つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

のど仏の話

2023-09-29 17:01:34 | 日常雑記

『火葬場で働く僕の日常』という漫画が広告で出たので、ちょっと読んでいて思い出したのがのど仏。

この骨はお骨上げの最後にのせる骨なので、これを綺麗に残るように焼くのが大事、とかつて母から聞いたことがあります。

やっぱりこの本でも、喉仏が綺麗に残るように焼くそうです。理由は書いてなかったですが。

母が見た祖父母の骨は綺麗に喉仏が残ったようで、祖母などは「立派な喉仏ですね」と褒められたそうです。

これ、怖いことに「仏」とつくだけあって、生前良いことをした人はこれがきれいに残るそうですが、そうでない人はこれが残らないとか砕けてるとか、そういうことがあるそうです。これも母からのまた聞き。祖父母の葬式の時、焼き場の人から聞いたようです。

まぁ病気の人は骨がもろくなるから残りにくいとか(これは本にもありました)癌とかで亡くなると、該当箇所の骨は黒いとか(こちらは母が聞いた話)、いろいろあるそうですが。

ちなみに普通に焼くと骨が残らないので、骨を残すように焼くのが火葬場の人のお仕事だそうです。

私ももう父母を送っていますが、母は普通に綺麗に残っていたようです。喉仏もちゃんとありました。

父は骨はがっちり残っていたのですが(職員の方に、骨の丈夫な方だったみたいですねと言われたくらい)、喉仏だけがぼろぼろで、半分しか残っていませんでした。

頭蓋骨の上部がきれいに半分残っていて、全部入りきらないからと火葬場の方が特大の骨壺を慌てて用意して下さったくらいなのに、喉仏だけがそんな状態で。

病気は肺と肝臓癌だったんですけど、なんだか考えさせられた覚えがあります。

猫やうさぎも火葬で送っていますが、うさぎは年齢とか突然死とかだったので、骨は普通でした。猫は正直、はっきりとした死因はよく分からないです。年齢と(16歳)、腎臓や何かもよくなかったり、腫瘍ができていたり(致命的ではなかったようですが)で、本人が食べられない、泡を吹く、息がしにくいという状態で、酸素室に入ってました。

それでも火葬にしたら、骨の一部が黒く、火葬場の方に同じように「このあたりが腫瘍だったんでしょう」と言われました。

人間も動物も、不思議なものですね。

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食べ物の力

2023-09-28 20:35:13 | 日常雑記

最近疲れるなと思っていたら。

このところ、料理も何もしたくなくて、外食とか惣菜など買ってきたものとかレトルトとかで済ませてたら、食べても食べても充足感がなく(いや、お腹はいっぱいにはなるのですが満足感がない)、疲労感がとれない。

これは、あれだ、もう手料理食べないとまずい事態。

しかし何も作りたくない…。そこで、はたと気がついたのが、「普段作ってみたいけどやってない料理を作る!」こと。

それで初、ローストビーフを焼いてみたのですが、これ楽しかったです。時間はかかったけど。

なので、作りたくない料理はやめて、完全に自分が作りたい料理を作ってご飯食べるようにしました。

そして、三日も食べれば完璧に元気になってちょこちょこ動けるようになってきました。更年期更年期と思ってたけど、それだけじゃないようです。

そういえば、一人暮らしの時、忙しくてご飯が適当になると疲れやすくなって、どこかで料理してたのを思い出します。

おうちのご飯はなんで力が出るんでしょう。わかりませんが、手料理はやっぱり力がつきますね。

レトルトはともかく(保存のために保存料とか入ってるだろうし)、外食とかならちゃんとお料理されてるはずなのに、なんでこうなるのか、ちょっと不思議です。

 

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どうやって信心するもの?

2023-09-27 18:29:29 | 仏教

これ、ものすごく、初歩的だと思われますが、私にとっては切実な疑問でした。

今は日本人は総無宗教かな?昔は「とりあえず」仏教徒、と言っていたと思いますが。サリン事件以来、宗教というと「うさんくさいもの」の代名詞になってしまったような感じがします。

で。実家は神棚も仏壇も祀っていなかったので、「信心の仕方」がよく分かりません。

昔話とかだと、熱心に寺に参詣しているので「寺参りする」のが信心の形なのかな?念持仏、というのもありますが、あれと仏壇ってどう関係するんだろう?念持仏を持ったらどうするの?主人は私よりちょっとは詳しいので(お祖母さんがちゃんと仏壇のお勤めしていたようです)、とりあえず毎日のお勤め、定期的に参詣(月ごとなら「月参り」ですね)をする、ということなので、そのようにやっていました。

で。和尚様に聞いたり調べたりした結果、天台宗とか密教系だとこんな感じみたいです。

・毎日のお勤め

・お祀りしている仏様の真言を108回唱える(数珠一周分)

・念持仏→仏壇の流れであっているようです。でも一般人でも今みたいな仏壇をもつのは江戸時代、徳川の檀家制度ができてからのようです。

・定期的に信仰しているお寺にお参り

何となくですが。仏教って日本人に合うような気がします。

カトリックと比べると色々と費用がかさむのですが(檀家でなくても)、でもお寺さんって費用かかるんですよ。お供物ひとつとっても結構するし(お金の話で恐縮ですが、庶民の私だと臆してしまうような話も結構あります)、供養料とか高くても仕方ないのかなぁと思ったりします。お香とか、いいの使ったら値段は天井知らずです。…香木一グラム五万とか八万とかしますからね。

