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つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

SDの盗難があったそうです

2005-10-10 21:30:39 | SD
某有名掲示板での話ですが…。

自主映画の撮影の小道具に、と知人の監督に貸し出した大正浪漫めぐが盗難にあったようです。
三日間の撮影で、二日目の夜まであり、三日目の早朝にはなく、そこにいたのはヒロインの女性とその友人、他男性一人。
で、ヒロインの友達がバスタオルの包みを持ってそこを離れた(ちょうどSDサイズですね)ことまでは判っている様子。

細かい話は省きますが、このヒロインと友人の行動、そして知人の監督が滅茶苦茶怪しくて。
特に監督、どう見ても、他人様から借りた大切なものを無くした、という人間のとる行動じゃない。
ヒロインも。協力の姿勢はゼロ、なのに何故か?お金を払おうとする(自分たちは何もしていないが、自分たちのところで無くなったからということだそう)。はっきり言って変。
普通は、「それは大変!」と協力するだろうけれど、お金は出さない。
「出す」としたら…後ろ暗いところがあって、それをごまかすときだけでしょうね。普通に考えて。
寛大なところを見せて、なんてことではない。
もし本当に寛大なら、全ての費用を払おうとするだろうしね(ちなみに提示額は三万円だったそう。安すぎる!)。

実は私も大正浪漫めぐのオーナーです。
発売は2000年12月10日、価格は9万8千円(税別)、当時限定の美白で、50体限定の桐箱入り、とかなり気合いの入っためぐで、今のピュアめぐとは別物です(ピュアめぐオーナーの方ごめんなさい。でもデフォメイクの丁寧さは、今のピュアめぐとはまったく比較になりません。もったいなくて消せないメイクです)。
私にとっても一番大事な子なので、めぐオーナーさんの件は人事には思えません。

どうか、無事に帰ってきますように…。

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小休止

2005-09-28 12:29:09 | SD
いろいろ迷ったのですが、思い切ってSD関連のサイトを休止させました。

SDが嫌いになった訳ではありません。

ただ、ちょっと疲れてしまいました。
ちょっとのんびりしたいな…というところです。
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最近。

2005-08-30 16:47:02 | SD
SDが我が家にやってきてから、三年目になりました。

最近は、ほとんどお着替えもせず、飾ってあるだけです。
時々、新しい服を購入したら着替えさせるくらいかな。それも、小さいサイズの子たち限定で(幼天使・幼SDではありません)。
でも、これくらいの距離感が丁度いいようです。

SDは綺麗な人形ですが、やはり人形は人形。
愛情が増す、ということはないようです(愛着は湧きます)。

最近は、ボークスの限定っ子にも興味がなくなりました。
画像だけ見て、ふーん、という感じです。

次から次に、限定が欲しい、服が欲しい、靴が欲しいとまるで餓鬼道に落ちたような状態から抜け出して、今はとても落ち着いています。
これはやはり神父様の、「とても綺麗なお人形ですが、ただのお人形です」というお言葉によるものだと思っています。
これは、このブログを始める際に悩んでいた、SDに付けられた宗教設定について、初めてご相談に伺った時のお言葉。
これを聞いて、「愛娘」だの「オーナー」だのでかけられていた呪縛がとけたような気がします。
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イベントでのSD抱っこについて

2005-07-20 00:16:51 | SD
某掲示板で話題になっている、イベントでのSD抱っこについて。

初めてイベントに行った時、SD抱っこを見て驚きました。
「持ち歩いて大丈夫なの?!」と。
当時、とても外への持ち歩きは心配でできない方だったので(今はわりと平気です)。

でも、ディーラーさんと楽しそうに撮影しあったり、欲しい服をあててみたりしたりしているのを見て、「これはいいな」と思いました。
手ぶらで参加していた自分が、ちょっと寂しかったりも。

が。
実際、抱っこして歩かれると、こちらは怖いです。
ぶつかって傷でもついたら大変だし。
落としたりしたら、穴があいたり割れたりしかねないし。

交流には確かにいいんですが。

「ぶつかって落としたり、壊れたりした場合は抱っこしていたひとの自己責任で」。
これしかないと思います。

…というか、こんなこと、わざわざ議論しなければいけないほどのことだとは思えません。
大事なものはしまっておく。
外に出すなら、リスクは覚悟。
当たり前の話でしょう?
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教えてちゃんPart2※毒吐きです

