ジェニーにまた最近はまっている。
最近はネットオークションのおかげで、かなり古い子も手に入るので、ありがたい。
ありがたいのだが…。
かつて欲しかった子を手に入れて、可愛がって、それで満足か、というと、何だか切なかったり、ほろ苦い気分になったりする。
我が家は人形を買ってくれない、という家ではなかった。
が、父親の好みに左右されるのだった。
顔、髪型、髪の色、ドレス、全て父親の好みに合わないと買ってもらえない。
本当に欲しくて買ってもらった子は…いないと思う。
どこかを妥協して買ってもらう、のが普通だった(着せ替え人形限定。歩くとか踊るとか話すなどの変わったものは、親が欲しかった場合には買ってもらえた)。
親としては、「欲しいものは何でも買ってやった」と自負があったらしく、生前よく言っていた。
当の子供の方は、そんな気分のないまま、とりあえず相槌を打っていた。
今になると、本当に欲しい子は、大人になって自分で買った子しかいないことに改めて気づかされる。
買ってもらえなかった訳ではないから、他人には贅沢に聞こえる話。
でも、本当に気に入った子を子供時代に買ってもらえなかった、という今さらな話が、欲しい子を買えるようになった今になって、ちょっと痛い。
店であれこれ考えて、「これがいい!」と言って買ってもらう、というのは、もう決してできないから。
今になって、気に入って手に入れた子を眺めながら、そんなことを考えてしまう。
最近はネットオークションのおかげで、かなり古い子も手に入るので、ありがたい。
ありがたいのだが…。
かつて欲しかった子を手に入れて、可愛がって、それで満足か、というと、何だか切なかったり、ほろ苦い気分になったりする。
我が家は人形を買ってくれない、という家ではなかった。
が、父親の好みに左右されるのだった。
顔、髪型、髪の色、ドレス、全て父親の好みに合わないと買ってもらえない。
本当に欲しくて買ってもらった子は…いないと思う。
どこかを妥協して買ってもらう、のが普通だった(着せ替え人形限定。歩くとか踊るとか話すなどの変わったものは、親が欲しかった場合には買ってもらえた)。
親としては、「欲しいものは何でも買ってやった」と自負があったらしく、生前よく言っていた。
当の子供の方は、そんな気分のないまま、とりあえず相槌を打っていた。
今になると、本当に欲しい子は、大人になって自分で買った子しかいないことに改めて気づかされる。
買ってもらえなかった訳ではないから、他人には贅沢に聞こえる話。
でも、本当に気に入った子を子供時代に買ってもらえなかった、という今さらな話が、欲しい子を買えるようになった今になって、ちょっと痛い。
店であれこれ考えて、「これがいい!」と言って買ってもらう、というのは、もう決してできないから。
今になって、気に入って手に入れた子を眺めながら、そんなことを考えてしまう。