のようです)。どんどんうまくなってきている仲間たちの守備にも助けられたね(1年半一緒に練習してきた仲間たちはもう普通の内野ゴロならさばいてくれます)。試合結果はというと、延長までもつれこむ激戦の末、慣れない特別ルール(無死1,2塁からリスタート)で守備のエラーが重なり負けてしまいました。敗戦後、10郎はじめ多くのメンバーが泣いていました。悔しかったのでしょうね。

 初優勝の経験をさせることはできなかったのは、親としてコーチとして残念ですが、とても素晴らしい試合を見せてくれました。37年前の不運な小学4年生の怨念を、小学4年生の息子がはらし、父の夢まで叶えてくれたのです。野球の神様は8郎を見捨ててはいなかった、そう息子が教えてくれたのです。十分です。甲子園になんか行かなくてもいいよ!(笑)。帰り際、代表監督から「今大会のMVPは10郎君ですよ」と褒めていただきました。

 

 魂のこもったボールを投げていた愛息をD300でパチリ。よく見ると後ろには37年前の、ボロボロのグローブをはめた10歳球児こと、うしろの8太郎が写っています。夢破れた怨念がメラメラと燃えていますね(え?見えませんか? 8郎の眼にはハッキリ見えますよ)。10郎、そいつはきっと君の投げるストレートに万感の思いで追い風を送っていたはずだよ(反則じゃ。笑)。

 

 軸足をしっかりさせるタオルピッチング、スピンを上げるために寝転がりボールを天井ぎりぎりまで投げる練習等を本人が続けてきたかいがありました。大会2日間の10郎の成長に親が驚いた次第です(数日前の父子ピッチングより格段にコントロールがよかったからです。やはり実戦ほど最高の教室はないですね。それとも怖い顔をしたスパルタ父だと投げにくかったのか?笑)。右足の離陸が早いなどフォームにはまだ是正の余地がありますが、これからです。バッティングではランニングホームラン以外は特に成果はなかった(決勝戦の最終回、サヨナラのおいしい場面では内野フライ)のですが、これはCクラスの球速が遅いからだと思うので気にしていません。10郎の主戦場はすでに代表Aですから!🔥(実際翌日の練習試合では県代表の東風平の強豪6年生チーム相手に引っ張って三塁打を打ったそうです。妻が動画をLINE送信)。

 

 子供の成長する力って素晴らしいですね!

 野球って素晴らしいですね!

 書き残したかったのはそれだけです。今日はこれにて。


37年越しのマウンド

2020年11月03日 | 学童野球

 今回のブログを読んでいただくに当たって、2年前の記事を再アップすることにしました。初めて読まれる方には、今回のストーリの背景と意味が分からないと、何の話だか、ちんぷんかんぷんになると考えたからです。下写真は、8郎の母校M小学校のグラウンドです。雲一つない秋晴れでした。

 2年前の記事はこちらです。初見の方向けだけでなく、成長した愛息10郎がいつか読んでくれる可能性を高めるためでもあります(笑)。

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グローブをはめる時 - 沖縄 8 Scene

いきなりですが、メジャーリーグに渡った大谷翔平選手、すごいですね!永遠の草野球少年44歳8郎も「ここまでできるのか」と驚きを持って見ておりま...

グローブをはめる時 - 沖縄 8 Scene

 

 長い駄文をお読みいただけましたでしょうか。

 では、話を1983年から2020年現在に戻します。冒頭で書いた通り、8郎の母校(転校したため卒業はしていませんが)であるM小学校に37年ぶりに足をはこんだのです! というお話になります。

 足を運んだ理由は、愛息10郎の野球チームの練習試合の会場となったためです。残念ながら当時8郎が所属していたチームはすでに廃部・統合?されて、なくなっていましたが、いつかM小学校のグラウンド、ピッチャーマウンドを見たいと思っていたので、非常に貴重な機会となりました。胸にこみ上げるものがありましたね。

 M小学校の校庭には、当時の野球チームのメンバー一緒に弁当を食べた、あの木立とその下の階段も残っていました。お世話になったA老監督の車のラジオから流れる夏の甲子園(興南出場)の中継を聞きながら、みんなで食べたなぁ。その場所に37年後、自分と同じ年齢になった息子と一緒に野球をしに来るなんて、当時10歳の8郎には想像もできませんでした。人生、つらくても頑張っていれば、いつかいいことがくる。

 校舎は建て替えられており、すっかり様変わりしていました。父から母子4人家を追い出された困窮家庭だったために給食費を払えず、担任の女性教師にビンタされた悔しい思い出は今も忘れられません(今なら告発すれば新聞沙汰かつ懲戒ものです)。今でもその女性教師がビンタするときの形相を覚えていますが、それは弱いものをいじめる人間の顔でした。同時に、この人も誰かにいじめられているのだろう、と幼心に感じました。37年前の教訓です。この元女性教師ももう80歳近いでしょうね。ご健在かどうかに全く興味はありませんが、教員人生をどう振り返っているのかなと考えたりもします。

 そして、思い出のピッチャーマウンドです。マウンドと呼べないほど平たいですが、確かに同じ場所にありました。写真のような上等なバックネットは当時なかったはずですが、ネットの向こうに、37年前に応援に来てくれた幼き姉妹の姿が浮かび、おっさん一人涙が出ました。他人の家庭に向かって親に感謝しろ、などと軽々しく言ってはいけません。

 苦しく、悲しかっただけの幼少時代ですが、野球との出会いは、まぎれもなく美しい思い出です。8郎に夢を与えてくれた野球には感謝しかありません。

 この日のM小学校での試合で10郎はマウンドに立つことはありませんでした。しかし学童野球はあと2年もあるので、その機会が訪れる可能性は高いです。その時、父8郎は、愛息がまるで甲子園球児にでもなったかのように感動するのかな。楽しみです。

 

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 話は変わりますが、引き続き、学童野球のお話です。

 37年越しのマウンドを体感し感無量の8郎に、ちょっとうれしい出来事がありました。学童野球Cクラス(4年生以下)の大会が迫る中、練習試合で10郎が先発に選ばれたのです!(大会前なので限定2イニングでしたが)。それは本番でも先発の最有力候補であることを意味しています(と思います)。 