2005-07-06 22:48:50 | SD
…と言うと、「酷い!」と言う人もいるでしょうが、某掲示板を読んでいて思ったこと。
自分のSDに着せる服を探すのも、SDの楽しみだと思うのですが、他人にSD服販売サイトを訊いてすまそうとするって…なんだかな、です。
服は好みもあるし、個人サイトは販売数も限られているので、手に入りにくいのがほとんどです。
それが判っていて質問しているんだろうか…?
とてもそうは思えません。

何でも、教えて、と訊けばいいものではありません。

確かに某掲示板は、一時訊きにくい雰囲気を漂わせていたこともあり、今聞きやすくなったのはいいことだとは思うのですが、ああも何でも訊いてくる「教えてちゃん」は不愉快です。

まぁ、「着せ替えをしたい!」という気持ちが先走っているんだろう、とは思いますが。
自分で何一つ失敗したくないなら、決して何もできません。
失敗も自分自身のためです。

それと。
SDは本来、大人の趣味です(15歳以上推奨、だったかな?でも、肉体年齢より、精神年齢の話だと思います)。
服を作る、探す、購入する、そういう過程も楽しめる「大人」が参加するものだと思います(SDというより、大人の趣味は、大半がそういうものでしょう)。
ただ服の着せ替えがしたいだけなら、子供の着せ替え遊びと何ら変わらないでしょう。

ただし。
ボークスがもっと服の生産と販売に力を入れていれば、出てこない問題だと思いますし、苦労しないと服を探せない現状は支持できません。
だからといって安易に質問してすませようというのも疑問です。
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教えてちゃん

2005-07-05 22:57:43 | SD
どの分野かを問わず、最近増えていることではありますが、SD界において、最近本当に「教えてちゃん」が増えたと思います。

普通にボークスのページを見るなり、天すみに電話するなりすれば解決することも、全て掲示板で質問。
酷いのになると、本を見れば判る!のは判ってるけど、と質問してくる。
私は冷たいのでそういうのは黙ってスルーしますが、何でああなるかなぁ。
極論すれば、他人の記憶は間違っていることもあるというのに、頼っていいものなんですか?と突っ込みたくなる。

人に訊くのは、自分が可能な限り調べてから。
万策つきて、初めて人に訊くものでしょう。

…というと、人に訊いたのも「調べる」ことだと思っている人もいるようで。
やれやれ。
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雨の日フェア(注:毒吐きです)

2005-06-25 14:40:01 | SD
ボークスでの雨の日フェアに行きました。
昨日立ち寄った時にはすでにきれいにレイアウトして、布をかぶせてありましたが、今日はその布が外されて、お買い物できるようにしてありました。

…それはいいのですが…。
買い手のマナーが悪かったです。
きちんと並べられてある上から取っているのに、どうして元へ戻さずに違うところへ投げ出すのでしょう?
入って数分で、きれいに並べられていた服は崩れて、バーゲン会場のようにぐちゃぐちゃになってしまいました。
二つほど見かねて直しましたが、その前でまた散らかす始末。
反対側のスペースでは店長さんが片づけていました。

今までボークスに散々文句を言っていましたが、買い手もそれにみあったものなんだと思いました。
あれの一員だとは思われたくないです。
…たとえはたから見たら同じでも。
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SDそのものもコピーだった?

2005-06-09 17:58:41 | SD
…という話を聞きました。
ある有名な現代人形作家さんの作品(当時)を真似したのがSDだ、と。

…それで思い出しました。
その人形作家さんの作品は、私も何となく知っていました。
とても綺麗な人形ですが、私にとっては何だか怖かったので(死体を連想させる生々しさ故に、そう思ったのかもしれません)、どちらかといえば苦手でした。
SDが出た頃、その方のパクリだ、という話を聞いて、ふーん、と思った記憶がありました。
当時はSDにも、その方の人形にも興味はそれほどなかったので、そのまま忘れていましたが。

写真集はまだ入手前なので、断言はできませんが。
ネット上で探した画像と、SD初期っ子を較べると、確かに似ていると言えなくもありません。
その方の人形の、生きているような表現と、一種独特の迫力を抜いた残りがSDだ、とも言えます。
怖さをなくして、綺麗なお人形、とだけしたような(それでも、SD慣れする前は「不気味だ」「怖い」と思っていたのも確かです)。

近日中に、写真集を探して比較してみるつもりですが…。

1/6はオビツ、SDは人形作家さん、DDは当然オビツ60、幼天使・幼SDはリケ、SDCはユノア、磁石構造はDODの真似、となると、どこにオリジナリティがあるんでしょう。

「ビスクの代わりにキャストを使う」ところだけ?

