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おっさんの品格
Paris 2024(パリオリンピック)雑感
Tokyo 2020 の感動から4年(中国武漢ウイルスのせいで 2021 年開催だったので実際は3年)。
花の都パリを舞台に、2024年夏のオリンピックのときがやってきました。
約2週間に渡って繰り広げられる平和の祭典ということで、お祭り気分をかき立てられます。
愛は地球を救うの24時間テレビや、フジテレビの27時間テレビなど、
昼夜を徹したイベント・放送があるときも、わたしは同様のお祭り気分になります。
しかし、オリンピックは、人生の節目となる思い出が心に蓄積されていくという点で、
人々にとって特別なイベントであると思います。
7/27未明(日本時間)に行なわれた開会式は、良かった、素晴らしかった。
スタジアム開催が通常だった従来の固定観念を覆す、常識破りの開会式でした。
各国の選手団が船でセーヌ川を行進するアイデアが、何と言っても秀逸でした。
エッフェル塔から放たれるレーザー光線ショーも、過去の五輪では見られないシーンでした。
レディーガガとセリーヌディオンとバッハ会長以外はほぼほぼ知らない人ばかりだったのですが(汗)、聖火リレーは豪華メンバーが登場して盛り上がり、盛況のうちに開会式は終了。
事後の報道ではなぜか開会式に対する批判記事もあったようで、しかしわたしは「何で? 別に良かったじゃん開会式」と思って、これから始まる競技日程が楽しみで仕方ありませんでした。
しかし、その後、大会が進行するにつれて、
こんなにも苦虫を噛み潰すことになろうとは、想像もしませんでした ・・・・
思えば、開会式の数日前にあったニュース、「マクロン大統領、シーシェパード元代表の身柄を日本に引き渡さないようデンマークに強く要求」、あれが予兆だったのかもしれません。
五輪ホスト国の首脳が、開幕直前のあのタイミングであんなことを言えば、どうなるか。
日本 sage を狙ってやったとしか思えませんでした。
もう1つ、心に引っ掛かったことがありました。
返す返す、開会式はとても素晴らしいと思いました。
しかし、その後の大会の中継を見ていく中で何度も目にする、パリ大会のシンボルマーク。
あれ、口紅とショートカットの髪型があしらわれた、女性の顔ですよね。
「ファッションの聖地パリ」を表現している、ということなのでしょうか。
にしても、あのように女性を強調する必要性が分かりません。
フランスの文化と言ってしまえばそれまでですが、わたし個人の感覚からすると、ああいう軟派きわまりないシンボルマークは、オリンピックという神聖なイベントには相応しくないです。
メダルにも刻印されるわけですからね、あの図柄は。
それくらいのこだわりはあっていいと思います。
そのように、心に若干引っ掛かるものを感じつつスタートした大会は、
角田夏美選手の金メダルで、初日こそ幸先の良いスタートを切ったものの、
その後は度々、嫌な場面に遭遇することになりました ・・・・
中でも、最もイライラさせられたのが、柔道でした。
女性差別と批判されようが構わない、俺は言う。
レベルの低い中途半端な女審判はいらない、迷惑でしかない。
古賀稔彦がバルセロナで泣かされた「旗判定」をなくしたのは、非常に良いと思いました。
しかし、審判の力量の低さがそれを台無しにしている場面が、多々ありました。
今後のオリンピックは、柔道の審判は全員日本人でいい(笑)
こちとら「侍」「武士道」の国だ、恣意的な贔屓判定などしない。
男子バスケの日本 VS フランスの決勝でも、日本に不利になる微妙な判定があって、
それが勝敗に直結して、日本は金メダルを逃すということがありました。
そして極めつけは、柔道団体戦、同じく日本 VS フランスの決勝でした。
つーか、フランスはいつ欧州からアフリカ大陸に引っ越したのだ?(笑)
村尾三四郎選手の決勝で誤審をやらかしたあの女審判、また出てきやがった、最悪。
阿部一二三選手の試合で 3つ目の消極的指導を明らかに出し渋っていて、階級が上(=体重が重い)の相手にスタミナ切れを起こすのを、あの女審判は待っていたようにしか見えなかった。
最後のルーレットも、本当にあんなにうまいことリネールに当たるものか?(笑)
村尾選手が最後出て行っていたら、間違いなく日本が勝っていた。