 結果はというと2イニングをノーヒット2奪三振で無失点に抑えました。地道な練習を積んできた10郎の球速が明らかに相手打線をねじ伏せていました(まぁ、そんなに強豪チームではなさげでしたが)。さらに、マウンド上の10郎をよく見ていると、コントロール重視のときは指を開いてボールを握るなど、彼なりに考えて投球をしていました。8郎夫妻は、愛息が無失点に抑えたことより、けん制悪送球で崩れかけた自分を自分で立て直したことに感激しました。本番でも先発に選ばれてほしいものです。マルチ安打も放つなど、打撃に関しては同年代でダントツだと思っていますので、打順は4番以上ならどこでもいいです(笑)。

 両手を水平にするフォームは、まるで今注目のオリックスの剛腕・山本由伸投手のようです。父子で追及してきたかのインバートWか!?(笑) 10郎よ、 足の指から手の指さきまで意識し、自分に合った最高のフォームを作り上げて、最後は自分の魂を込めて投げるんだぞ! 孤独なマウンドで調子が上がらず不安になったときは思い出せ。電気も水道も止められ、夜な夜な借金取りに脅される極貧生活の中でマウンドに上がるも、夢破れた37年前の君と同じ10歳児が、君の背後からものすごい怨念を送っているということを! 「その程度で不安になるなら、そのピカピカのユニフォームとスパイクとグローブを俺によこせ! 俺が投げる🔥」とね(どんな目の前の強打者より、後ろで待っているそいつが怖いぞ。笑)。

 10郎、マウンドに上がったら「ここは俺の舞台だ。俺が主役になる」と勇猛かつしたたかに投げるんだ。そう『我こそは張飛なり。死にたいやつから前に出ろ』のファイティングスピリッツだ!(古)。チバリヨー、10郎! とっても怖い「うしろの8太郎」より。

 

 少年野球の楽しみに関して言うと、子供たちのプレーを見ることの他に、月に2、3回、弁当をもって他校に練習に行くことで「ピクニック気分」を味わえることにもあります。妻も忙しいので毎回手弁当というわけにもいきませんので、近くのスーパーで買い弁することもしばしば。でも、子供たちと外で食べると十分においしいですね。

 さて、少年野球のおかげで、8郎の体重もまた70㌔台に戻りました。あ、常連のブログチェッカーのみなさんはもはや興味ないですか?(笑) どうせアイス食って80㌔台に戻ったんだろって? その通~り。でも、なかなか見られない数値なので、野球から帰宅直後に撮影したやつをアップさせてください。

 とはいえ47歳。早朝からの少年野球で体力的に疲れた(他校まで子供たちと一緒に走って移動しました)ので、今日はこれにて。


初秋の初ホームラン

2020年10月13日 | 学童野球

 10月も半ばです。最高気温がやっと30度を下回るようになりました。沖縄もようやく初秋の感が漂ってきました。出社時の光景も晴れ。仕事さぼってダイビングに行きたいなー(笑)

 8郎家にとって、うれしい出来事がありました。少年野球を頑張る愛息10郎が練習試合とはいえ、初めてホームランを打ったのです! 公式的な距離としてはライトオーバーくらいでしょうが、4年生としてはかなりの距離でした。狭いグランドの壁はもちろん、高い木も越えて、隣の幼稚園まで運んだのですから、誰が何と言おうと父認定のホームランです! 同世代では初のさく越えです。父と二人で築き上げた「全身特に下半身を使ってどのコースのボールもコースに逆らわず叩き潰すフルスイング」が形になっていたので、球審をしていた父8郎もマスク越しに見た放物線が超うれしかったです。やったぜ、10郎!

 ちなみに上の写真はHRを打ったときではなく(球審8郎は撮影できません)、その前日の公式大会(5年生以下)で左中間方向に打ち返したときの写真です。試合自体は5年生が主体の強豪チームにコールド負けしたものの、10郎は一人気を吐き2打数2安打。初の公式戦デビューのキャッチャーも無難にこなし、大健闘でした。野球を始めて1年半。子の成長には目を見張るばかりです。

 どうでもいい話ですが、8郎の理想とする国産左バッターは、天才イチローでもゴジラ松井でも現役のソフバン柳田でもありません。元巨人の高橋由伸選手です。メジャーのケン・グリフィーJR同様、パワーだけでなくバットの軌道をうまく使ったフルスイングだからです。見ていて美しいのもその理由です。素人が見ても「美しい」と思うフォームは、専門家がどうこう言う前に、やっぱりいいのだと思います。ほとんどの方が興味がないと思いますが(笑)、念のため高橋由伸選手の現役MAX時代の映像を転載いたします。

 ちなみに理想のフォームは高橋選手ですが、構え、雰囲気の理想はバリー・ボンズですね。どんなピッチャーが出てきても自分の世界を崩さずに、逆に自分の土俵に相手を引き入れて一気に粉砕する、あのスタイルが最強だと思います。薬に手を出したのはいただけないですが。

 

 さて、8郎認定のホームランが飛び出たその夜は家族で恒例のくら寿司🍣さんへ(笑)。日曜にもかからず超満席(驚)。妻が予約してくれていたので並ばずに入れました。

 上写真の「ネギマグロ」は、マグロ(たたき?)がボリューミーに載っているにもかかわらず2貫で100円ですよ! 大トロ、中トロに隠れた存在のコスパのいいネタです。妻と二人で3皿頼んでしまいました。8郎の鉄板ネタとなるでしょう。

 ご機嫌の愛息は一人で13皿くらい食べていました。いっぱい鍛えて、いっぱい食べて、世界のどこに出ても負けないごっつい体をつくれよ! まだまだガリガリ君だけどね。

 さて、秋と言えば〝メタボ肥ゆる秋〟でもあります。パレット久茂地地下の中華総菜店「胡同DELI (フートンデリ)「担々麺(黒)(¥850)を食べてきました。「冷やし」と告げるのを忘れて、熱っついやつが出てきて困りましたが、おいしゅうございました。

 お次は何度も紹介している那覇市久茂地の「もとなり」のラーメン。ランチタイムは500円です! 増税後も消費者に転嫁せず頑張っています。安さだけでなく、8郎的に今一番おいしいラーメン屋さんですね。卵はトッピング(50円)です。

 以上、まーさむんを2枚載せたところですが、日ごろの筋トレと食事制限で、体重はなんとか80㌔ラインを死守しています(わかりにくいこと言ってないで早く79㌔以下になれよ!笑)。

 体重がリバウンドしない理由の一つに少年野球の審判があります。2時間弱、炎天下で球審をしているだけで1~2㌔は軽く落ちますね。

 ところで、野球はルールが複雑なので、審判をやるとなると一定の勉強をしておかなければなりません。8郎はまだまだ公式戦は無理ですが、練習試合程度なら手伝いたいと、空いた時間で知識を詰め込むことにしています。本をアマゾンで購入。減量もかねて、積極的に審判をしたいと思います!

