嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

何も考えずに 書き込んでしまえばいい

2005年12月22日 14時50分15秒 | 詩に近いもの
僕は生きる意味がある、と思うことがある
けれどそれはほんのささいな偶然の思いつきのようなはやさで
すごいはやさで失われていく。
だからそれは僕にとって多くの場合において
生きる意味なんか無い、という開き直りに近いあきらめの境地に近づく
それでもまだ、時々生きる意味があるような気がする。
でもやっぱりそれは幻想だと否定する自分がいる
そんなふうにたゆたうゆらめきのような迷いの牢獄の中に封殺されている自分を感じたりする

そして僕は。

問いの建て方が根本的に設計ミスなのではないかと思う、思ってしまう。
問いは立てると書くこともできる。
だけど文法的には言葉の空間に様々な技法によって
多くの人たちによって手を加えられてきた言葉の歴史があると思う。
それは孤独の世界においてはありもしない虚構なのだけれども。

それでも僕は。

問いをずらす事によって立て直す事ができるんじゃないかと思う。

「生きることはいつから意味がある?そしていつから意味が無くなった?」
「僕はいつから生きてる事に気付いた?そしていつから死んでいるような自分を感じている?」
「僕はいつ、生きるとか、意味とか、自分とかを、考えないでいられる?」

そのように縮んだり、膨らんだりするものだから
僕は人が生きている今について疑いを消せないでいます。
疑うかぎり、命の火が消えないような気がするように
僕は自分が生きている事を疑い続ける

それでも。

なお僕は、
生きているということが死に続けている。