
先週、母親が20年住んだ賃貸アパートから引っ越しました。
4階建てでエレベータがなく、外階段で冬には雪が降ると凍結することもあり、4階に住む母のことを思うと心配で、もっと安全な所に引っ越させたいなぁと常々思っていたのです。
今年の冬は特に雪が多かったので、母もようやくその気になって部屋を探し始めたのですが、物件はあっても「年齢」がネックになり貸してもらえないとのこと。
確かに、高齢者の1人暮らしというのは、ある1点において非常に不安。
とは言え、一緒に暮らす訳にも行かない訳で、ここは何としても貸してもらわねば、と。
そこで、一緒に不動産に行ったのが2月中旬。
部屋はすぐに見つかったものの、やはり年齢のことで大家さんに確認が必要とのこと。
私が近くに住んでいることと、月に何度かは様子を見に来るということで大家さんに納得してもらい、契約することができました。
が、そこからが大忙し。
3月半ばを過ぎると料金が高くなるとかで、母が2週間後に引越しを決めてしまったため、大急ぎで引越しの準備をすることに。
3月4日に休暇を取り、3日間かけて荷物を整理しましたが、あまりに物が多く、50個あったダンボールを全て費やし、残りの荷物はまた翌週に整理することにして一旦退却しました。

私が社会人になって家を出た後、両親は離婚し、母親は1人でそこに住み始めました。
その時、元の家にあった家具のほとんどは母が引き取り、3LDKの部屋はそれだけでいっぱいになりました。
それ以外のものは、家を出る時にほとんど処分したと聞いていたのですが、荷物の中に「○○の思い出」と書かれたミカン箱があり、開けてみてびっくり。
私が子供の頃に集めていた観光地のお土産や、学校の文集、図画や美術で作った作品などが保管されていて、ランドセルまで取ってあったのには驚きを通り越して涙が出そうになりました。
その他、賞状や卒業証書、通信簿、合格通知、家族旅行で行った旅館の領収書まで・・・。
家を手放すことが決まって、母が思い出の品を処分せざるを得ない状況になった時、きっと辛い思いをするだろう。
そう思い、私は就職して家を出る時、倉庫にあった自分の作文や日記などを全て焼き捨てました。
自分自身、昔の物を取っておくと、家を失ったことの喪失感をいつまでも引きずりそうで、恐かったのです。
なのに、実際には喪失感なんて全くなく、むしろ懐かしさがこみ上げる。
今さらながら、あの時、多くのものを捨ててしまったことを少し後悔しました。
だが、しかし。
さすがにカビの生えたランドセルと観光地のお土産は処分させてもらいました。
今度の部屋は2LDKで収納も少ないので、今の荷物を全部は持って行けないのです。
「事業仕分けするよ~」と言って母に品物を見せながら、要る・要らないを決めさせ、惜しがるものについては「リサイクルに出したらお金になるかも」と言って説得し、できるだけ荷物を減らす努力をしてもらいました。

20年分の荷物。
離婚したのが50代の時で、父の借金を返しながらの生活ではあったけど、長いキャリアを持つ職業についていて収入があり、寂しさを紛らわすために買い物をしたり旅行をしたり。
そんな気持ちを察することができず、最初は「使っていないものは捨てて」とか、「もう使わないものは買わないで」と冷たく言い放っていたのですが、1つ1つに色々な思いが込められていることを聞かされるうちに、だんだんと手が動かなくなり。
最後の方は「引っ越した後で考えて」と、何から何まで箱に詰めてしまいました。
翌週、誕生日の日に最後まで残っていた身の回り品を詰め、当日は近くのビジネスホテルに宿泊。
翌日は朝から引越し。
引越し会社の人は若者ばかりで、ムダ口は多かったけどその会話が屈託なくて面白く、母も若い子が大きなタンスを運ぶ様子を頼もしく見守っているようでした。
昼過ぎまでかかって無事完了。
さすがに2LDKの部屋に3LDK分の荷物は多すぎ、足の踏み場も無い状態だったので、食器や調理器具、日用品だけは棚に片付けて箱を潰して帰りました。
そういえば、私、お誕生日だったのに。
伴侶も引越しの手伝いに借り出したので、お祝いどころじゃなかったといえば、なかったんだけど(汗)
まあ、引っ越してくれたことが一番のプレゼントか。
とりあえず、これで次の冬は安心して迎えられそうです。
4階建てでエレベータがなく、外階段で冬には雪が降ると凍結することもあり、4階に住む母のことを思うと心配で、もっと安全な所に引っ越させたいなぁと常々思っていたのです。
今年の冬は特に雪が多かったので、母もようやくその気になって部屋を探し始めたのですが、物件はあっても「年齢」がネックになり貸してもらえないとのこと。
確かに、高齢者の1人暮らしというのは、ある1点において非常に不安。
とは言え、一緒に暮らす訳にも行かない訳で、ここは何としても貸してもらわねば、と。
そこで、一緒に不動産に行ったのが2月中旬。
部屋はすぐに見つかったものの、やはり年齢のことで大家さんに確認が必要とのこと。
私が近くに住んでいることと、月に何度かは様子を見に来るということで大家さんに納得してもらい、契約することができました。
が、そこからが大忙し。
3月半ばを過ぎると料金が高くなるとかで、母が2週間後に引越しを決めてしまったため、大急ぎで引越しの準備をすることに。
3月4日に休暇を取り、3日間かけて荷物を整理しましたが、あまりに物が多く、50個あったダンボールを全て費やし、残りの荷物はまた翌週に整理することにして一旦退却しました。