 と、かっこつけてみても、審判を頑張るのはとりあえず今年いっぱいかな。年明けは、もう落ちることは許されない〝人生最後の資格〟試験が待っているので。10郎、悪いが、父ちゃんは来年勝負をかけなければならないんだ。再来年、君が6年生になった年に、父ちゃんが試験から解放されて全力で付き合うためでもあるんだ。球場に父ちゃんがいないのは寂しいかもしれないが、いつだって全力プレーだぞ。チバリヨー、10郎!

 最後の写真は少年野球大会の会場で撮ったハイビスカス。日々涼しくなるのはうれしいですが、夏も終わりかと思うとさみしくなるものですね。今日はこれにて。


骨折り損の夏

2020年07月24日 | 学童野球

 1年で最も暑い季節、7月が真っ盛りです。

 毎朝、起床するのに10分以上かけるグータラ息子10郎。起こすのに骨を折りますなぁ。妻に至っては不機嫌マックスになります(怖)。ただ、正直8郎も少年時代はこうでしたね。低気圧の影響を受けやすい副鼻腔などの体質が原因だと思っています。高校時代は「だー!」と叫び声を出さなければ起きられませんでした。グータラの気持ちは分かる父が、成長の記念にと愛息を撮影しようとすると不機嫌な目つきでにらんできました(笑)。反抗期の入口かな(このあとなぜかピースをしますが)。一人息子なんで、そんな瞬間もかわいいんですよね。

 7月は出勤の時点でごらんのような青空。カバンを投げ捨て、かりゆしウェアのまま海に飛び込みたい! ちなみに試験不合格に終わった今年は反省材料としてダイビングを禁止することにしました。

 そんな不合格試験もとりあえず今年は終わったので、これまで時間をかけてあげられなかった10郎との野球の練習にも精を出しています。約2カ月ぶりに少年野球の練習にコーチとして参加したところ、午前中だけの練習だったにも関わらず、体重が1.5㌔減ったのには驚きました。

 10郎とバッティングセンターにも行きました。8郎家の家訓「ボールは当てに行くんじゃない。バットの芯で叩き潰すんだ」(by星8徹)を守り、思い切りスイングしていました。ライトへの痛烈な打球やきれいなセンター返しまで披露してくれましたね。成長を感じました。

 しか~し、そんな愛息10郎がまたやらかしてしまったのです! なんと学校の休み時間に階段で転び、左手の脛骨を骨折してしまったのです。2月の右手首骨折に続いてのアクシデントです。しかも同じく公式大会の直前に! 4年生ながら代表ベンチ入りメンバーに名を連ねているというのに(悔)。全治5週間というので大会出場は絶望的です。監督、コーチ陣、メンバーにもご迷惑をおかけしております。まさに骨折り損のくたびれもうけ!

 整形外科の帰り道に撮影。なんで笑顔だばぁ~(笑)

 包帯を外せる日まで、タオルピッチングと筋トレに集中させます。

 

 そんなリアル骨折り小僧ですが、最近大いに関心を示している漫画が、なんと『三国志』(作・横山光輝)です。自らネットや図書館で情報収集をしています。もちろん仕掛け人は父8郎。30年前の感動を息子にも与えたいと、夜の物語(まだやってま~す)で取り入れたのです。すると効果てき面! 愛息自ら「三国志が読みたい」と言い出したではありませんか。妻と相談の上、全60巻を新刊で予約注文したのです(2万7千円)。ネット注文なのでまだ届いていませんが、届いた際には、当ブログで8郎の三国志愛を熱く語ろうと思います! その際はマニアックな話になるので関心のある方だけ、ご覧ください(笑)。金額的に中古(3分の1)も考えたのですが、もしかしたら今後増刷はないかもしれないということ、そして何といってもビンボー少年だった父8郎のキラキラ光る大切な思い出の作品なので、ピカピカの新品を選択しました。これで今年のダイビングは「ハイ、消えた!」(by往年の愛川欽也)です。

 おっとりタイプの愛息ですが感化されるのだけは人より早いので、早速、劇中の豪傑たちが使う武器を段ボール紙でつくっていました。宿題はイヤイヤやるのに、こういう工作系に骨を折るのはいとわない不思議な愛息です。一番目立つ真ん中の武器は三国志を代表する豪傑の一人、関羽が使う青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)です。伝説によると関羽が使っていたのは約50㌔もあったそうで、敵の甲冑はともかく骨くらいはぶった切ったはずです。

 自作の青龍偃月刀を振りかざしながら、ネットでアニメ三国志を鑑賞する10郎。関羽の大活躍を見て興奮したあとは、青龍偃月刀を振りかざし父に襲い掛かってきます。

 そんな骨折り損の夏も一生に一度の夏です。一日一日を楽しみたいと思います。折った骨だけ損をするでなく、益が来ると信じて。

 みなさんも夏バテ、熱中症にお気をつけ、乗り切ってください。

 これから10郎とピッチングフォームの改造に取り組むので(左手がダメなら右手を鍛えるチャンスと考えろ!🔥星8徹再登板)、今日はこれにて。


距離感を大事に

2020年01月27日 | 学童野球

 ある土曜日。澄んだ青空に数本の飛行機雲が描かれていました。まるで傑作邦画『君の名は。』で彗星が地球に降り注ぐワンシーンのようです。距離感すらつかめなくなる、どこまでも透き通った青空でした。

 10郎と今年初のピッチング練習をした宜野湾海浜公園グラウンドからの光景でした。

 さて、少年野球道まっしぐらの愛息。先日の練習試合で、久しぶりの先発登板機会があったのですが、コントロールが定まらず、1回で降板(涙)。自信をなくしかけていました。そんな愛息を応援しようと、こんなものを買いました。 巻き尺(左、1759円)と簡易版ベースセット(2259円)です(もちろん、8郎とそっくりさんのジェフ・ベゾス氏率いるAMAZON経由)。

