つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

リュープリンうって四日目…そろそろきました。

2014-04-27 13:26:26 | 乳癌

23日にリュープリンをうってきました。

昨日、少々滅入り気味だったので、そろそろかな、と思っていましたが…今日、やっぱり来ました。鬱々気分。

朝起きて、お腹は空いているのに食べたくない。

でも食べないと動けなくなる。

分かっているけど、食べたいものがない。考えられない。

…そういえば、お腹は空くけど食べたくないって、昨日の夜あたりからかも?

 

一応、適当に食べて、何かしようかと考えたところで、面倒臭くなってしまった。

ここでやっと、「あ、来たな」と気付いて、ちょっとがっくり。

波はあるけど、この二週間?くらいは元気だったのになぁ…。

鬱々気分が来ると、もともとのトーンが落ちるので、しんどいです。

 

まぁ、まだブログ書く気力があるだけましですが。気力がないと、文章すらまとまりません。

 

しかし私って、どれだけ女性ホルモンに助けられて?いたのやら…。

この浮き沈みの激しさを見ると、本当にそう思います。

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自信がもてない

2014-04-27 00:13:37 | 日常雑記

最近、はまっている趣味があり、日々練習してはいるのだけど…。

なにぶん、いい年をして始めたことでもあり、今までやってきたことと畑違いでもあり、なかなか上手くならない。

加えて、老化(残念ながら、これも十代二十代の頃と比べれば当然ではある)のせいもあり、なかなか言われたことが覚えられない。

先生は、とても器用でかつ覚えの早い方なので、ここまで覚えが悪い私に、とまどってらっしゃるように見える。

…となると、また、私の中で、「自分なんか迷惑なんだから早くやめた方がいいんじゃないか」という気分がざわめき出す。

下手でもいいじゃないか、と開き直ってしまえればいいんだろうけど…。

うまくなりたい。だから、頑張りたいのに、覚えられない情けなさ。

…まぁ、こんな中で、自信が持てる筈もないのだけど。

でも、ある程度の自信がなければ、パフォーマンスもできない訳で。

…どうしたらいいんだろう。

 

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自分というもの

2014-04-25 17:37:15 | 日常雑記

カウンセリングに昨日行ったので、最近の話をつらつらとしてみました。

「自分」というものには、決まったかたちがなくてもいいらしいです。

少なくとも、私のカウンセラーの先生はそう思っているそうです。

一瞬一瞬変化していくもの。それが自分。

…変な話ですが、何故かそう聞いたら楽になりました。

そういえば、昔の漫画の『ブルー・ソネット』に、ヒロインのソネットが、「その場限りに消えていく、今の自分を書きとめておける…。それが本当にうれしくって、書き続けてきた日記なの」という台詞があったのを思い出しました。

当時の私はまだ幼くて、自分というものが「その場限りに消えていく」とは思えなかったので、不思議な表現だと思っていました。

今になってみて、やっと、あの台詞を実感しています。

そして。

それなら、自分というもの、きまったかたちでなくても、今のまま、つき合っていけばいいように思えます。

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疲れすぎは禁物

2014-04-21 10:54:26 | 日常雑記

前回はやたら暗い記事になりました(汗)。消そうかどうか迷ったのですが、軌跡としてあってもいいかも、と思ったので、とりあえずそのまま残します。

さて、最近の傾向として、どうも疲れるとマイナスの考えにあっさり転がっていくようです。

以前は、あまりにもすとんと落ちてしまい、自分でびっくり…だったのですが、最近は、気付いたら落ちてる、という感じ。

泣く理由なしに泣きたい気分になり、でも泣けず、とか。

気分が落ちている時は何もできないので、少し元気だとついあれこれしたくなるのですが、この時頑張ってしまうと後でがっくり落ち込みます。

気分良くやっていても落ち込むので厄介です。

心療内科でも普段のペースを崩さないように、とのことなので、あまりあれこれしすぎないようにしています。

…本当は、春めいてきて、花も次々に咲いて、一番いい時期なんだけど…。

でも春って、意外と体調崩しますね。気持ちもだけど、花粉症とか鼻炎とかも含めて。

昔は鎮花祭というのもあったわけなので、いろいろとせわしい季節なのかもしれません。

 