しかし、残念ながら、何を言っても全ては後の祭り、やったモン勝ち。
出場するアスリートはもちろんのこと、見る側にとっても大切な4年に一度の大会の思い出が、
こんなに後味の悪いものになってしまうなんて、残念すぎます。
大体、直前にあんなことを言うマクロン大統領の日本 sage からして、普通じゃなかったし。
競技の審判や採点で、恣意的な日本叩きが行なわれてもおかしくはないと、思えてしまう。
そもそも、理念よりも中国との経済関係を優先するような国だからな、フランスは。
大会のシンボルマークだって、何だあれ、厚化粧の●ールガールかよ(笑)
今回のオリンピックで、フランスという国が嫌いになっていまいそうだ。
そんな風に、心中が荒廃してしまいました ・・・・
でも、フランスの一般の観客は、日本に対してもとても暖かかったと思います。
阿部詩選手に贈られた「ウタコール」を、我々は忘れてはいけません。
村尾三四郎選手の決勝の試合で、明らかに投げが決まったのにポイントを取らないあの女審判に対して大ブーイングが飛んでいたようですし、フランスの観客は公平だったと思います。
そのことを救いに思い、気を取り直して、また4年後。
ロスで開催されるオリンピックを、楽しみに待ちたいと思います。
今度は、日本の同盟国、自由とジャスティスの国アメリカで開催なので、大丈夫でしょう。
花の都パリを舞台に、2024年夏のオリンピックのときがやってきました。
約2週間に渡って繰り広げられる平和の祭典ということで、お祭り気分をかき立てられます。
愛は地球を救うの24時間テレビや、フジテレビの27時間テレビなど、
昼夜を徹したイベント・放送があるときも、わたしは同様のお祭り気分になります。
しかし、オリンピックは、人生の節目となる思い出が心に蓄積されていくという点で、
人々にとって特別なイベントであると思います。
7/27未明(日本時間)に行なわれた開会式は、良かった、素晴らしかった。
スタジアム開催が通常だった従来の固定観念を覆す、常識破りの開会式でした。
各国の選手団が船でセーヌ川を行進するアイデアが、何と言っても秀逸でした。
エッフェル塔から放たれるレーザー光線ショーも、過去の五輪では見られないシーンでした。
レディーガガとセリーヌディオンとバッハ会長以外はほぼほぼ知らない人ばかりだったのですが(汗)、聖火リレーは豪華メンバーが登場して盛り上がり、盛況のうちに開会式は終了。
事後の報道ではなぜか開会式に対する批判記事もあったようで、しかしわたしは「何で? 別に良かったじゃん開会式」と思って、これから始まる競技日程が楽しみで仕方ありませんでした。
しかし、その後、大会が進行するにつれて、
こんなにも苦虫を噛み潰すことになろうとは、想像もしませんでした ・・・・
思えば、開会式の数日前にあったニュース、「マクロン大統領、シーシェパード元代表の身柄を日本に引き渡さないようデンマークに強く要求」、あれが予兆だったのかもしれません。
五輪ホスト国の首脳が、開幕直前のあのタイミングであんなことを言えば、どうなるか。
日本 sage を狙ってやったとしか思えませんでした。
もう1つ、心に引っ掛かったことがありました。
返す返す、開会式はとても素晴らしいと思いました。
しかし、その後の大会の中継を見ていく中で何度も目にする、パリ大会のシンボルマーク。
あれ、口紅とショートカットの髪型があしらわれた、女性の顔ですよね。
「ファッションの聖地パリ」を表現している、ということなのでしょうか。
にしても、あのように女性を強調する必要性が分かりません。
フランスの文化と言ってしまえばそれまでですが、わたし個人の感覚からすると、ああいう軟派きわまりないシンボルマークは、オリンピックという神聖なイベントには相応しくないです。
メダルにも刻印されるわけですからね、あの図柄は。
それくらいのこだわりはあっていいと思います。
そのように、心に若干引っ掛かるものを感じつつスタートした大会は、
角田夏美選手の金メダルで、初日こそ幸先の良いスタートを切ったものの、
その後は度々、嫌な場面に遭遇することになりました ・・・・
中でも、最もイライラさせられたのが、柔道でした。
女性差別と批判されようが構わない、俺は言う。
レベルの低い中途半端な女審判はいらない、迷惑でしかない。
古賀稔彦がバルセロナで泣かされた「旗判定」をなくしたのは、非常に良いと思いました。