 巻き尺はバッテリー間や、捕手と2塁間の距離を測るためです。ピッチングはもちろん、キャッチャーとして二盗阻止の練習をするためです。これまでの父子の練習では、て~げ~の距離でやっていたのですが、コントロールを磨くには、やはり、正しい距離感を意識した練習が大事だと痛感したからです。

 10郎は守備もうまくなり、バッティングに関してはほぼ三振はしません。流し打ちでもタイムリーヒットを放つなど好調です。しかし、ピッチングの方は結果を残せていません。父の真似をして階段2段上りをはじめ、毎日の素振りなど、自分なりの練習もこつこつ続けていますが、まだまだ気迫が足りないようです。「野球はプラス志向で」と考えている父8郎は常に「いずれお前がエースで4番になる。いや、お前しかいないんだ」とのんびり屋の息子に暗示をかけ続けています(星8徹登場!)。

 少しでも効果的な練習を教えてあげたいと、8郎も、数年前から野球界を席けんしている(?)投球フォーム理論のインバートW(悪い例)とスタンダードW(よい例)の違い、を学んでいます。説明はややこしいのですが、スタンダードWとは簡単にいうと、かつて否定されていた“手投げ”をよしとし(語弊があるかもですが)、腰と肩の回転を使って投げる、というフォームです。ひじと肩に力がかかりすぎていた従来の投げ方から、全体に分散するようにしたのです。ボールを持つ手と頭の距離が近いのもだめなんだそうです(8郎はまさにこの投げ方。笑)。歴代投手を見ても、スタンダードW型の投手はけががないのだとか。とにかく、ダウンスイングを強制してきたバッティング理論同様、「ひじから出せ。ひじを肩より上にあげろ」などという、喝オヤジ的な昭和世代のピッチングフォームも、時代に合わなくなってきているのです。

 うさんくさい伝統にこだわるよりは、魅力的な新しい考えにトライしてみたい8郎。ということで、畳み間で10郎と一緒に新しいフォームに取り組んできました。そこで驚いたのは、父8郎が昭和の教えにのっとって矯正しようとしていた愛息10郎のナチュラルな投げ方は、実はスタンダードWに近かったのです。ピュアな子供の動体力学を簡単に否定してはいけないと、46歳、恥ずかしながら学ばせていただきました。理論は教えつつも、息子がこの投げ方が投げやすい、と言えば、それを優先させてあげようと思っています。

 2020年1月現在の愛息10郎のピッチングフォームを記録しておきます。もちろん購入した巻き尺で学童用バッテリー間の距離16㍍を測ってマウンドを設置。動画撮影を連続写真に変換しました。興味のない方には申し訳ございません。メジャーリーグのレジェンド速球王ノーラン・ライアンや、ロッテに入団した163㌔高校生、佐々木朗希投手のように、ひざを高く上げます。

 YOU TUBEに数ある投球フォーム解説番組(うさんくさいやつも多々あり)で、父子ともに一番納得がいった方法で練習します。

 90度以内にひじをまげないように。

 もっと腕をまっすぐ~。ひじをあまり曲げないで~。ひじが胸より先に出ないように! 腕で投げるのでなく、腰の回転で投げるのだ! うっせ~な~、この親父(10郎の気持ちを想像代弁)

 両肩と腰の回転、グラブを持った左手の使い方はまだまだ修正余地がありますが、まあまあの形ではないでしょうか。

 このフォームが固まれば、どんどん投げ込みができる。投げ込みを重ねれば、必ずコントロールもよくなり、威力のあるボールで勝負できるぞ!

 このあとは、巻き尺でホームベースの後端部から32.52㍍を測り、2塁ベースを設置。キャッチャーとしての盗塁阻止の練習も行いました。ワンバウンドながらいい球投げていました。撮影はすべて妻です。 

 

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 話は変わって、イタリアンの経験が全くないもこはちシェフのコーナー「HACHI's キッチン」です(て、誰か~)。先日、会社の同僚からいただいたガーリックオリーブオイルで簡単ペペロンチーノを作ってみることに。

 小瓶の中をマクロ撮影でのぞいてみると、美しい黄金色のオイルの中に、砕いたニンニクがたっぷり入っています。ガーリックの香りが鼻孔を直撃! 食欲そそる~。

 完成。賞味期限がとっくに切れていたバジルを振りかけてしまったのはご愛敬(衛生的に問題あり)。鷹の爪は切れていました。

 別の日にはトーストにも使いました。その日の新聞がお皿代わりです。

 おいしかったですね。同僚に感謝です。ガーリックをたっぷり摂ったので、人と話すときは距離感に留意したのは言うまでもありません(笑)。

 

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 最後は、愛息10郎の面白ショットで締めさせていただきます。

 2月の春季大会に向けて、気合の丸刈りをした10郎。風呂上りにスウェットを着て、何気にポケットに手を入れた姿があまりに面白くて、撮影。本人もちょっと気取りながらポージング。おい、何やさぐれ感出してるばぁ~。短い足でかっこつけちゃって~(爆)。

 そんな愛息は、無断で撮影しまくる“パパ”ラッチに、短い足で、距離感無視のかかと落とし!(笑) 届いてね~ぞ。早く布団敷いて寝ろ~。

 46歳8郎の人生において、息子ほどシャッターを切りたくなる被写体はいません。これからも出会うことはないでしょう。

 

 10郎が小学校を卒業するまでの3年間、家族3人とも少年野球に時間と体力を注ぐことになりそうです。8郎的にも、例え資格試験勉強にマイナスの影響が出るとしても、永遠の野球少年を自認する人生において、息子とのキャッチボールに時間を費やしたことを後悔することはないでしょう。逆に、やっておかなければ絶対に後悔するでしょうね。自分の肩とひじを壊してでも、息子のためにいいフォームを見つけてあげたいものです。

 10郎が思春期を迎えるまでのあと数年は、父子間の距離をぐっと縮めておきたい、と考えている親ばか46歳です。

 今日はこれにて。


仲間とつかんだ秋

2019年11月19日 | 学童野球

 秋の満月が輝くこの頃ですが、まだ長袖おことわりの暑がり8郎です。でも、日に日にかりゆしウェアの仲間は減っていますね。

 お次も満月・・・ではなく、丸刈りにした愛息10郎の後頭部です(笑)。所属する少年野球チームでCクラス(小学4年生以下)の2度目の公式大会に向け、気合を入れたのです。

