嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

書くことの意味とか、そうでない気持ちとか。

2005年12月30日 13時43分27秒 | 駄文(詩とは呼べない)
何度も書こうとした
そのたびに、僕は書くことをやめた

書くことはいくらでも思いついた
けど、それを書くことはできなかった。

すらすらと言葉になるものもあったし
まったく言葉にできない想いもいくつかあった
それらはつながっているようでもあったし
途切れ途切れに感じることもあった

僕は。

書くことそのものに、壁を感じている。
書けば再び、読者は僕を見るだろうから。
そしてまた、僕は一度書いてしまった言葉を誰にも見せずに隠しておくことが
できないような気がしたから。

どうして僕はこれほどまでに書くことに対して壁を感じるようになってしまったのだろう
それはスランプと似ているけれど
少しだけ違った。

言葉は決してゼロにはならなかったから、
それだけは、少し違った

例えば時々僕は、
決して書いている最中に文章を保存しない
たとえば時々、消えてしまいそうな言葉だからこそ
それはそこに書くことができるんじゃないかと、そう思う僕や
そう思える僕や、そう思わなければならない僕や、
そう思わされている僕が
ぐちゃぐちゃに混ざりながら消えそうな中で何かを書き留めるから
だから僕は。

改行の位置や、句読点や、聞いたこともないような言葉でさえも
決して後から直そうとは思えない時があるように。

言葉は一度だけしか生まれない
そこの事に気付いたのはいつだったろうか。

いつでも書けるようなものは、
ある意味テキストとは呼べないと
そう思いながらも
どこかへ記録しているという矛盾
その矛盾によって
僕のテキストは支えられているのだろうか
支えられているのだろうか?
いるのだろうか。
だろう、か!

考えていく中で
迷っていく中で
どうしようもなく、鬱ぎ込んでいく中で
それはやっぱり、人に言えない形を辿ることもある
恥ずかしさを恐れる僕や
他人が消失する恐怖に全く立ち向かえない僕や
寂しさに似た感情を、「さみしさ」と発音できない僕もいるから
それはやっぱり

言葉になる前に 発情時点で 消失する ことがある。

僕が書きとめているものは
やっぱり僕の記録でしかなくて
それでもやはり、
それをみたいと思う人がいるのだろう。

どうしたらいいのだろう。

僕は望まれているテキストなんか
絶対に書きたくない。

誰も望まない僕の言葉だからこそ、
そこに書く意味が、生まれるような気がする。