しかし、審判の力量の低さがそれを台無しにしている場面が、多々ありました。
今後のオリンピックは、柔道の審判は全員日本人でいい(笑)
こちとら「侍」「武士道」の国だ、恣意的な贔屓判定などしない。
男子バスケの日本 VS フランスの決勝でも、日本に不利になる微妙な判定があって、
それが勝敗に直結して、日本は金メダルを逃すということがありました。
そして極めつけは、柔道団体戦、同じく日本 VS フランスの決勝でした。
つーか、フランスはいつ欧州からアフリカ大陸に引っ越したのだ?(笑)
村尾三四郎選手の決勝で誤審をやらかしたあの女審判、また出てきやがった、最悪。
阿部一二三選手の試合で 3つ目の消極的指導を明らかに出し渋っていて、階級が上(=体重が重い)の相手にスタミナ切れを起こすのを、あの女審判は待っていたようにしか見えなかった。
最後のルーレットも、本当にあんなにうまいことリネールに当たるものか?(笑)
村尾選手が最後出て行っていたら、間違いなく日本が勝っていた。
しかし、残念ながら、何を言っても全ては後の祭り、やったモン勝ち。
出場するアスリートはもちろんのこと、見る側にとっても大切な4年に一度の大会の思い出が、
こんなに後味の悪いものになってしまうなんて、残念すぎます。
大体、直前にあんなことを言うマクロン大統領の日本 sage からして、普通じゃなかったし。
競技の審判や採点で、恣意的な日本叩きが行なわれてもおかしくはないと、思えてしまう。
そもそも、理念よりも中国との経済関係を優先するような国だからな、フランスは。
大会のシンボルマークだって、何だあれ、厚化粧の●ールガールかよ(笑)
今回のオリンピックで、フランスという国が嫌いになっていまいそうだ。
そんな風に、心中が荒廃してしまいました ・・・・
でも、フランスの一般の観客は、日本に対してもとても暖かかったと思います。
阿部詩選手に贈られた「ウタコール」を、我々は忘れてはいけません。
村尾三四郎選手の決勝の試合で、明らかに投げが決まったのにポイントを取らないあの女審判に対して大ブーイングが飛んでいたようですし、フランスの観客は公平だったと思います。
そのことを救いに思い、気を取り直して、また4年後。
ロスで開催されるオリンピックを、楽しみに待ちたいと思います。
今度は、日本の同盟国、自由とジャスティスの国アメリカで開催なので、大丈夫でしょう。
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映画「大日本人」を見た感想
40度を普通に超える、如何ともし難い猛暑の日が続きます。。。
こういうときは、涼しい部屋で寝転がって、動画を見て過ごすのが一番です。
そんなある日のつい先日。
「松本人志 カンヌにて取り巻きしか拍手せず戸惑う」というタイトルの動画が目に留まり、それを見たのがきっかけとなって、ダウンタウンの松本人志さん(以下、松ちゃん)が製作した映画にわたしは興味を持つに至ったのでした。
松ちゃんが過去に、映画の製作(監督・主演)を手掛け、しかし世間からの評価がいまひとつであったことは、長年ダウンタウンのファンをやってきているので、わたしも知っています。
松ちゃんの「黒歴史」という言い方がされることも、あるようです。
あの当時、これらの映画を実際に見るには至らず、興行収入も評価も芳しくないらしいことは巷のニュースでそれとなく察知できた、というくらいの関わり止まりでした。
松ちゃんの映画について、わたしの予備知識はその程度しかありませんでした。
しかし、先述の動画「松本人志 カンヌにて取り巻きしか拍手せず戸惑う」の内容と、その動画についていたコメントを見て、わたしは逆に興味を掻き立てられました。
スタンディングオベーションとは程遠い、「総スカン」と言ってもいいくらい客席からの拍手がまばらな状況が、映し出されていたその動画を見て、わたしは思いました。
言うても、お笑い界のトップどころと言われる松ちゃんなのに、
映画製作で一体どのような「やらかし」をしてしまったというのか。
わたしはそのように、逆に興味を持ちました。
そこで先日、松ちゃんの映画「大日本人」を実際に見てみました。
その感想として、まず1つ確実に言えることは、カンヌ国際映画祭にエントリーする作品としては、明らかに「場違い」「スレチ」であると思いました。