 さて、その公式大会を前に、素晴らしいイベントがありました。なんと、永遠の野球少年8郎の永遠のヒーローである清原和博が、浦添まで来て野球少年たちと触れ合う、というのです。そして、愛息10郎のチームも参加するというのですよ。うらやましい~。でも8郎は仕事~(泣)。

 LINE(このほどYahoo!との提携が発表されましたね。世界的なプラットフォーマーになってくれるでしょうか)で妻が送ってくれた写真には画像が粗いものの、清原の姿が!(白ひげ)。見たかった~。

 田代まさしや沢尻エリカの薬物逮捕が最近あり、清原への視線も世間的にはまだ冷たいものがあります。しかし、野球を通じた仲間が、全国にはこれだけいて、清原のユニフォーム姿を喜んでいるのだと感じてくれたら、1ファンとしてもうれしい限りです。

 ご参考までに、11年前の清原の現役引退時に8郎がUPした記事を再UPします。清原へのリスペクトが行間ににじんでいませんか。それにしても11年経っても8郎の文章力は全然上達していないなぁ(笑)。 

 『勝手に清原論』(2008年10月8日)

 

 さて、清原と別れを告げた野球少年たちは午後は大会です。清原のおかげで試合時間が1時間に短縮されました(笑)。しかし、これが結果的に10郎らのチームに有利に働くことになるのです。清原、ありがとう~。

 前回に続いて背番号2をもらった10郎は4番ファースト🔥の大役。まさに西武ライオンズ黄金時代の清原と同じポジションです。父はイチロー、松井や柳田のような、左打ちで攻走守ともに一流の選手をイメージしているのですが(笑)。 

 仕事の8郎は、妻からのLINEによる動画配信を楽しみに、寂しく業務パソコンに向かいます。

 この大会は3チームによるリーグ戦です。ここを突破すれば決勝進出です。

 さぁ、初戦の相手は、戦力的にどっこいどっこいの。1回表にいきなり満塁のチャンスを迎えます。仲間たちがチャンスを作って4番10郎につなげてくれたのです。10郎はファーストゴロでしたが、相手のエラーもからみ、先制の2得点。4番打者の最低限の仕事をしました。これで、肩の力が抜けたのか、次の打席は内角の球を思い切り叩き、右中間へ正真正銘のタイムリーツーベースを放ったのです! 父子鷹(古)で模索したバッティングフォームが形になったので、8郎も感動しました。

 画像は妻が送ってくれた動画から切り取ったものなのでかなり粗いですが、親ばか御免で記念にUPいたします。

 試合は10郎だけでなく仲間たちも大活躍し、見事、公式戦初勝利を飾ったのです。

 そして、2試合目はこれまで勝ったことのない優勝候補の一角。ここで勝てば決勝進出の大一番です。残念ながら、10郎はいい働きはできなかったようですが、仲間たちが猛攻し先制。優勝を狙うのちびっ子たちも意地を見せ、最終回裏(と言っても3回。笑)に1点差まで追い詰められたようですが、抑えに抜擢されたR君が炎のストレートで火消し。清原効果で時間切れとなり、見事、初の決勝進出を果たしたのです。よくやった! そして、おめでとう、ちびっ子ナイン!

 チームメートでもあり競争相手でもある仲間たちの切磋琢磨が勝利につながったのでしょう。

 妻をはじめお母さん連中にも涙があふれていたようです。チームで1人4年生のキャプテンT君も責任感から解放され泣いていたようです。子供たちの汗と涙ほど、親にとってうれしいものはありません。 

 さて、来週予定の初優勝を懸けた決勝戦は「死のリーグ」を勝ち上がってき強豪。しかも4年生主体らしいので、大苦戦必至(清原効果もありません)ですが、子供たちの無限の可能性を信じて、応援したいと思います。8郎もその日は休みなので!

 10郎、仲間たちと力を合わせ、もっと大きなものをつかむんだぞ! チバリヨー。


夏の終わりの初ヒット

2019年08月28日 | 学童野球

 愛息10郎が少年野球を始めて、はや5カ月。8郎夫妻にとって待ちに待った日がついに訪れました。練習試合ではありますが、10郎が初のクリーンヒットを打ったのです!

(注)下写真のバットに巻かれている赤い物体は“星八徹”が購入した素振り用のおもりです。

 もちろん以前書いたように練習試合での初ヒットはすでに経験していました。しかし、それはボテボテのゴロだった上、相手守備のエラーもからんでいたので、満足のいく結果ではありませんでした。それに比べ今回のリアル初ヒットは、球を芯でとらえ、二塁手の頭上を鋭いライナーで超えていった右中間へのクリーンヒット。さらには満塁の場面での先制2点タイムリーというプレミア付きでなのです。いつも10郎の“のんびりプレー”に怒号を送る監督、コーチらも満面の笑顔で手をたたいて大喜び。10郎は果敢に二塁を狙いアウトになったものの、監督、コーチ陣は大歓声で褒めてくれました。のんびり屋ながらも素直な性格は、実はコーチ陣からも可愛がられていたのだなと、父もうれしかったです。試合も6対2で快勝! 初の打点ともなり、かなり自信がついたと思います。

 ちなみにコーチデビューした8郎、その瞬間の写真を撮る余裕はありませんでした。それだけが残念(これは正直な親心)。

 夜は家族のお祝いで恒例の『くら寿司』へ。奮発して人生初「のどぐろ」を注文しました。感想としては、サバ系の味で、正直そこまでおいしいとは思いませんでしたね。。。いつか、本場もんを食べたみたいものです。

 初ヒットのあとの、大好物のマグロはさぞやうまかっただろうね。

 さて、ヒットを打つ前日、つまり夏休み最後の土曜日。野球チームが波の上でビーチパーリーを開き、8郎家も参加してきたので報告します。沖縄の暑い日は10月まで続きますが、子供たちの夏休みが終わるということは、沖縄の夏の終わりが来たことも意味します。言葉にできないさみしさを感じるのは余生に限りがあるおっさんだからでしょうか。

 野球部スピリッツにあふれる子供たちは、父母が指示するまでもなく、キャプテンの号令の下、手際よく準備体操にいそしみます。この規律性を学んだだけでも、、、野球部にいれてよかったぁぁぁぁ(笑)

 愛息10郎、夏休み最後の日曜日にして、今年初の海水浴です。海水はほどよい冷たさで気持ちよかったです。

 夏休みが終わろうとも、沖縄の海は最高だね!