そして線香は煙をあげた方がいいらしいですが、あれでアレルギーっぽい症状が出る私は、基本的には匂い袋をお供えして、どうしてもの時だけ焚いてます。お香の空焚きにしたりもしています。

うーん、これでいいと思って普段やってるのですが、ほんとにこれでいいのかな。

葉月はやるとなると根を詰めてがっちりやるのですが、やり過ぎて飽きちゃう、というタイプなのです。なので、飽きないようにするためには、小出しに小出しにやっていかないとなりません。

ゆっくり、ゆっくり。

お薬師様とお大師様と一緒です。

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写経してみました。

2023-09-04 14:45:42 | 仏教

実はずっとやってみたかったんです。できれば筆で。

が、親には「意味もなくやっちゃだめ」と言われ。だんだん、やってみたい、とは思っても手が出せない、という感じになっていきました。

お寺に行くと写経体験、とかあるんですが、何故かあと一歩踏み出せず。

自分でやる本とかセットとか買ってみても、なんとなく敷居が高い気がして。何の敷居なのか自分でもさっぱり分からないのですが、何か駄目な感じで。

鉛筆orボールペンでできる写経の本を買い、ちょこちょこやってはみたのですが、なんとなく続かない。

そう、何故か、みんな「何となく」でできなくて。自分でも変な話ですが。

が、先日、お寺で写経用紙を頂きまして。

頂いたからには書きたい!と、しまい込んでいた写経用品を引っ張り出して、やっと、初の筆での写経を一枚しました。

何か気持ちよかったです。

願文に悩みましたが。書きたい、が目的だったので、かなえたい願いがあるわけではないんですよね。強いて言うなら、書いてることで願いはかなってる、というか。

なので「心願成就」にしておきました。

うん、やっぱり、時期がこないと出来ないものだ、と改めて思ってます。

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食べることは楽しいこと?その2

2023-09-01 21:52:44 | 日常雑記

先日の記事の続きです。続き希望を頂いたのでつらつら書いてみました。ありがとうございます。

「食べることは楽しいことか否か?」

→生存に不可欠ではあるが、実は面倒。というところまできて、あれ?じゃ私は何で食べることは楽しいと思っていたのか?と思って、はたと思い出しました。

高校生を過ぎたあたりかな。母が言っていたこと。

「あんたは食べない子だったから、食事が嫌にならないよう気をつけたんだよ」。

確か、給食の思い出話をしたんだと思います。

私は小学校低学年までは食の細い子でした。当時の給食は(うちの小学校だけかもしれませんが)配膳して二十分以内に食べ終えて片付けること、でした。昼休みが四十五分くらいだったと思います。

最初は時間内に食べられなかったり、早食いしなければならないのでより食欲がなくなったりと大変でした。おまけに、「給食を残さない」「残すときは半分食べる」という決まりもあったので、嫌いなものは喉を通らなくて大変でした。

おかげで給食の時間が嫌で嫌で仕方なく、給食があるから学校行きたくない、と思ったこともあります。

その話をしたら母が言ったのがくだんの台詞。

親としては食べてほしい、元気に食べていると安心する…けど、食べない子はどうしようもなく。

あまりどうこう言えば食べることを嫌いになるからと、「食べることを嫌いにならないように」気をつけた、と言っていました。

なるべく楽しく食べるようにすること(でも食べ物では遊ばせないようにすること)、前の記事で書いたように父が競争心を煽って食べさせようとしたことも試みの一つだったんでしょう。

親がおいしいおいしいと食べてみせるのも良かったのかも(この場合、本気で美味しいと思って食べるようでないと子供に見抜かれます)。

…うん。やっぱり、基本は食べることって面倒なんでしょうね。

それを躾というか、楽しいことと覚え込ませていたので、若くて元気なうちは楽しいことと思っていたのですが、病気をしたり年を重ねたりしてるうちに、思い込みがはがれて面倒という面が出て来たのかも。

考えてみれば、動物も食べてるところを見られるのを嫌います。ペットショップから来た子は慣れてるので平気ですが、保護猫のさくらちゃんなどは、慣れるまでは人目があると食べませんでした。子供の頃うさぎを飼った時も、私がじっとうさぎを見ていたら、あんまり見てるとうさぎだって食べにくいんだよ、食べてる時は見てるものじゃないよ、と言われた覚えがあります。

食べてるところがかわいいのに~!と思った覚えがありますが、ペットも慣れないうちは、あんまり食べるところを見るものではないのでしょうね。

人間も、じっと食べてるところを見られると食べにくいですし。

…こうなると、世奈さんの親、食べさせたくないのか?と思うほどみごとに子供が食べられない方へ食べられない方へと押しやるような行動しちゃってますね…。

うーん、あれを描けるのはすごいな。作者さんも描いててきつそう。

はてさて、今夜は一人です。主人が出張なので。

若い頃は主人がいない日に、主人が嫌いなもので私の好物を食べようとか(主人はエビ嫌い、私がエビ好き)、初めての料理を作って試食!とかやってたのですが、今となってはそんな元気もなく。適当にしてしまいました。

年をとってもきちんと、というのに憧れますが、どうも私の場合、そこまできちんとはいかなさそうです(苦笑)。

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