既に多くのレビューで言われているように、ラストのあの終わり方は、TV でやるコントの域を出ておらず、映画祭で国際的評価を問う作品としての流儀を欠いている。
わたしはそう思いましたし、同じように感じた人は多かったと思います。
それが、「松本人志 カンヌにて取り巻きしか拍手せず戸惑う」の動画の、
あのまばらな拍手に表れていたと思います。
着想自体は、斬新で、悪くなかったと思います。
ストーリー展開も、途中までは、期待させる内容でした。
ただ、ラストの終わり方があれでは、ちょっと ・・・・
公開当時、「大日本人」は TV CM も流れていたように記憶しています。
「大日本人だよ!」のセリフが今も頭に残る、あの CM です。
あれを見て、名作の予感を抱き、映画館に足を運んだ人は多かったと思います。
そうした人たちの期待を、非常に裏切るラストの終わり方だったと思います。
しかし、別の立場から、全く違った感想も同時に付け加えたいと思います。
あのラストの終わり方こそが、松ちゃんのワールド、真骨頂。
周囲の評価がどうなろうと、誰に媚びることなく、自分のワールドを貫いた。
「ガキの使い」や「ごっつ」を長く見てきた昔からのダウンタウンのファンは、
そのように肯定的に評価する人も多かろうと思います。
結局のところ、我々のような古くからのダウンタウンファンは、松ちゃんの思考様式の特異性、それ自体が面白いと思っている、ということです。
「松ちゃんのお笑いは小難しい」と昔からよく言われ、コントやトークなど、その内容そのものはよく分からず面白いと思えない場合も多々あるのですが、そういうことを考える松ちゃんの思考自体が笑えるという、昔からのファンほどそういう楽しみ方をしていると思います。
そういう目線で「大日本人」のラストを見ると、わたし個人的には、
アメリカ大使館の建物と星条旗が見えた時点で、ニヤニヤが止まりませんでした(笑)
映画を通して松ちゃんが描こうとしたのは、「大日本人の悲哀」だったのかと思うのですが、「時代の流れとともに・・・・」などと抒情的に描けばそれは嘘になる、実際の本当の現実がどうかといえば、圧倒的スーパーヒーロー(=アメリカ)が出てくればそれで全て解決するやんという、その対比のパロディで「大日本人の悲哀」を描くことに、松ちゃんはこだわったと思います。
そこはもう、松ちゃんの思考様式なので、我々にはどうすることも出来ません。
わたし個人的には、ごっつのコントで昔あった「THE BIG MONEY DREAM AMERICA」を思い出してしまいましたが(笑)、全てにおいて圧倒的であるが故にツッコミ処も満載な「アメリカ」という存在に対して、松ちゃんには何か、強いこだわりがあるような気がします。
浜ちゃんの言葉を借りれば、↑こんな感じになるでしょうか(笑)
それが具体的に結実した1つの作品事例が、「大日本人」のラストかと思います。
「ジャスティス」というワードチョイスも、わたしはかなり好きです(笑)
BGM も絶妙で、個人的にはなかなか楽しめます。
ただやはり、カンヌ国際映画祭という場で、あのラストは相応しいとは思えません。
最後あのまま飛び去って終わるのでなく、再び元の CG の巨人に戻って、映画を見た人に何かを訴えかけるシーンを挟んで締め括れば、評価はまた違っていたのかもしれません。
こういうときは、涼しい部屋で寝転がって、動画を見て過ごすのが一番です。
そんなある日のつい先日。
「松本人志 カンヌにて取り巻きしか拍手せず戸惑う」というタイトルの動画が目に留まり、それを見たのがきっかけとなって、ダウンタウンの松本人志さん(以下、松ちゃん)が製作した映画にわたしは興味を持つに至ったのでした。
松ちゃんが過去に、映画の製作(監督・主演)を手掛け、しかし世間からの評価がいまひとつであったことは、長年ダウンタウンのファンをやってきているので、わたしも知っています。
松ちゃんの「黒歴史」という言い方がされることも、あるようです。
2007年 「大日本人」
2009年 「しんぼる」
2011年 「さや侍」
2013年 「R100」
2009年 「しんぼる」
2011年 「さや侍」
2013年 「R100」
あの当時、これらの映画を実際に見るには至らず、興行収入も評価も芳しくないらしいことは巷のニュースでそれとなく察知できた、というくらいの関わり止まりでした。
松ちゃんの映画について、わたしの予備知識はその程度しかありませんでした。