 お父さんチームが子供たちの要望に応えて、子どもたちを海に放り投げます! 10郎も飛んだ~。その瞬間を父は愛機STYLUS TG-2でパチリ。夏の終わりの1枚を撮ることができました。

 現在、身長133㌢、体重30㌔です。おかげさまで、すくすく成長していますよ!

 美しい波打ち際を見ていたおっさんの耳に、夏の終わりを告げる名曲、杉山清貴の『水の中のAnswer』(1987年リリース)が聞こえてきたような気がしました。

 陽に灼けた君は今しあわせと まぶしい風の噂さ ♪

 

 遠ざかる夏の距離 白いシャツに着替えた 

 Blue Summer Day Far Distance

 優しさが僕たちの探してた 答えと知ったよ ♪


 二度と戻ることのできない若い日の夏を、美しい絵ハガキのように振り返ることができるのも年の功、でしょうか。。。いや、日本が世界に誇る、キラめく80年代の邦楽文化のおかげかもしれません。音楽ほど素晴らしい文化はないと思う昭和世代のおっさんです。


  しか~し。沖縄の太陽を甘く見ていたセンチメンタル8郎。帰宅後、鏡で確認すると、やけどのような日焼けをしていました。塗っていた日焼け止めが海水で流されたのと、海面反射に数時間さらされたのもあって、Tシャツからはみ出た部分は真っ赤。鼻はトナカイのように真っ赤っかです(泣)。二の腕もご覧の通りで、夏の終わりに、ひとり“紅白歌合戦”状態です(笑)。アロエを塗る毎日に、46歳、反省しきりです。

 

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 さて、週末は規模は小さいながらも少年野球の公式大会が待っています。日焼けして疲労困憊になる毎週末ですら、こんなに待ち遠しくなるなんて(笑)。息子のおかげですね。

 その大会に向けて監督から背番号が配られました。タイムリーヒットが10郎のポイントを大きく上げたのか(笑)、Cチーム(4年生以下)で初の2番をもらったのです!(前回は8番)。チームの主軸と認められたのです。ちなみに1番は「絶対的エースはまだいない。競争して取り合え」という指導方針のようなので今回は該当者なしです。10郎、たとえ天性ののんびり屋でも男なら1番を狙っていけ!

 

 沖縄のトップシーズンである“盛夏”も終わります。熱帯夜は続きますが、一応“残暑”となる9月での息子の公式戦初ヒットを期待して、今日はこれにて。


10郎の旧盆一人旅

2019年08月17日 | 学童野球

 台風や真夏日の繰り返しで体調を崩している方も多いと思います。8郎も副鼻腔が最悪な状態になり会社を一日休んでしまいました。薬を飲んで一週間ですが、まだ鼻づまりは治りません(泣)

 さて、夏休みも後半を迎えた愛息10郎。ほぼ毎日野球漬けですが、「俺、顔と腕以外日焼けしていないよ」と久々のマッチョポーズでお腹の美白ぶりを披露してくれました。今年は一度も海に行ってないからな~。

 悪天候の影響で妻も体調を崩したこともあり、とある一日、急遽8郎が10郎の弁当を作るはめに! 久々だったのと材料がなかったので、こんな感じに。タコ足ソーセージ以外、なんお工夫もありませんね。いかにも男親の弁当です(笑) でも帰宅後の10郎は「お母さんのほどではないけどおいしかった」と言ってくれました。

 

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 さて、そんな愛息10郎に初めての一人旅をさせました。旅といっても高速バスに乗せるだけですが(笑)。目的地は旧盆ウークイに合わせ、生まれ町の名護です。

 出発地点となる那覇バスターミナルまでは出勤の8郎が同行。ウークイは祝祭日扱いということで小学生の10郎は無料でした。やったね。

 2018年10月1日に運用開始した新那覇バスターミナル。建物全体の名称は『カフーナ旭橋』。県立図書館やホテルなどが入居している大型複合施設です。8郎も初めて足を踏み入れました。

 陸橋を渡り、階段を走り降りる愛息の背中に成長を感じました。そんなに急いで大人にならなくていいんだよ!

 高速バスの出発時間まで20分ほどあったので、カフーナ旭橋1階のコーヒーショップ『OKINAWA PORTAL』で時間をつぶすことに。

 色白のきれいな女性店員さんに、とても小さな声で「ぺぷし」と頼んだ9歳。しぶい! 小指も立ってる!

 ついに高速バスが到着。ほとんどが美ら海水族館がお目当ての観光客です。その中に小さなウチナンチュ9歳が一人続きます。送り出す父も緊張します。

 運転手さんは優しそうな30代のウチナ―ンチュだったので「名護まで一人です。よろしくお願いします」とあいさつだけしました。いざ、出発! 行ってらっしゃい。

 出社後も心配な父は早速ショートメールを送りました。10郎からは元気な返信がありました。これでやっと父も仕事に集中できました。

 ケータイのGPS機能を利用している妻からはLINEで現在地の報告。どこまで過保護だば~(笑)

 以下の2枚は10郎がデジカメで撮った車窓の景色です。

 約1時間半かけて、名護バスターミナルに到着。出迎えてくれたじいじ、ばあばから妻あてに写真がLINEが届きました。元気いっぱいの姿! 

 その後、10郎は名護の実家に一泊し、8郎夫妻の代理でウークイ行事に参加したそうです。写真右は、10郎を兄貴と慕っている今年1年生のタカ坊。二人で夜通し遊んだそうです。じいじ撮影。

 翌日、沖縄市まで迎えにいった妻のLINEからこのような表情が。夜の9時だというのにエネルギーに満ち溢れています。相当楽しかったようだね。

 10郎は「来週もまたバスで名護に行く!」とのたまっています(笑) 一人旅、第二弾がありそうです。

 

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 さて、10郎の夏休みも残り1週間。今日の野球の練習後も、未完の宿題の一つ、読書感想文に取り組み、うんうんうなっていました。急に遊びに飛び出ていったので、完成したのかと中身を確認すると、なんとわずか一行だけ!

