つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

様変わり

2005-12-27 09:04:36 | SD
最近、SDの譲渡掲示板を見ていると、様変わりしたなぁ、と思います。

以前は、オークション相場が釣り合わない物の交換やあまりにも低すぎる金額設定での譲って下さいなどのお願い(大抵、例によって「切実です!」の台詞つき)があると、誰かが注意したものでした。
掲示板の流れが早いところなので、空気を読まない人が何度も投稿すると、他の有意義な記事が下がってしまうし、またそういう人に限って前の記事を削除しないで次々投稿してくることが多いし。
でも、今までは結構きちんと受け入れて終わるのがほとんどで、逆切れは少なかったです。

ところが。
最近は逆切れか、妙な擁護?(これで納得してくれる人がいればいいじゃないか、とか)が湧いて、せっかくの注意が理解されないのが多くなりましたね。

判らないのかなぁ?
注意されてるのは、「非常識」だからなのに。

誰も、高く売れるものをもっと価値の低いものと交換したり、わざわざ安く売ったりはしないでしょう。
オク出しが面倒、と思う人でも、保障のない個人間の取引の方がリスク大きいですから、取引に出さず自分の手元に置いておくでしょうね。

不要品をオークションで売って、後はお金を貯めて、本当に欲しい子をお迎えすればいいのに、そこまで待てない、というか待ちたくないんでしょうね。

でも。
「あなたにとっていらないものは(大抵の場合)相手にもいらないもの」
…だということを忘れているようで。
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何だかなぁ…

2005-12-27 02:10:08 | SD
ささやかなプレゼントをお友達に贈ったのですが、到着連絡をもらえませんでした。

あまりに何も言ってこないので、荷物を検索してみたら、到着していることが判ったのですが…。
今まではきちんと連絡してくれる人だったので何だか凹み気味です。

まぁ…。
思い起こせば、このところ、一つ一つは些細なことなのですが、細かいところで衝突が増えていたように思います。
何だか馬鹿にされたようなことを言われたり…。私の方も、取りようによってはむっとされそうなことを言っていたり(後からそうも見える、と気づきました)。

ネットのみのつきあいって、難しいですね。

SD関係のサイトも持っているのですが、もう全部閉じたくなりました。
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いくらか落ち着いてきました。

2005-12-24 07:03:34 | キリスト教(カトリック)
相変わらず、辛いことは辛いんですが、やっと落ち着いて来ました。

先週は結局、初めてミサをお休みしました。
辛くて通えなかった。

で、22日の研究会も、行く直前まで悩んでいたんですが。
これで行かなかったら、もうずっと行けなくなる、と思って行ってきました。

結果。
ずいぶん楽になりました。

何がどう、という訳ではないのですが。
辛い気持ちもあるのは確かですが。

別れの時がくれば、また動揺するのも判っていますが。
今は少し、落ち着いています。
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もてあまし気味…

2005-12-18 04:41:06 | 日常雑記
明日、というかもう今日ですが、待降節の最後のミサがあるのですが…。

初めて、行きたくないと思っています。
先日の、神父様の離日がいまだ尾を引いていて…。

理性では、二度と神父様のこの時期のミサに預かることはないだろうから(余程の運と偶然が重なれば別ですが)、行くべきだ、と思い、行きたい気持ちもあるのですが…。

正直、どんな顔しているか、自信がありません。

会いたいのですが、会うのが辛いです。

指導者に固執してはいけないのでしょうが…。
初めて会った、信頼できる宗教的指導者だったので、どうにもできそうにないです。

こんなに早く別れが来るなら、会わない方がよかったかも、とまで思えてきます。

さて。
行くつもりなら、さすがに寝ないとまずいので、この辺で。
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びっくり…

2005-12-15 23:30:06 | キリスト教(カトリック)
今日、いつものように聖書研究会に行って、衝撃的な話を聞きました…。

私の通っている教会の神父様が、来年日本を離れられるというのです!

宣教師である方なので、いつかはこういう日も来るんだろうとは思っていました。
でも、まだ先のことだと思っていました…。
いろいろな新しい取り組みを教会で始めていらしたから、なおさら。

もっともっと教えて頂きたかったのに…。
残念です。

余程私が落胆した顔をしていたのか、神父様は「まだ四ヶ月はいますよ」とおっしゃいましたが…。

信仰は人によってするものではない、とはいいますが、やはり人柄に惹かれて宗教の門を叩く、というのはよくあることと思います。
葉月の場合、まさに教会に通い出すきっかけはこの神父様の説教を聞いてみたい、というもので、毎回、ミサも研究会も楽しみにしていただけに、すごくショックです…。

にこやかに送って差し上げなければいけないのは判っていますが、とてもとても残念で、悲しいです。
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言葉の難しさ

2005-12-05 23:15:59 | SD
以前、自分の家のSDを、「知人に似てる」と言われて、何となく不愉快だった、という話を聞いたことがあります。
その時は、「そんなものかな」と思って終わりでした。
自分が言われたとしても、「そういう人もいるんだ」で終わりか、「だったら会ってみたいかも」と話の種になるのかな、くらいにしか想像していませんでした。

が。
自分の家のSD(しかも一番大事にしているSD)について、上記のように言われたら。
思った以上の不快感と、それを感じた自分について驚きました。
自制心がきかなかったら、「…だから何?」とか、冷たく聞き返してしまったかも(苦笑)。

いや、相手にまったく悪気はないのは分かっているので、やりかえさなかっただけかも。

今回はダメージ発言を喰らう回だったらしく、自分のうちのSDの写真なのに、他の人の写真の方で美しさを感じた(多少はしょってます)と言われてさらに凹み。
いや、自分が写真が上手くないのは分かってます。
で、誉められた人がまたとりわけ上手な方なのも分かってます。
相手がうちのSDを誉めてくれようとしただけなのも分かってます(だから不快感を表明できない)。
でも、だからこそ一層落ち込んでしまっています。
相手に悪意があったらやりかえせるけど、悪意がないということは、否応なしに現状を認めさせられるということですから。

…元気になったら、写真の勉強して、いっぱい撮って、精進します。
今日のところは…撃沈です。

思いがけない言葉で、自分を顧みられる、いい機会とも言えますが。
かなりきついので(笑)、他人に言葉を発する時は、よく吟味しないと、自分の思ったこととはかけはなれた意味にとられてしまう、ということを肝に銘じておかなければいけませんね。
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