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自己評価が滅茶苦茶低いことに気が付いた…

2014-04-20 18:10:19 | 日常雑記

題名通り。これもカウンセリング効果かもしれません。

実は、自分では結構ポジティブだと思っていたりしたのですが。

根幹では、つねに「そこに自分がいていいのだろうか」「こんなことを言ってしまったから(あるいは言わなかったから)、嫌われたのでは」とか、くよくよ思い悩む方です。

…で、「うまくできないならいてはいけないのでは?」というのも入ってます。

「人生は楽しむべきもの」とはいいますが、実際に、「人生は楽しいし、楽しんで良いのだ」という意識は入っていません。

いや、人生を実際に楽しんでいるかどうかは別です。楽しくても、「楽しんでいていいんだろうか」という気持ちがついてまわるのです。

「人生は苦行だ」の方がしっくりきます。

苦行の中に、楽しみを見出す、のような?方が、理解しやすいというか。

…あれ、滅茶苦茶自己評価が低くて、ネガティブなものの見方をしている??

「楽しいことだけしていてはいけない」…よく親に言われた言葉です。

躾としては当たり前の言葉。でも、私にとっては、「楽しんではいけない」とイコールになっているのです。

例えば、よく、「勉強しなさい!」と親が叱りますよね。

うちの場合、宿題が終わっても遊べませんでした。予習復習が終わってもまだ遊べません。

なぜなら、予習復習が終わったら、更にその先をやっておけ、となるんです。

で、私は。だったら最初からやらない、とか、宿題だけ、とか、勝手にやってました。

勝手にやっていたのだから、問題ないだろう、と思われるかもしれません。

それが、問題が残りました。楽しむことに対しての罪悪感です。

やることやってから遊びなさい、とはよく言われることですが、やることが増えていくのでは、いつまでたっても遊べません。

なので、いつ遊んで良いのか、気持ちの上で判断がつかなくなってしまいました。

遊んでも、罪悪感が残るのです。

そうなるとどうなるか?

何もしない子が出来上がります。

適当なことをして時間をつぶすだけです。

希望は、いつも、親の審査が必要でした。「そんな才能ないだろう」「やるだけ無駄」「できっこない」「金の無駄」…まだ出てきそうですが、私の好きなことは大抵そういわれました。言われないのは、勉強だけです。

体育関係は、できない方でした。でも、言い訳すれば、公園に連れて行かないのですから、鉄棒等ができなくても当たり前と言えば当たり前。

しかし、就学してできないと、いきなり特訓したりとか。…おかげで、鉄棒は大嫌いでした。

繰り返さなければできないのに「何でできないの」「へたくそ」「覚えが悪い」…。

これだけ言われて、体育が好きになりようもないですね。思い返してみれば。

でも、「何で嫌いなんだ」って言われてました。…当時は「だってできないんだもん」と返してましたが、「何でできないんだ、やらないからだろう」と言われてました。…いや、やりたくないでしょ。どう考えても。