 いったい、どんな本なんだ!(笑) でも「あえりない」ストーリー、読んでみたくなりますね。

 感想文の一日も早い完成を祈って、今日はこれにて。


8郎 コーチになる

2019年08月12日 | 学童野球

 8郎にとって年に一度の資格試験が終わり、8月の3連休がやってきました。盆と重なり、帰省する方も多いことでしょうね。

 さて、大惨敗だった試験をひとまず終えて、8郎はひとつの決断をしました(と言っても大したことではありませんが。笑)。愛息10郎が所属する野球チームのコーチを引き受けることにしたのです。チームには25人程度の少年選手がいるのですが、コーチを引き受けるお父さんの方が少ないので、現在引き受けている10人足らずに負担が偏っているのです。以前から申し訳ないと思っていました。コーチといっても、難しい技術指導をするというより、土日の練習試合で持ち回りする審判の役割を期待されているのが実情です(これが炎天下で長時間の重労働なのです)。数年計画で資格取得を計画している8郎にとって、週末の一日をつぶすことは、試験対策として非常に大きな痛手となりますが、日に日に成長する息子との時間を最優先にしなければ、という気持ちが決断を後押しました。10郎が中学生になったら、草野球育ちの8郎から技術的に教えることなどなくなるでしょうし。そのころ8郎は50歳の大台で~す。キャッチボール、ノック、する自信がありません(笑)。

 

 3連休の最後、早速練習に参加したのですが、炎天下の4時間超の練習で疲労困憊。もともと体調が不調だったので、相当きつかったですね。少なくとも1.5㍑の水を飲んだのですが、帰宅して尿がほとんど出なかったのにも驚きました。「まだまだ足りない。6時半までやりたい!」という子供たちのエネルギーに自身の老化を感じました。これからそういう週末が続きます。でも負けずに机にも向かいます。そう、46歳には「つかれた」と言っている時間すらないのだ!

 

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 さて、3連休の空き時間は久々に妻と映画鑑賞をしました。もちろんサンエーパルコの4D映画館ではなく、ツタヤからレンタルしーのの自宅鑑賞です。以下の韓国映画2本は面白かったです。

『哭声(コクソン)』

 日本人俳優の國村隼さんの怪演(という表現でも物足りない!)が見どころの、力強いサスペンスホラーです。ちょっと長いですが最後までドギマギしながら見ることができます。注意点としては、謎解きのように物語が進みますが、謎を解こうとすると物足りない結末を迎えます。あと、小学生以下には見せられませんね。特に國村氏の演技は。トラウマになります。

 『タクシー運転手 ~国境を越えた約束~ 』

 
 韓国政府が民主化を求める住民を弾圧した「光州事件」を世界中に伝えたドイツ人ジャーナリストと韓国人タクシー運転手の友情を軸に、当時の混乱を伝えます。8郎がペ・ヨンジュン(懐!)よりリスペクトする韓国人俳優ソン・ガンホが主演。表情ひとつでストーリーのポイントを訴える演技力は健在です。学生運動を否定するごく普通のおじさんが、政府の横暴を見るうちに、最後はジャーナリストと行動をともにする。そのストーリの最後には静かな感動が待っています。この映画から教えてもらったことは、政府のいうことを信じるな、その一言に尽きますね。権力を握るものは必ずうそをつくのですよ、自分を守るためだけに。映画では御用新聞社も政府発表を垂れ流していましたね。
 
 この2本はおすすめです。
 

 過去に見た韓国映画『グエムル』『殺人の追憶』『猟奇的な彼女』『母なる証明』はテーマは違えど、いずれも激オモでした。邦画は直球勝負では勝てませんね。日本アカデミー賞総なめの『怒り』(渡辺謙ら豪華キャスト)や、是枝監督のカンヌ話題作『万引家族』も見ましたが、なにか足りない、という感じがぬぐえませんでした。それが何かというと、作り手の執念、と、世相の緊張感、ではないでしょうか。今の日本は商業主義が進みすぎたこともあって、それが薄まってきているのでしょうね。

 あと一本、同じく韓国の民主化運動がテーマの『1987、ある闘いの真実』も時間を見つけ、妻とともに鑑賞する予定です。映画マニアの方、ほかにいい作品があれば教えてください。

 4時間超のコーチだけで情けなくも非常につかれたので、今日はこれにて。


息子にピント

2019年06月09日 | 学童野球

  愛息10郎の少年野球大会公式戦デビューを応援してきましたのでご報告いたします。

 3年生の10郎はCクラス(4年生以下。いわゆる3軍)で出場です。この大会は地元の新聞社が地域貢献の一環で開催しているようです。

 少子化と同時に野球離れも進んでいるため、10郎たちチームのCクラス世代もなかなか9人集まらないことから、今回は市内他校との合同チームとしての出場となりました。孫の初舞台を見ようと、名護からじいじ、ばあばも駆けつけてくれました。梅雨だけに降水確率80%でしたが、天が味方してくれたのか、小雨程度となりました。

 愛息のデビュー戦に向けて8郎は、今春の人事異動に伴って事実上の引退をさせていた愛機NIKON D300の力を借りることにしました。10郎が生まれる前から8郎の右腕として活躍し、10郎の誕生後は成長にピントに合わせてきた愛機です。レンズは18~200㍉のズームタイプ。最近は手軽なSTYLUS TG-2ばかり使用していましたが、スポーツ撮影となると荷が重すぎます。老体ながらも、ハイアマチュア一眼レフの出番です!

 10郎はなんと、念願のキャッチャーでデビューとなりました。Bクラスの先輩や同期たちがプロテクターの装着を手伝ってくれます。これぞ、チームプレー。

 ちびっ子ながら、かっちょいいぜ~。

 とはいえ、まだ試合展開やルールも完全に理解していないので、内野陣に指示ができない上に、緩慢プレーなどで監督に怒られました。パスボールも多く、プロテクターを使ってショートバウンドのボールを止めることもできずじまい。でも初めてにしては上出来だったと父は思いました。

 そして注目の第1打席です。打順は5番くらいだったでしょうか。これまで見逃し三振を繰り返し、監督に怒られていた10郎。父も「ツーストライクまで追い込まれたら、どんな球でも振れ」と伝言。それくらい言わないと、また見逃しそうだったからです。初球は空振り。でもいいスイングでした。

 2球目はなんとかファウルチップ。その瞬間を写した一枚には、日ごろおっとり性格の10郎の表情に意地が表れていたのです。D300がしっかりピントを合わせていました! すきっ歯の歯を食いしばってバットを振り抜いた愛息。帰宅後、写真を見ながら感動した親ばか夫婦です。