私が社会人になって家を出た後、両親は離婚し、母親は1人でそこに住み始めました。
その時、元の家にあった家具のほとんどは母が引き取り、3LDKの部屋はそれだけでいっぱいになりました。
それ以外のものは、家を出る時にほとんど処分したと聞いていたのですが、荷物の中に「○○の思い出」と書かれたミカン箱があり、開けてみてびっくり。
私が子供の頃に集めていた観光地のお土産や、学校の文集、図画や美術で作った作品などが保管されていて、ランドセルまで取ってあったのには驚きを通り越して涙が出そうになりました。
その他、賞状や卒業証書、通信簿、合格通知、家族旅行で行った旅館の領収書まで・・・。
家を手放すことが決まって、母が思い出の品を処分せざるを得ない状況になった時、きっと辛い思いをするだろう。
そう思い、私は就職して家を出る時、倉庫にあった自分の作文や日記などを全て焼き捨てました。
自分自身、昔の物を取っておくと、家を失ったことの喪失感をいつまでも引きずりそうで、恐かったのです。
なのに、実際には喪失感なんて全くなく、むしろ懐かしさがこみ上げる。
今さらながら、あの時、多くのものを捨ててしまったことを少し後悔しました。
だが、しかし。
さすがにカビの生えたランドセルと観光地のお土産は処分させてもらいました。
今度の部屋は2LDKで収納も少ないので、今の荷物を全部は持って行けないのです。
「事業仕分けするよ~」と言って母に品物を見せながら、要る・要らないを決めさせ、惜しがるものについては「リサイクルに出したらお金になるかも」と言って説得し、できるだけ荷物を減らす努力をしてもらいました。

20年分の荷物。
離婚したのが50代の時で、父の借金を返しながらの生活ではあったけど、長いキャリアを持つ職業についていて収入があり、寂しさを紛らわすために買い物をしたり旅行をしたり。
そんな気持ちを察することができず、最初は「使っていないものは捨てて」とか、「もう使わないものは買わないで」と冷たく言い放っていたのですが、1つ1つに色々な思いが込められていることを聞かされるうちに、だんだんと手が動かなくなり。
最後の方は「引っ越した後で考えて」と、何から何まで箱に詰めてしまいました。
翌週、誕生日の日に最後まで残っていた身の回り品を詰め、当日は近くのビジネスホテルに宿泊。
翌日は朝から引越し。
引越し会社の人は若者ばかりで、ムダ口は多かったけどその会話が屈託なくて面白く、母も若い子が大きなタンスを運ぶ様子を頼もしく見守っているようでした。
昼過ぎまでかかって無事完了。
さすがに2LDKの部屋に3LDK分の荷物は多すぎ、足の踏み場も無い状態だったので、食器や調理器具、日用品だけは棚に片付けて箱を潰して帰りました。
そういえば、私、お誕生日だったのに。
伴侶も引越しの手伝いに借り出したので、お祝いどころじゃなかったといえば、なかったんだけど(汗)
まあ、引っ越してくれたことが一番のプレゼントか。
とりあえず、これで次の冬は安心して迎えられそうです。
うちは何回も引越ししており、そのたびにきちんと持ってきているつもりが紛失しており、行方不明になったものが多数あるようで(泣)
それでも実家のリビングには僕が小学生のときに作った熊のヌイグルミがあるんですが、日に焼けて色あせて汚れもついた今でも親が大事そうにしているのをみるとうれしくなりますよ。
私はけっこう、何でもかんでも捨ててしまう方なので、
タンスや押入れから懐かしいものがたくさん出てきて、
「そんなものまで取ってるのか?」と驚いたのですが(^^;
ランドセルの皮で小さなランドセルを作りたい、
と言っていましたが、もうすっかりひからびて、
その願いは叶いませんでした。
ちょっと可哀想でした。