花々楽しい日

布合わせを楽しみながら キュートで物語のある布小物を作っています

中国茶館へようこそ!

2007-06-12 | エッセイ

中国語では 喫茶店を「茶館」と書きます
発音は「チャーグアン」
北京では 語尾に アールの音(儿化音)が入るので
「チャーグァル」 と発音します

TOP↑の写真の湯のみは私が北京で使っていた物です
久しぶりに食器棚の奥から出してみました
写真に撮ってみると なかなか良い雰囲気に写っていたので
これを使うために
今日は中国の思い出話を少し書きたいと思います

 

20代前半の私は
大阪の御堂筋に居を構える某商社のOLでした
激務に疲れ果て2年半で退社
寿の道からは大きく外れて 中国・北京へ語学留学しました

天安門事件が起きた 1989年6月4日は
北京郊外の某大学の留学生宿舎に住んでいました

天安門事件の前日
私は友達と一緒に見知らぬ中国人の軽トラの荷台に乗せてもらい
沿道を埋め尽くす人民に手を振りながら
中華人民共和国の国歌を高らかに歌い 天安門に向かいました
別に私たちが異常な行動をしていたわけではありません
事件の前には そんな風にして天安門へ行く大学生がたくさんいたのです

事件前日の天安門広場の記憶はあまりありませんが
装甲車によってなぎ倒された「美大生達が作った自由の女神像」が
カメラスポットになっていたのは印象的でした

翌朝 激しいノックの音

中国人の友達がこわばった様相で立っていました
「天安門で大変なことが起きた 今日は外に出てはいけない」
それだけを言い 去って行きました

団らん室のテレビの前に 留学生達が集まり
ニュースに釘付けになりました
夜7時のニュースを覚えています
いつものテーマ音楽が流れた後のTOPニュースは…

「農業改革」でした

全員沈黙。。。

数日後 帰国勧告が出て 日章旗を付けた日本大使館の車が迎えに来て
航空チケットもないまま北京首都国際空港へ
キャンセル待ちで空港泊を覚悟していた私ですが
奇跡の様に空いていた席を得 大阪行きのJALに乗ることが出来ました
しかも ファーストクラス(エコノミー料金で)
飛行機の中は日本でした

空港に着くと フラッシュを浴び多くの報道陣に囲まれました
その日の夜のニュースに大映しになるわ 翌朝の新聞に名前入りのコメントが出るわ…

まぁ、色々ありましたが

あの北京での1年は私の人生にとって
深く 濃く 熱い 1年だったのです

ブログを始めた頃
何回かに渡り 北京のことを書いていますので
お時間のある方は覗いてみて下さいには私の描いた絵がいっぱい!)
(1) (2) (3)


TOPの写真の湯のみ以外にも
帰国勧告が出て 死に物狂いで帰って来たにもかかわらず
大切にお持ち帰りした品物があります


小さなバッチ
毛沢東物は古道具などを売っている露店で買いました
内蒙古大学のバッチは 旅行で内蒙古(フフホト)へ行った時に
この大学の日本語科で臨時講師?みたいなことをしたのですが
(日本語で色々喋っただけですけど…)
その生徒さんと自分の大学のバッチとを交換したものです
自分の大学(北京で在籍していた大学←日本でいう東大・京大レベルの大学!
でも、私は語学留学なので頭の良さは全く関係ありません)
は右下の物です


別に毛沢東さんが好きなわけではないのですが
中国と言えば これでしょう?
北京で一番好きな場所は 天安門広場の毛沢東さんの大きな写真の前でした
いえ、別に毛沢東さんが好きなわけではないのですが…←しつこい


東北のチチハル(かなりロシアに近い)に行った時に
そこの市長さんから頂いたもの
中国の携帯常備薬
緑の「風油精」の強烈な臭いが懐かしい
右端の錠剤は お腹がエクスプレスになった時に威力を発揮する「黄連素」
(中国でなったお腹のエクスプレスは正露丸や日本の下痢止めでは全く効果がありません)
これらは間違いなく使用期限が切れています
かれこれ20年近く前の物ですので…


北京市内にある「牛街」というところは イスラム教徒の方々が住む地域です
これは その方たちが「この家はイスラム教徒の者が住んでいます」
という表示に使うプレートです
「あなたたちには必要ない!」と言われたにも関わらず 購入してきました
でも、やっぱり必要ないので 押入れの奥で眠っています



他にも色々ありますが…
1番のお気に入りは やっぱり TOPの写真の湯飲みです
これを見るたびに
毛沢東さんや小平さんも これと同じ湯のみでお茶を飲んだのかなぁ?
と思いを馳せてしまうのです

中国語の通訳の仕事をしていた時代もあった私ですが
長年使っていないので
今は ほとんど喋れません 聞き取れません
「北京オリンピックで通訳」の夢は見事に立ち消えてしまっています

来年は北京オリンピック

 中国の庶民の方々のマナーはどこまで向上しているでしょうか?
私が北京の街で 怒りながらよく口にした言葉は
応該 排隊!(インガイ パイトエ)でした
(応該=~しなければならない 排隊=整列する)

4千年の歴史を誇る中国での初のオリンピック
成功することを 切に願っています

コメント (37)
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