 最後は高めのボール球を空振りで三振。でも、「絶対にやるな」と言われていた「見逃し三振」だけは避けました。本来ならボールなので振るべきではありませんが、Cクラスはかなり広めに取るので要注意なのです。迷ったあげく、フルスイングを選んだ息子の決断に拍手を送りたいと思います。でも、高っけぇ~(笑)。

 試合の流れから打席はこの1打席のみ。「スイングの型がよくなっている。あと1打席あったら絶対に打ててたぞ」と褒めてあげました。素振りの数だけ、いいバッターになる。がんばろうぜ。

 最近、視力が落ち、ボールもはっきり見えていないのではないかと思います。8郎も小学校3年から急激に落ちましたので、遺伝子的にあり得るのです。父同様、小学校のうちにメガネかなぁ。

 

 その後の守備では、慣れないファーストにコンバート。ここではエラーを連発。高い球を捕れなかっただけでなく、そもそもベースに足が届いていません(笑)。

 続く満塁のピンチに内野ゴロの送球をポロリしてしまいます。監督、コーチ陣から怒号が飛びました🔥。父8郎も試合後には「あのプレーだけは怠慢そのものだ」と厳しく指導しました。相手がきちんと投げてくれた球をポロリするなんて、仲間の信頼を失うぞ、と。

  そして、ふらふらと上がったフライでは、落下地点に先回りできす、後ろ歩きのまま後退し、当然のように落球! 2点くらい献上してしまいました。監督、コーチ陣から再び怒号が飛びます🔥🔥。

 さらに続く満塁のピンチ、狙われたかのようにファーストへゴロが向かいます。「トンネルするなよ」と願う父母の願いが届いたのか捕球はしたものの、なんと一塁を踏まずに、ホームへ送球! 点を取られたくないと思ったのでしょうが、もちろんダブルセーフ。監督、コーチ陣、そしてA代表の先輩たちからこの日一番の怒号が飛びました。「なんで一塁ベースを踏まない!踏めば終わりだろ~が!!」🔥🔥🔥🔥🔥(笑)。妻は生きた心地がしなかったそうです(笑)。試合後の10郎も「ファーストが一番難しかった。何していいか分からんかった」と嘆いていました。

 ファーストとしては、ひっちゃかめっちゃかのデビューとなりました。体がでかくて動けないやつがやるものと思っていたファースト(失礼)でさえ、こんなにもカウントごとの位置が違うんだということが分かったかな。いい経験になったね。試合数をこなせば、今何をするべきか、しておくべきか、分かるようになるさ!

  結局、試合は点数すら覚えてないくらいの大敗。10郎だけでなく、全体的にエラーが連発しました。1学年上の中心選手も不調。また、相手は低学年のCクラスとはいえ、A代表は今大会の地区優勝チーム。完成度が高かったですね。今時の少年野球は3年生から始めても遅い、と言われるくらいクオリティが上がっています。だからこそ、かつては数えるほどしかいなかった県出身プロ野球選手が、山川選手や東浜投手をはじめ、いまや日本球界に“沖縄ブランド”を築くほどの数になったのでしょう。とはいえ、野球から得てほしいのは、うまい、へたというスキル以上に、人生訓だと思っている、古臭い昭和世代の46歳です。

 

 荷物を集め、車へと向かう際、同じ年の熱血コーチが微笑みながら「息子さん、泣いてますよ」と教えてくれました。見ると10郎は顔をくしゃくしゃにして泣いていました。終わってから悔しさがふつふつとこみ上げてきたのでしょう。相撲大会、空手大会で惨敗を喫して以来です(笑)。じいじ、ばあばにいいところを見せることができなかったこともあるだろうし。8郎はあえて声をかけませんでした。ダラダラ平穏に生きるより、挑戦して負けるほうが絶対にいい。悔しさこそ、エネルギーを生むんだ(またしても昭和世代の登場です)。練習して、結果を出すしかない。

 

 夜は居酒屋での「お父さん会」に初めて参加。50代手前の監督が「最近の若いお父さんは飲みませんから」と嘆くように、5人しかいませんでしたが、第二次ベビーブーム世代同士、野球・教育談議で盛り上がりました。かつては強豪ながら、現在は選手数の減少で優勝から遠のいているわがチーム。監督と低学年のお父さんらで「(10郎ら)3年生以下の仲間を増やし、彼らが6年生になるころには再び県大会に出場できるチームに育てよう」と意気投合しました。お酒も進み、とても楽しかったです。8郎は息子だけにピントを合わせず、出場した全員の写真を撮影していたので、妻を通してグループLINEで提供したところ、喜んでもらえました。しかし、「次回はA代表もBもお願いします!」と頼まれる始末。勉強する時間がなくなる~(笑)。でも、子供の1年はあっという間。8郎にも出来ることはやってみたいと思います。

 

 10郎が野球を始めて2カ月余り。勝ちにこだわる姿勢に変わりはありません。でも、勝とうが負けようが、息子が挑戦し、くじけ、また挑戦する姿を見ているだけで、親の人生も充実することを実感しています。言うだけじゃ絶対子供は育たない、親である自分がやってみせなければ、と痛感します。逆に子供に感謝ですね。

 そして、D300。引退したのはユーザーのマインドだけであって、君はまだまだ現役バリバリだね! 愛息10郎の一投一打にピントを合わせるために、これからもよろしく。

 

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 先日16回目となる人間ドックを受けてきました。身長は179.6㌢と180㌢に届かず(まだあきらめてない!?)。体重は再び70㌔台に別れを告げ、81.6㌔に(泣)。70㌔台の世界いずこ~、と何度書いてきたか分かりませんね(笑)。総論的には「体重さえ落とせば健康」という例年通りの指摘でした。あきらめずに減量を続ける決意です。

 朝何も食べていない胃を満たしてあげようと、久方ぶりに浦添市内の「ふく家」へ。豚肉生姜焼き定食です。おいしゅうございました。ちなみに味噌汁もうまいっす。ガッツリ食べたいときには食べる、それが、8郎なりの減量を続けるこつだと思っています(何年言ってる?)。

 息子の野球に気を取られ過ぎている間に、気が付けば自分の“人生最後”と位置付ける資格試験まで2カ月を切りました。息子に偉そうに「素振りを繰り返せ」と言ってるくせに、父の勉強ははかどっていません。8月3、4の決戦2日間にピントを合わせなおし、一問一問、地道に問題を解かなければなりません。今日はこれにて。