自戒を込めて。
抗がん剤でなく、がんという病気が怖いのです。
がんという病気が怖いのは、個人的には、ドラマ等で描かれたもの、また、「髪が抜ける」等と漏れ聞いた情報によるものです。
実際、受けるときも怖くて仕方がなかったです。肩に力が入りまくり、めちゃくちゃ緊張状態。
今思うと、あまりの怖がりっぷりに、看護師さんも可哀想に思って付き添って下さったのだと思います。初めての抗がん剤の点滴の間中、側で話していて下さった。今思い出しても感謝です。
髪も抜けましたし、体毛もなくなりました。眉毛もまつげも、なんなら鼻毛も。髪がなくなると、転倒して大怪我の危険があるので、室内でも布の帽子をかぶってました。
でも、抗がん剤が怖いのではないのです。がんという病気が怖いのです。
がんは自分の体の中でできてくる。いわば正常な細胞を作り出すときのコピーエラー。健康ならそれは毎日処理されてなんともないのに、あるとき、なぜか、処理されずに増え続けた場合、病気となる。普通の細胞とどれだけかけはなれているか(これが「顔つき」のよしあしと言われるもの)、どれだけの速度で増えるか。それを見て、良い方か悪い方か決まる。
でも、それでも、元は自分の体からできたものだから。
抗がん剤は、がん細胞が普通の細胞よりも増える速度が速いのに着目して、細胞の増える速度が早いものを叩くようにできています。
だから、髪を伸ばす、爪を伸ばす、などの部分も一緒に叩かれてしまう。私の場合、爪はのびなくなるわけじゃないけど、のびが遅くなって色が黒ずんできました。それをできるだけやわらげるために、抗がん剤の点滴中手の爪を冷やす、などもありましたね。
皮膚も確かかゆくなったり、しみができやすくなったりしました。本当に一瞬日の光を浴びただけでシミができて、愕然としたこともあります。これは幸い今は消えましたが。
そう、あるとき、腰が痛いとかそういうのがあると、転移かと思って怖い、という相談をした時でした(乳がんもですが、肺がんも腰に転移します)。主治医がぽろっと言いました。
「痛み止めが効くなら、大したことないんですよ。がんの痛みは痛み止めが効かないから」
それを聞いた当時、ほっとしました。肩凝り持ち腰痛持ちで、いつも気に掛かっていたから。
だから痛み止めが効くなら、がんの転移じゃない、と思って。
今になると、がんで逝った母は、どれほどの苦痛だったのかと思います。
母と私には告知はされませんでした。父と姉兄が告知され、彼らの判断で母と私には告知しませんでした。私は母の没後に伯母から聞きました。
がんだとは知らされました。末期だという告知がされなかったのです。
母のかねての希望通り、痛みがないように取り計らってもらいました。
それでも、母は肩が痛い、背中が痛いと言っては姉が揉んでいてあげていたそうです。
私は仕事でいなかったので。
それでも夜などに、やってと言われて揉んだこともありました。
痛くて眠れないと睡眠薬が出て、でもそれが効かないと言われたこともありました。この時は正月で、一時退院して帰宅していた時でした。
効かないと言われても、量を勝手に増やす訳にも、薬を変える訳にもいきません。処方薬を飲んでいますので、勝手になにか追加することもできません。
私にはただ、よく名前を聞く有名な薬だから、いい薬のはずだよ、病院に戻ったら効くのを処方してもらおうね、としか言えませんでした。
そうだね、辛いねって聞いてあげて、何か飲む?と言ってあげられればよかった。
でも、当時の私は五時起きで支度して、八時前には職場に出勤していたので、あまり側にいて何かしてあげることもできなかった。
抗がん剤で辛い思いをして、しかも治らないなら、ということで当時決断したことです。母の希望でもあり、父や兄姉の総意でもありました。私は知らなかったことですが、知っていても当時なら多分同じ決断になったと思います。
でも今は思うのです。
どちらが楽だったのだろう?と。
抗がん剤は人により効き方も違うので、こればかりはわかりません。私も最初のうちは副作用が出ず、主治医に「それはよかったです。副作用が出なくてもちゃんと薬は効いてますし、副作用は出し損なので」と言われて当時吹き出した覚えがあります。
少しでも楽な方がいい、と思ってのことでしたが、どちらが楽か。
今はもうわかりません。髪がなくなるのは女性にとって辛いことです。抜ける時も、頭皮が痛いし。決して楽じゃない。食べ物だって美味しくない時があるし。普通に食べられる日もあるけど。でもそれすらも、「私」の経験であって、母ではないのです。
ここまでの薬でないとたたけない、がんという病気が怖いのです。
最近、ちょっといろいろな話を聞いて、「抗がん剤が怖い」というのも聞いたため、ちょっとまた色々考えてしまいました。