混乱してきました。今日はここまで。

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しばらくぶりに…診察。

2014-04-17 17:11:06 | 日常雑記

今日は心療内科の方の診察日でした。しばらくぶりです。

最近の状態を話したところ、ひきこもりたいならひきこもりましょう!とのお言葉。何か気持ちが明るくなります。

元気な時にも無理はしないように、とのことでした。つまり、今までできなかった分を取り返そう!とか思わないように、ということです。…思いっきりやってました(汗)。

確かに、疲れると、かえって反動でより落ち込んだり…してますね。

それから。

世の中に白はないこと。白よりのグレーか、黒よりのグレーか、はあるけど、白はない。グレーか黒なんだ、と。

…白でありたい、と思っていて、自分の中の黒を忌み嫌っていたのを、見抜かれたように思えます。と同時に、とても楽になりました。

今まで、自分自身だと思っていたことが(好みとか、考え方とか、価値観とか)、常に親や他人の意見を気にして決めていたことに、初めて気付きました。

たとえば、スカートが欲しいとしたら、私は青が欲しいけど、親は赤を勧めるのが分かっている。

頑張れば、青いスカートが買って貰えることもあるけど、「こんなのがいいの?」「変わってるね」等、傷つく一言とセットになるのが予測できる。

となると、「青がいいんだけど、どうかなぁ」と、顔色をうかがうようになる。自分で決められなくなる。

…こんな感じです。

なので、いざ、自分で決めようとしても、「そんなの似合わないよ」「安っぽく見られるよ」等々(例えの服、だけではなく)言われ付けてきたので、自分で選ぶ段にも「これを選んで馬鹿にされないか」という基準が、がっちりはまっているのです。あとは、「迷ったら高い方を買え」とか。高価な品を親が好んだので。

最近、それに気付いて。

安くても気に入ったものを買おうとしても、「そんな安物」とあざ笑われる気がして、今までは手が止まってしまっていたのです。すべてではないですが、アクセサリーとか、服とか、靴とか。親や兄弟に「いいね」と言われるのはどちら?みたいに考えてしまっていて。

ファッションに、ひとから褒められる、という点を考慮するのはある種当然なところもあると思うのですが、私の場合は、がちがちの枷になってしまっているようです。

そういえば、友達からもカウンセラーの先生からも、「似合ってれば好きなものを着ていいんですよ」と言われたなぁ…。

「これを選んだら、ひとから馬鹿にされないかどうか」を気にせずに、服や靴やアクセサリーなどを選べるようになりたいです。

…先日、ロザリオを選んだのが、最初の一歩かも??

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また低調…

2014-04-15 14:32:43 | 日常雑記

意味もなく、また低調。

何があった訳でもなく、動けない。動きたくない。

何故か、また食べるのが面倒になった。

ここ数週間、元気だった反動のように、参っている。

幸い、天気はよくて、ベランダで育てている花が次々に咲いて、それらの世話だけはできる。…といっても、水やり程度で、植え替えとか言われたら無理だと思う。

どうしたんだろう。まだリュープリン投与は一週間先なのに…。

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こころの問題。

2014-04-07 13:27:49 | 日常雑記

基本的には、結婚してからは平和な毎日を過ごしているし、多少生きづらさを感じていても、何とかこなしていた筈なのに。

乳癌になって、ホルモン剤治療が始まったら、感情の統制がとれずぼろぼろに。

そして、心療内科でカウンセリング。病気を悩んでいるのではなく、…感情の統制を取り戻したい、というような感じだった。ややあいまいな感じ。

それが、一年が経過した今、…いろいろ、変わった気がする。

気が楽になった。どこにいても、自分がいていいだろうかとおろおろする感じが少なくなってきた。

できないことも、うまく振る舞えないこともあるけど、それはそれでいいさ、と思えるようになってきた。やっていれば、少しずつできるようになる。

いい年して、と思われるかもしれないが、それもどうでもいいこと。相手の気持ちは変えられない。

お金とも、うまくつきあえるようになってきた?感じ。いままでは丼勘定だったけど、きっちり家計簿をつけて、きちんと会計が合う気持ちよさ。以前は色んな面で、神経質なほど几帳面な割に、信じられないほどずぼらだった。