…にしても。
普通、新商品が出れば類似品が出るのは普通のことです。
それが、SD界においてはそうではない。
指弾される対象です。

その流れを作ったのは、間違いなくボークスです。
他社を排除しようとして、コピーだコピーだと言いまくった(訴訟もした)。
…当のボークスがここまでコピーを作っていて、何をかいわんや、です。

…冷めますね。

追記です。
写真集を入手しました。
迫力は間違いなく作家さんの方があります(較べるのも失礼なくらいです)が、あれを一般向けにライトにしたら、SD初期っ子になります。
少なくとも、私は似ていると思います。
写真の撮り方も(現在ではなく、過去のボークスの初期っ子の箱についていた写真がです)よく似ています。

力が抜けました。
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夢から覚めたような

2005-06-02 00:02:58 | SD
あるいは洗脳から…でしょうか。

回心、というのはこういうことかも、と思うほど、簡単に割り切れたことが、昨日は不思議でならなかったのですが。
逆に、今までの方がおかしかったのかも、と、最初からもう一度考えてみました。

SDにはまったばかりのころ。
「愛娘」とか「お迎え」とか、そういう言葉が、正直薄気味悪かったのを思い出しました。
私は、ただ可愛い人形が欲しかっただけです。
「娘」がほしいわけではありませんでした。

まぁそういうのもありかな、と一抹の気味悪さを感じながらも、「ごっこ遊び」のようなものだと思っていました。
でも。
いつのまにか、言葉のマジックにかかっていたような気がします。

より家のSDを可愛くしたい、綺麗にしたい、そう言われたい…。
自分で特に意識していた訳ではないけれど、いつの間にかそんな気持ちになっていました。
綺麗なメイクをできる人は羨ましい、素敵な服を持っている、あるいは作れる人は羨ましい…。
そんな思いが重なると、SDを可愛がるのが辛くなってくる。

…そう、子供の能力を競い合う親のようです。

この場合、もとは皆同じ顔(ボークス社製の素体ですから)なので、それにいかに綺麗なメイクをするか、いい服を着せられるかにかかります。
つまり、「どれだけお金をかけられるか」が問題になる訳です。
そして、それが「愛情」と言われてしまう現状です。

そしてそうやって、感情移入してしまう存在だからこそ。
あの設定を無視できない、という流れになっていく。

そう思います。



コメント (2)
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別の見方

2005-05-31 19:21:57 | SD
ここを開設して日付は浅いですが、積もり積もった思いを綴ってみたことで、何が一番私にとってひっかかることなのか、はっきりしました。

私は、あの宗教設定ー自分が選んだ訳でない設定を、私のSDたちにつけられたことを振り切れない。
信者ではなくても、それなりに特別なものとしていたキリスト教ー聖母を、訳の分からないことに持ち出されたことをどう割り切っていいか判らない。
その状況で、私のSDたちを、どう扱っていいのか判らない。
可愛いのは可愛い。
でもあの設定をつけられたのを、割り切り切れない。

なので。
初めて、カトリックの教会に行ってきました。

信者ではないことを伝えましたが、あっさり相談にのって下さいました。

神父様に、ことの次第を説明して、どう考えていいのかわからないとお訊ねしました。
また、SDたちをどう考えたらいいのか、と。

答えはー「無」でした。

私は知らずにSDを買った。
ただ可愛いお人形として買った。
そして後付けでこういう設定をつけられた。
でも、その設定は、無なのだと。
だから、人形には何の関係もない、今までと同じように可愛がっていていいのだと。
そう、言ってくれました。

聖書に、ローマの神々に捧げた肉を食べていいものかどうか、と議論する話があるそうです。
異教の神に捧げた肉だから、食べてはならぬ、とする人びとに対し、パウロが答えたのが、「無」だと。

「この世には全能の神ただお一人、他にはおられない。いないものに捧げた肉はなんの意味もない。だから食べていい」と。

この話を聞いて、それを思い出しました、と神父様は語ってくれました。

聖母像のことも、まったく気にされないようでした。
かたちだけのものは、よくあることだと(要約です。いろいろ話して下さったのですが、まとめるとこんな感じです)のことでした。

…何というか、文章にしてしまうと実はあっさりですが。
妙にすとんと腑に落ちるのがすごいところです。
さすが二千年の歴史ある宗教、というところでしょうか。

それと。
SDを説明するのに、「パーフェクトカタログ1」を持って行ったのですが…。
それを見ながら、「皆寂しい顔をしていますね」と言われたのが印象的でした。
「とてもとても綺麗だけど、とても可愛いけど」誰も笑っていない、と。



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