しかし、先述の動画「松本人志 カンヌにて取り巻きしか拍手せず戸惑う」の内容と、その動画についていたコメントを見て、わたしは逆に興味を掻き立てられました。
スタンディングオベーションとは程遠い、「総スカン」と言ってもいいくらい客席からの拍手がまばらな状況が、映し出されていたその動画を見て、わたしは思いました。
言うても、お笑い界のトップどころと言われる松ちゃんなのに、
映画製作で一体どのような「やらかし」をしてしまったというのか。
わたしはそのように、逆に興味を持ちました。
そこで先日、松ちゃんの映画「大日本人」を実際に見てみました。
その感想として、まず1つ確実に言えることは、カンヌ国際映画祭にエントリーする作品としては、明らかに「場違い」「スレチ」であると思いました。
既に多くのレビューで言われているように、ラストのあの終わり方は、TV でやるコントの域を出ておらず、映画祭で国際的評価を問う作品としての流儀を欠いている。
わたしはそう思いましたし、同じように感じた人は多かったと思います。
それが、「松本人志 カンヌにて取り巻きしか拍手せず戸惑う」の動画の、
あのまばらな拍手に表れていたと思います。
着想自体は、斬新で、悪くなかったと思います。
ストーリー展開も、途中までは、期待させる内容でした。
ただ、ラストの終わり方があれでは、ちょっと ・・・・
公開当時、「大日本人」は TV CM も流れていたように記憶しています。
「大日本人だよ!」のセリフが今も頭に残る、あの CM です。
あれを見て、名作の予感を抱き、映画館に足を運んだ人は多かったと思います。
そうした人たちの期待を、非常に裏切るラストの終わり方だったと思います。
しかし、別の立場から、全く違った感想も同時に付け加えたいと思います。
あのラストの終わり方こそが、松ちゃんのワールド、真骨頂。
周囲の評価がどうなろうと、誰に媚びることなく、自分のワールドを貫いた。
「ガキの使い」や「ごっつ」を長く見てきた昔からのダウンタウンのファンは、
そのように肯定的に評価する人も多かろうと思います。
結局のところ、我々のような古くからのダウンタウンファンは、松ちゃんの思考様式の特異性、それ自体が面白いと思っている、ということです。
「松ちゃんのお笑いは小難しい」と昔からよく言われ、コントやトークなど、その内容そのものはよく分からず面白いと思えない場合も多々あるのですが、そういうことを考える松ちゃんの思考自体が笑えるという、昔からのファンほどそういう楽しみ方をしていると思います。
そういう目線で「大日本人」のラストを見ると、わたし個人的には、
アメリカ大使館の建物と星条旗が見えた時点で、ニヤニヤが止まりませんでした(笑)
映画を通して松ちゃんが描こうとしたのは、「大日本人の悲哀」だったのかと思うのですが、「時代の流れとともに・・・・」などと抒情的に描けばそれは嘘になる、実際の本当の現実がどうかといえば、圧倒的スーパーヒーロー(=アメリカ)が出てくればそれで全て解決するやんという、その対比のパロディで「大日本人の悲哀」を描くことに、松ちゃんはこだわったと思います。
そこはもう、松ちゃんの思考様式なので、我々にはどうすることも出来ません。
わたし個人的には、ごっつのコントで昔あった「THE BIG MONEY DREAM AMERICA」を思い出してしまいましたが(笑)、全てにおいて圧倒的であるが故にツッコミ処も満載な「アメリカ」という存在に対して、松ちゃんには何か、強いこだわりがあるような気がします。
「ん~、あいつ(=松ちゃん)の頭ん中に、何か1個、そういうイメージがあるんやろな」
浜ちゃんの言葉を借りれば、↑こんな感じになるでしょうか(笑)
それが具体的に結実した1つの作品事例が、「大日本人」のラストかと思います。
「ジャスティス」というワードチョイスも、わたしはかなり好きです(笑)
BGM も絶妙で、個人的にはなかなか楽しめます。
ただやはり、カンヌ国際映画祭という場で、あのラストは相応しいとは思えません。
最後あのまま飛び去って終わるのでなく、再び元の CG の巨人に戻って、映画を見た人に何かを訴えかけるシーンを挟んで締め括れば、評価はまた違っていたのかもしれません。
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