それと同時に、物欲も減った。

今でも、見れば素敵だな、いいな、と思う気持ちはあるけど、必要か必要でないか、考えられるようになった。

もちろん、どうしても欲しいもの、はあるけど。でも、以前のように、あれもこれも、という感じではない。

買えないことに、苦しさを感じる訳でもない。いや、少しはいいなぁとは思うけど、以前はちょっと…きつかった。

こうやって書いてみると、すべてはこころの問題なんだ、と思える。

いわゆる、「こころのもちよう」ではない。

感情を押し込めたり、我慢したりし続けたりすると、自分が何を感じていたのか分からなくなる。

麻痺してしまったこころは、でも、なくなった訳ではないから、ずっと自分自身に影響し続ける。

まるで毒のように。こころを、からだを、ずっとむしばみ続ける。

その毒を吐き出してしまうことができると。

それだけで、からだもこころも、ずっと楽になる。

こうなって、初めて「こころのもちよう」を考えられるのだ。

大多数のひとはそう感じない。あるいは、それではいけない。とかいうことを学ぶことも必要だけど、まずは「自分がどう感じたか」をきちんと味わうこと。

それから、大多数のひとはそれをどう感じるか、どう感じたらいいか、という技術を学ぶ。

それから、その技術に従って生活する。

最初は変な感じだけど、その方が楽なことが、だんだんわかってくる。

たいていのことは、こころの問題と、セットになっているのだと。最近、そんな風に思う。

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自分の体って、意外に知らないものかもしれない。(※尾籠な話を含みます。閲覧注意)

2014-04-05 13:09:20 | 

再発防止もかねて、ダイエットをしていますが、痔主だし(汗)、どこまでダイエットできるのかしら?なんて思っていましたが…。

肛門科で貰った漢方薬が効いて、腸の動きがよくなったようです。

それと。私、基本的には食べることが好きなんです。最近はホルモン剤などのせいで、忘れかけてましたが(汗)。

なので、結構量も食べます。ご飯の量は多め、おかず少なめ。というか、おかずが多いと却って食べてしまう(滝汗)。

その代わり、ご飯で満足できればお菓子は食べません。果物もお菓子扱いにしています。

他、運動は各週一のバレエ・ベリーダンスです。

…で、結構落ちます。まぁ、元々太かったので(汗)。

しかし、痔には良くない。

玄米でかさが増えたのはいいんですが、肛門が広がりにくく、便自体は柔らかくても切れる(汗)。

もうどうしていいやら…と思っていたところ、漢方薬で「わりと」改善。

しかし完治には遠く、何をしたらいいのか、さっぱり分かりませんでした。

…が。

最近、食欲がなかったもので、食べる回数が減ったところ、ちょうどお尻が切れないですむくらい??

ひょっとして…私の食べたい量(胃としては)より、腸が出せる量は少ない?

なので、思い切って。一日二食にしてみました。メニューは変わらず。

ありがたいことに、切れなくなりました!まだマグラックスは飲んでますが、まぁ、やっと普通のお通じがくるくらいになったのだから、しばらくこれで様子見です。

しかし、自分の食べたい量と、自分の胃と、自分の腸の適正量がそれぞれ違うとは…なんか不思議です。

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庭仕事

2014-04-01 13:46:31 | 日常雑記

良く晴れたので、ちょっとだけ庭仕事。庭仕事、とは言っても、庭でなくベランダだけど。

咲かないかも、と心配していた桜の「衣通姫」が咲いた。

日本桜草もつぼみをつけ、早いものは咲き出した。

フリージアと都忘れも、今が満開。

いただきものの大根の花(ムラサキダイコン?)も真っ盛り。

買って以来咲いたことがなかった藤も、今年はびっしりと花房をつけている。

鈴蘭も芽を出し始め、においすみれが甘い香りをだだよわせている。

牡丹も早々と、鮮やかな色の蕾をのぞかせている。

一年で、一番楽しい、一番華やかな季節。

その中で、ちょっとだけ草を抜いたり、落ちた葉っぱや花びらを片づけたりするのがとっても楽しい。

…これが、リュープリンが来ると一気に感じられなくなるんだよなぁ…。

好きなものも、好きかどうか分からなくなる。

去年、武蔵寺の藤を、綺麗だと思いながらも晴れ晴れとは眺められなかったことを思い出して、今年は気持ちよく眺めたいなぁと、無理なことを考えている。…だって、投薬が23日、藤祭りは29日…。いつものパターンなら、どん底の頃(汗)。

 

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